日本で訳され出版されているアイリッシュの
作品のほとんどを私は読んでしまった頃、
彼の遺稿の中から『夜の闇の中へ』というタイトルの
原稿が発見されたというニュースが新聞に掲載されて
いた。しかし、残念ながら冒頭の十数枚と結末の2枚、
そして途中の何箇所かが失われていたらしい。
まだ読んでいないアイリッシュの小説に出逢うのは
もう滅多とないだろうと読書欲も薄れていただけに
その記事を見た途端、心を躍らせた。未だにその新聞
記事の切り抜きは保管している。
紛失している部分は、その頃のアメリカの人気推理作家
ローレンス・ブロックが補綴するという。これには
いささか賛同しかねた。それはまるで、洋画の
吹き替えに声優さんが担当するのではなく今をときめく
俳優陣を当てるフ○テレビみたいなものだ。
けれども、日本語に訳され出版される日を待った。
まだ文庫本にはなっておらず、ハードカバーだったが
買って読んだ。確かに物語は自然な流れでどこを
ブロックが書いたのかはわからない素晴らしいもの
だった。
でも、こよなくアイリッシュの作品を愛読してきた
ファンとしては、最後の結末は違和感を感じるのだ。
おそらくアイリッシュはそんな結末を用意したのでは
なかったと思う。
アイリッシュの研究家フランシス・M・ネヴィンズJrに
補綴してほしかったというのが正直なところだ。
作品のほとんどを私は読んでしまった頃、
彼の遺稿の中から『夜の闇の中へ』というタイトルの
原稿が発見されたというニュースが新聞に掲載されて
いた。しかし、残念ながら冒頭の十数枚と結末の2枚、
そして途中の何箇所かが失われていたらしい。
まだ読んでいないアイリッシュの小説に出逢うのは
もう滅多とないだろうと読書欲も薄れていただけに
その記事を見た途端、心を躍らせた。未だにその新聞
記事の切り抜きは保管している。
紛失している部分は、その頃のアメリカの人気推理作家
ローレンス・ブロックが補綴するという。これには
いささか賛同しかねた。それはまるで、洋画の
吹き替えに声優さんが担当するのではなく今をときめく
俳優陣を当てるフ○テレビみたいなものだ。
けれども、日本語に訳され出版される日を待った。
まだ文庫本にはなっておらず、ハードカバーだったが
買って読んだ。確かに物語は自然な流れでどこを
ブロックが書いたのかはわからない素晴らしいもの
だった。
でも、こよなくアイリッシュの作品を愛読してきた
ファンとしては、最後の結末は違和感を感じるのだ。
おそらくアイリッシュはそんな結末を用意したのでは
なかったと思う。
アイリッシュの研究家フランシス・M・ネヴィンズJrに
補綴してほしかったというのが正直なところだ。
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