先週公開した詩を書いた、私が高校1年生の頃です。
学校行っても楽しくない、家に帰っても面白くない、
毎日何のために高校へ行くんだろう? 私は何のために
生きているのだろう? 私は将来何になるのだろう?
そんなことばかり考えていました。
私なんてこの世に必要があるのだろうか?と思ったことも
ありました。救いは大切な友達とお喋りを楽しむ学校の
休憩時間や帰り道でした。
それでも自分の居場所が感じられなくなっていました。
心地よい居場所は家庭でもなかったのです。
そんなとき“やりたいことができない”って何が
できないんだろう?とふと思いました。この頃すでに
歌手になることをあきらめていましたから、いろいろと
「やりたいこと」を1つ1つ思い起こして、それが
現実的なものかどうかを考え、非現実的なものは消去
していきました。
すると残ったものが
「英語を1秒でも早く話せるようになりたい。」
だったのです。「1秒」というのは「1日」の極端な
表現です。
これなら母親に言える!
というわけで相談したところ、英会話学校へ通う話が
持ち上がりました。
これが実に突破口となったのです。私がグレずに済んだ
のは、この1つの正当な答えにたどり着いたからなのです。
学校行っても楽しくない、家に帰っても面白くない、
毎日何のために高校へ行くんだろう? 私は何のために
生きているのだろう? 私は将来何になるのだろう?
そんなことばかり考えていました。
私なんてこの世に必要があるのだろうか?と思ったことも
ありました。救いは大切な友達とお喋りを楽しむ学校の
休憩時間や帰り道でした。
それでも自分の居場所が感じられなくなっていました。
心地よい居場所は家庭でもなかったのです。
そんなとき“やりたいことができない”って何が
できないんだろう?とふと思いました。この頃すでに
歌手になることをあきらめていましたから、いろいろと
「やりたいこと」を1つ1つ思い起こして、それが
現実的なものかどうかを考え、非現実的なものは消去
していきました。
すると残ったものが
「英語を1秒でも早く話せるようになりたい。」
だったのです。「1秒」というのは「1日」の極端な
表現です。
これなら母親に言える!
というわけで相談したところ、英会話学校へ通う話が
持ち上がりました。
これが実に突破口となったのです。私がグレずに済んだ
のは、この1つの正当な答えにたどり着いたからなのです。