久しぶりの里帰りに娘は声を弾ませ、孫たちも最初は恥かしそうにしていたが直ぐに慣れ、島での出来事や、学校、保育園などの話を夢中になって語り始め、そんな話を聞きながら運転していると、時間は瞬く間に過ぎ、いつしか岡山道へと入っていた。
岡山道から中国道にさしかかると、車内の和やかな雰囲気とは裏腹に雪がちらつき始め往路での出来事が頭に浮かんだ。
「おい、米子道の道路状況を確認して!」
妻は家にいる次女に電話を掛け、テレビで道路情報を確認するよう頼んでいたが
「お父さん、米子道は通行止めにはなっていないが、米子ICの出口で少し渋滞が有るみたいよ」
「まあ米子道が通さえすれば、多少の渋滞が有っても18時頃には家に着けるな」
私は山陽側の天候のあまりのよさに慣れ、米子道は通行止めになっていない、即ち、山陰側の吹雪は治まっていると勝手に思い込んでしまっていたのだ。
実は、昨年も大晦日に娘を迎えに行ったのだが、その日の帰りも吹雪で、米子道の最初のインター久世から米子側が通行止めになってしまい、しかたなく中国道を新見ICまで引き返して、国道180号線を経由し、岡山と鳥取の県境、積雪の多い明地峠を越えて夜の8時頃に家に着いたのだった。
この時の経験から、明るいうちに米子道さえ抜ければ大丈夫だろうと考えたのだった。
「米子道に入ったらもうトイレ休憩は取らないから、みんなここで用を済ませておいて」
私は中国道の真庭PAに車を止め、忙しなく、軽い食事を済ませ急いで出発した。
米子道に入ると路肩に積雪は有ったが、久世IC辺りから除雪車が道路の雪をかいており、渋滞することもなく湯原ICまで進んだ。
湯原のタイヤチェン装着場に着くと、多くの車がタイヤのチェクを受けていた。その中には、普通タイヤでチェンを着けていない車も多く有り、雪の中に屈み込むようにしてチェンを装着している者、また、チェンが無く、やむなく引き返す車などもあり、この様子を気の毒そうに見ながら妻が言った。
「あそこでチェンを売ったらいくら高くても買うよな、それと、チェンを着けてくれる人がいたら助かるのに」
「そう言えば昔、大山スキー場に通じる有料道路が開通した頃、有料道路の入口でそんな仕事をしていた人がいたなー。アンタ、幾らまでならお金を払って着けてもらう?」
「そうねー、タイヤ一本1000円として2000円、いや一本2000円として4000円、少し高いかな、3000円位ならお金を出して着けてもらうかも?」
すると娘が「私はチェンの着け方が解らないし、説明書を読みながら着けるのも大変だから5000円を払ってでも着けてもらうと思うよ」
「何の元手も掛らないし、良い商売かも知れんが寒くて大変だろうなー」
私は二人の話を聞きながらそれなりに説得力はあると思ったが、そんな仕事はとうてい私には出来まいと思いながら、タイヤチェクを済ませ再び米子道に戻った。
“他人の不幸は蜜の味”こんな不謹慎な会話を交わせていたのも、ここまで順調に帰れた証であろう。
雪は絶え間なく降り続いていたが、往路のように先が見えないほどの吹雪にはならず、心に余裕を持って運転することができ、蒜山SAを午後5時前頃には過ぎ、米子IC出口まで残り33km付近まで帰った。
「もうここまで帰れば大丈夫、6時頃には家にたどり着くことができる。家族も心配しているだろう」
帰宅予定時間を家に連絡するよう妻に電話をさせると、米子ICの出口付近で6kmの渋滞があると知らせてきた。
6kmくらいの渋滞ならこれまで何度も経験している。通過するのにそんなに時間は掛らないだろうと思いながら、蒜山ICを過ぎ、三平山トンネルを抜け、江府ICに近づいた。
道路は片側二車線から一車線へと狭まり、大きな結晶のボタン雪が絶え間なく降り初め、視界を遮って車が混み始めた。
江府ICを過ぎ、5kmくらい進んだ辺りから渋滞が始まり“のろのろ”運転。
溝口ICの手前まで、ようやく帰った辺りから大渋滞に巻き込まれ、一分間に5m、10mといった速度でしか進めなくなった。
「おい、このままではいつ家に帰れるか分からないぞ、溝口ICを降りて地道を帰ろうか?」
「お父さん地道の方がもっと渋滞して危険かも知れないよ。このまま高速を帰ろうよ!」
私は妻の言葉に従い、そのまま高速を帰ることにしたのだが、数台の車は高速を降りて一般道へと回って行った。
この渋滞、いったい何キロ続いているのだろう。私がカーナビを米子道ICの出口に改めてセットし直すと9.2kmと表示した。
Ⅰー5に続く
岡山道から中国道にさしかかると、車内の和やかな雰囲気とは裏腹に雪がちらつき始め往路での出来事が頭に浮かんだ。
「おい、米子道の道路状況を確認して!」
妻は家にいる次女に電話を掛け、テレビで道路情報を確認するよう頼んでいたが
「お父さん、米子道は通行止めにはなっていないが、米子ICの出口で少し渋滞が有るみたいよ」
「まあ米子道が通さえすれば、多少の渋滞が有っても18時頃には家に着けるな」
私は山陽側の天候のあまりのよさに慣れ、米子道は通行止めになっていない、即ち、山陰側の吹雪は治まっていると勝手に思い込んでしまっていたのだ。
実は、昨年も大晦日に娘を迎えに行ったのだが、その日の帰りも吹雪で、米子道の最初のインター久世から米子側が通行止めになってしまい、しかたなく中国道を新見ICまで引き返して、国道180号線を経由し、岡山と鳥取の県境、積雪の多い明地峠を越えて夜の8時頃に家に着いたのだった。
この時の経験から、明るいうちに米子道さえ抜ければ大丈夫だろうと考えたのだった。
「米子道に入ったらもうトイレ休憩は取らないから、みんなここで用を済ませておいて」
私は中国道の真庭PAに車を止め、忙しなく、軽い食事を済ませ急いで出発した。
米子道に入ると路肩に積雪は有ったが、久世IC辺りから除雪車が道路の雪をかいており、渋滞することもなく湯原ICまで進んだ。
湯原のタイヤチェン装着場に着くと、多くの車がタイヤのチェクを受けていた。その中には、普通タイヤでチェンを着けていない車も多く有り、雪の中に屈み込むようにしてチェンを装着している者、また、チェンが無く、やむなく引き返す車などもあり、この様子を気の毒そうに見ながら妻が言った。
「あそこでチェンを売ったらいくら高くても買うよな、それと、チェンを着けてくれる人がいたら助かるのに」
「そう言えば昔、大山スキー場に通じる有料道路が開通した頃、有料道路の入口でそんな仕事をしていた人がいたなー。アンタ、幾らまでならお金を払って着けてもらう?」
「そうねー、タイヤ一本1000円として2000円、いや一本2000円として4000円、少し高いかな、3000円位ならお金を出して着けてもらうかも?」
すると娘が「私はチェンの着け方が解らないし、説明書を読みながら着けるのも大変だから5000円を払ってでも着けてもらうと思うよ」
「何の元手も掛らないし、良い商売かも知れんが寒くて大変だろうなー」
私は二人の話を聞きながらそれなりに説得力はあると思ったが、そんな仕事はとうてい私には出来まいと思いながら、タイヤチェクを済ませ再び米子道に戻った。
“他人の不幸は蜜の味”こんな不謹慎な会話を交わせていたのも、ここまで順調に帰れた証であろう。
雪は絶え間なく降り続いていたが、往路のように先が見えないほどの吹雪にはならず、心に余裕を持って運転することができ、蒜山SAを午後5時前頃には過ぎ、米子IC出口まで残り33km付近まで帰った。
「もうここまで帰れば大丈夫、6時頃には家にたどり着くことができる。家族も心配しているだろう」
帰宅予定時間を家に連絡するよう妻に電話をさせると、米子ICの出口付近で6kmの渋滞があると知らせてきた。
6kmくらいの渋滞ならこれまで何度も経験している。通過するのにそんなに時間は掛らないだろうと思いながら、蒜山ICを過ぎ、三平山トンネルを抜け、江府ICに近づいた。
道路は片側二車線から一車線へと狭まり、大きな結晶のボタン雪が絶え間なく降り初め、視界を遮って車が混み始めた。
江府ICを過ぎ、5kmくらい進んだ辺りから渋滞が始まり“のろのろ”運転。
溝口ICの手前まで、ようやく帰った辺りから大渋滞に巻き込まれ、一分間に5m、10mといった速度でしか進めなくなった。
「おい、このままではいつ家に帰れるか分からないぞ、溝口ICを降りて地道を帰ろうか?」
「お父さん地道の方がもっと渋滞して危険かも知れないよ。このまま高速を帰ろうよ!」
私は妻の言葉に従い、そのまま高速を帰ることにしたのだが、数台の車は高速を降りて一般道へと回って行った。
この渋滞、いったい何キロ続いているのだろう。私がカーナビを米子道ICの出口に改めてセットし直すと9.2kmと表示した。
Ⅰー5に続く
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