たわいもない話

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

生死を分かつもの

2011年10月19日 15時43分03秒 | 雲雀のさえずり

「おい!栗を採りに行かないか」

 

居間で孫と二人で横になってテレビを見ていた妻にいった。

 

「僕も行く」

                                                  

小学三年になる孫が言うので、イガをむく道具と高枝バサミを持って三人で出かけた。

 

朝の散歩の途中に見つけておいた農道沿いの急斜面には、7~8m栗の木が数本はえていて、イガグリがパックリと口をあけて私たちを待っていた。

 

最初のうちは、私が農道沿いからイガグリのついた枝を、高枝バサミで採ってそれを妻と孫が剥いていた。

 

そのうちにイガグリのついた枝に高枝バサミが届かなくなり、私は農道から斜面を上がることにした。

 

斜面に登ってみると栗の木の幹は、農道側に突き出すように生えていてイガグリは農道上から採るより遠くなってしまった。

 

私が栗の木に登って、高枝バサミでイガグリを採ろうとすると

  

「お父さん、落ちて怪我をしたらいけんけん止めない」

 

妻が心配そうに私を見上げながら言った。

 

「心配せんでもこれくらい、大丈夫だわいな」

 

「危ないけん、止めときない言うに」

 

「なにいっちょうだ、子供のころはもっと高い所に平気で登ちょたわ」

 

妻がしつこく言えば言うほど、私は年甲斐もなくむきになって、二股に分かれた栗の幹の所まで登った。

 

「お父さん、危ないけん気をつけないよ」

 

「しつこいなー、わかちょうわ!」

 

私は二股に分かれた栗の木の幹に足を掛け、高枝バサミでイガグリのついた枝を鋏もうとしたがわずかに届かない。

 

上体をひねり、枝先に向けて高枝バサミの尖端を“グイ”と伸ばそうとした時、身体が“くるり”と回って重心を失い、頭の中が真っ白になり意識が飛んだ。

 

必死に枝を摑もうとしたような気もするが記憶は定かではない。

 

気が付くと、私の身体は農道の上に投げ出されていた。

 

「お父さん、お父さん、お父さん大丈夫!」

 

妻の心配そうな顔が覆い被さってきた。

 

「救急車を呼ばなくて大丈夫」

 

私は上半身をもたげ、農道沿いの草の上に座りこんだ。

 

その時、黒い軽ワゴン車を運転した中年の女性が通りかかり、窓越しに私たちの様子を怪訝そうな面持で眺めながら通り過ぎて行った。

 

左手の甲からわずかに血が滲み、左肩と左腕に痛みを覚えたが妻に弱気なところは見せられない。

 

「大丈夫だ!大したことはない」

 

左手をついて立ち上がろうとすると、左手首にも痛みが走りその場に座り込んだ。

 

「お父さんもう少し落ちる場所が悪かったら、農道の縁石で頭を打つところだったよ。本当に救急車を呼ばなくても大丈夫」

 

「心配いらん。何度も同じことを言わせるな!」

 

私は声を荒げ、やけ気味に言った。

 

しかし、左肩・左腕の痛みをこらえていると、骨にひびでもはいったのではないかと内心は心配であった。

 

妻の忠告を素直に聞いて栗の木に登るような危険を犯さなければ、こんな怪我を負わずに済んだものをと、心の中で呟いたが後の後悔先には立たずである。

 

 

男って、頑固、見栄っ張り、虚栄心の塊、悲しい生きものかもしれない。

 

まかり間違えば命を落としたかも知れないこの事件を教訓に、老い先短い人生、妻の意見にも耳を傾け、もう少し素直に、片意地を張らず、穏やかに過ごさなくてはと、心ひそかに思いを深める出来事であった。

 

「生死の分かれ道って何だろう。人が生まれもった生命力、運の強さ、生きようとする執着心、それとも先祖さまのご加護?」

 

 

いつもの散歩道、西国を見つめながら立っているお地蔵さまに“ありがとうございました”と、そっと手を合わせた。

 

 

 

コメント
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