たわいもない話

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

「2011山陰豪雪」100時間の葛藤(Ⅰー7)

2011年03月01日 17時54分12秒 | 「2011山陰豪雪」100時間の葛藤
インターチェンジ付近は水銀灯の青白い光に照らされ、雪は水銀灯に群がるカゲロウのように、何時止むとも知れず降り続いていた。

私がETCレーンに入ろうとすると、係員が一般レーンの方にから顔を出して手招きをした。

「ETCレーンは止めています。ETC扱いにしますからカードを見せて下さい」

私は係員の指示に従ってETCカードを渡す。

係員はETCカードを機械に通し、精算を済ませると窓から顔を出しながら言った。

「山陰道はこの大雪で通行止めになっています」

山陰道が通行止めになるくらいなら、当然9号線も通行止めになっていてもおかしくない、不安を抱きながら私は係員に尋ねた。

「国道9号線は通れますか?」

係員は窓から身を乗り出して9号線の方に眼をやり、気の毒そうな眼差しで車の中を覗き込むように言った。

「今のところは通れるようですよ!」

係員は私の安堵した様子を察したように言葉を続けた。

「9号線は除雪しているそうですから、大丈夫だと思いますが、運転には気を付けてください」

私たちが係員の言葉に送られ米子インターチェンジを後にしたときは、すでに午後の10時半を過ぎ、冷え込みは次第に厳しくなり始めていた。

米子インターチェンジのバイパス道を抜けてようやく9号線にたどり着くと、9号線は除雪された痕跡は残っていたものの、その後に降り積もった雪が車の轍で凸凹になり、それが凍結し、まるで小石で覆われた河原のようになっていた。

少しでも気を緩めれば轍にハンドルを取られ、車輪が雪に埋まり動けなくなり、また、除雪されて道路の両側に、うず高く積まれた雪の中に突込そうにもなる。

暫く走って行くと雪で動けなくなったのか、屋根に小山のような雪を載せて放置された車がところどころに停まっていた。

凍結した雪道に悪戦苦闘しながらガソリンスタンドのところまで来ると、轍に嵌り“ブルブルーン、ブルブルーン”とエンジンを吹かし、車輪を空回りさせ動けなくなった軽自動車に遭遇した。

私はその軽自動車の横を通り抜けることもできたが、高速道路で助けてくれた二人の若者の恩返しの気持ちも手伝って、妻と車を降りて軽自動車の後ろに回り押した。

軽自動車は私たちの手助けで難なく轍から抜け走り出したが、その後、1kmも走らない間に2度も止まり、その度に妻と車を降りてその車を押した。

4度目に止まったのは登り道の途中、妻と二人で押しても動かない、裕子にも手伝わせるがそれでもスリップして動かない、このまま見捨てて帰るわけにもいかず三人で立ちすくんでいると、後の車から50歳前後のガッチリした体格の男性が降り、車を押すのを手伝ってくれた。

私たちが軽自動車を押していると、横を掠めるように黒塗りの乗用車が追い越した。

「危ないじゃぁないか、バカヤロウー」

男性が叫んだ。

その男性は道の中央をまたぐようにして車を押していたので、服の一部にでも接触したようであった。

「手伝いもせず、こんな処で追い越しをかけるなんてロクな奴じゃぁあるまい」

私もその運転手に怒りを感じたが、車は左右に蛇行しながら降りしきる雪の中を遠ざかって行った。

軽自動車は男性の助太刀の甲斐もあってようやく轍から脱出して、また雪道を“ノロノロ”と走り出した。

私は軽自動車を追い越す訳にもいかずしかたなくその後に続いて走った。

自宅まで残り1km位の交差点まで帰った処で、軽自動車は右側の方向指示器を出しながらまたしても止まってしまつた。

その交差点は、正面に雪に覆われた歩道橋が水銀灯に照らされ、右折方向は山陰本線の踏み切りになっていた。

右折しようとする軽自動車の前には、4、5台の車が雪の埋まり立ち往生してとても動けるような状態ではなかった。

私は妻と軽自動車を踏み切り方向に押してやって、直進方向の車線を確保して車に帰ろうとしたとき妻が囁いた。

「お父さん、あの軽自動車の中に若い女性が乗っていたよ!」

私は妻の言葉を一概に信じることが出来なかった。

車に乗ってからも妻はしつこく言う。

「だって、水銀灯の明かりで運転席側の窓から車の中が見えたもの」

あまりにも妻がしつこく言うので、軽自動車を追い越しながら車内を覗き込もうとしたが、左側の窓は雪で覆われ確認することは出来なかった。

走り始めてからも、妻は私の同調を求めるように何度も言った。

「本当に乗っておられたら、降りてお礼に一つも言われたと思うよ!」

私は妻の言葉を信じない訳ではなかったが、あんなに何度も車を押してもらい世話になっていて、自分ひとりが車の中で他人事のように過ごし、礼の一つも言えない、そんな人間がいるとは思いたくなかった。

私たちはようやく我が町にたどり着いたが、家は町の高台にあるため急な坂道を100mくらい登らなくてはならない。

しかし、家に帰る道は全く除雪されていない、しかたなく車を町中の空き地に停めて歩いて帰ることにした。

「汐里、沙織、歩いて帰るから車から降りて」

私は車のトランクを開けて荷物をそれぞれに振り分け、人気のない雪の坂道を孫に気遣いながら家路に向かった。

Ⅱ―1に続く


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