G.G.の徒然山遊録

岐阜各務原市周辺の低山の山行記録、折々の雑感、書評などの雑文を記し、山に関する情報を提供します。

ヤナ場で鮎に舌鼓

2017-08-24 | 旅行・紀行

   8月22日に夏休みで帰郷している大学生の孫を伴って老妻と三人連れで長良川の美並村にあるヤナ場へ鮎料理を喰いにドライブしてきた。
   落ち鮎の季節には早いせいかヤナ場で鮎は見られなかったが、釣り人が竿をさす清流を眼下に、快い風に吹かれながら鮎のフルコースに舌鼓を打ち、激動と混沌の内外情勢をよそに、暫し心静かに平和な一時を満喫でる幸せをしみじみと有難く思った次第である。

                   (ヤナ場風景)

   
    左列上から塩焼き、甘露煮、南蛮漬け、活き造り、右列上からフライ、唐揚げ、鮎雑炊

 


岐阜県関市板取の“モネの池”探訪記

2017-06-15 | 旅行・紀行

1.はじめに:
   岐阜県関市板取白谷にある“名もない池”、通称“モネの池”が2015年6月ごろからSNSで話題となり、やがて、それがマスコミで取り上げられ、以降、関市の観光スポットとなり、観光客が激増し続けているようである。
   板取地区は県道の両側にアジサイを植えて、予てからアジサイロードと呼ばれ親しまれているのでそれを見物しがてら、6月13日(火)にモネの池探訪に出掛けた。残念ながら、時期尚早でアジサイは全く開花していなかった。
 駐車場は池の近くに第1駐車場、少し離れた第2駐車場以外にも用意されていた。私が入った第1駐車場には既に50台程のマイカーが駐車していた。大型の観光バスも1台駐車していた。
 以下に簡単な探訪記を記す。 

2.モネの池:
 高台に地元の氏神様である根道神社があり、その下にモネの池がある。大きさは10 m ✕ 40 m位の長方形で、水深は50 cm位の湧水池である。池には20尾くらいの錦鯉が遊泳していた。
 観光客が池を取り囲み盛んにカメラ、スマホ、タブレットなどで写真撮影をしていた。 

3.池の印象:
 見る場所により水面の色が変わり、モネの絵風に見えるので観察場所の選択が必要である。
当日は稍々、水が濁っているような感じで、青緑色に見えたが、それなりに絵画的で、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
 因みに、“モネの睡蓮”の絵には鯉は描かれていないが、水面の青緑がかった雰囲気がモネの絵に似ていると言えるのかも知れない。
 モネの絵に似ているか否かはさておいて、睡蓮の間を色とりどりの錦鯉がゆったりと泳ぐ様は幻想的で、詩的な気分にしてくれよう。


 4.根道神社の狛犬:
 池の脇の高台にある根道神社の向かって左側にある狛犬が子連れであるのが面白い。

 5.ワタボウシが満開:
 池の傍らの観光案内所前にあるワタボウシが将に満開で、観光客のひとりが一心に写生していた。

6.アジサイ ロード:
 ここから先はアジサイ ロードとして知られているので、モネの池を見物した後、板取温泉まで10 km程ドライブをしてみた。私の住んでいる各務原市では沢山咲いていたが当地はさっぱりであった。標高も高く、山合であるので気温が低く開花が遅いのであろう。
 途中、多くの人達が板取温泉を目指して三々五々、ウオーキングしているのを目にした以外は昔の風情と変っていないようであった。
 温泉の側にあるレストランで鮎の塩焼き定食に舌鼓を打った後、満ち足りた気分で帰途の着いた。


飯田線の6秘境駅巡り

2017-04-19 | 旅行・紀行

 予てJR飯田線の秘境駅には興味があり、折を見て訪れてみたいと思っていたが、飯田線は名にし負う交通不便なルートで決心が付かなかったが、偶々、「ジパング倶楽部」の頁を繰っていた所、特別列車による日帰り「飯田線秘境6駅探訪の旅」が紹介されていたので即座に申込み4月14日(金)にワイフ同伴で楽しんできた。
以下にその折、強く印象に残った4秘境駅の概要を記す。諸氏の参考になれば幸いである。

1.秘境駅とはどんな駅か:
まず最初に秘境駅とは「周辺に人家がない」「駅に通ずる車道がない」駅である。従って無人駅で、一般の乗降客が殆ど無い。

2. 飯田線秘境駅の地図:
今回探訪した飯田線の6秘境駅の配置は下図の通り。

6秘境駅は次の通りである。()内は読み方と秘境駅ランキングの順位を示す。
・「千代」(ちよ、29位)
・「金野」(きんの、7位)
・「田本」(たもと、4位)
・「為栗」(してぐり、17位)
・「中井侍」(なかいさむらい、14位)
・「小和田」(こわだ、3位)
因みに、秘境駅のランキング1位は「室蘭本線の小幌駅」、2位は「大井川鐵道の尾盛駅」である。

3.探訪コースの概要:
 往路は豊橋から特急「ワイドビュー伊那路」で「天竜峡駅」まで直行し、天竜峡を40分程散策する。沿線は桜や花桃が満開で将に春爛漫の情緒であった。
 復路は天竜峡駅から特別列車「秘境駅号」で6秘境駅に順次停車し、6~17分の停車時間に下車しホーム或いは駅近傍を歩き秘境駅の雰囲気を味わう。
                   (秘境駅号の外観)


              (社内でサービスされる弁当)
4.探訪地の概要:

(1) 天竜峡:
秘境駅ではないが下車し、ガイド付きで40分程天竜峡のサワリを散策する。
                  (天竜峡駅)


               (飯田市の市花、ミツバツツジが満開)

               (天竜峡の奇岩、龍角峯、高さ70m)


(2) 田本駅(4位):
■ホーム右側は巨大なコンクリートの擁壁、左側は下に天竜川が流れる断崖絶壁。集落へは山道を20分ほど歩かねばならない。
                   (田本駅全景)

■飯田線はトンネルだらけ。全部で138個あるそうである。前後をトンネルで囲まれ、下り方向にはトンネルが連続している。
                 (連続するトンネル)

■時刻表では一日8本が停車し、その間隔は2時間~3時間半であり如何に不便か想像できよう。
                 (田本駅の時刻表)  

(3) 為栗駅(してぐり、17)

■画面左側に人家が2軒見えるが今は無人だそうである。
                (為栗駅の全景)


■駅名が難読である。鉄道マニアでなければ読めないであろう。
                     (難読駅名)

■駅へ唯一のアクセス路は天竜川に架かるこの吊橋だけであるが、車は通行禁止である。
                 (天竜橋)


(4) 中井侍駅(なかいさむらい、14)

かわった駅名である。こんな山間僻地に“侍”とは謂れが気になる。
                 (不思議な駅名)

 ■ホームの真上の斜面に2軒の人家あり。アクセスは後ろの山に急傾斜の狭いつづら折りの車道があり、他の民家も比較的近いようなので秘境駅とは言い難いかも知れない。
                   (ホーム真上の人家)
(5)
小和田駅(こわだ、.3)
■6秘境駅で駅舎があるのはここだけである。付近には嘗ての製茶工場の廃屋で残っている。車掌がサービスの一環で記念写真に入ってくれるのが嬉しい。
 なお、平成5年の皇太子殿下のご成婚の折には、雅子様の旧姓が小和田(おわだ)で字が同じことから多くの方が此処を訪れたそうである。
                  (車掌と一緒に記念撮影)

■駅舎の中に駅周辺の案内図がある。小和田駅は静岡県にあり、天竜川の対岸は愛知県、北側は長野県境であるのが分かる。最寄りの集落は右下の塩沢集落であるが歩いて1時間離れている。
                    (周辺案内図)


                   (3県境表示版)

雑感:
秘境と言う語感から、寂しい或いは荒涼とした風景を想像していたが、どの駅も良く整備され、風光明媚で季節が桜咲く新緑豊かだったせいもあり、明るく、観光地のようであったのは想定外であった。 若し、秘境駅の雰囲気を味わおうとするなら、特別列車でなく、普通列車で個人探訪しなければなるまい。
トンネルの多さに驚く。飯田線の開通が如何に難工事であったか偲ばれる。
 (注)全長約200km、駅数(豊橋~辰野間)は94で、トンネル数は138
佐久間ダム建設に伴い駅周辺にあった集落が水没し、消滅した結果、乗降客が殆ど無くなり、駅だけが残されたのが現状で、日本の高度経済成長期の遺産を目のあたりにし感慨深い。
本ツアーに申し込む時、インターネットで調べた所、以前は満員でホームが観光客で一杯の写真があったので、混雑を覚悟していたが平日のせいか杞憂であり、ゆったりと楽しめた。
名古屋発着の旅行代が10,800円で高いか安いか分からないが、一日で効率よく6秘境駅を探訪できることを勘案すればお値打ちと言える。


せせらぎ街道の紅葉見物

2016-11-06 | 旅行・紀行

毎年、この時期、紅葉見物に「せせらぎ街道」へマイカーで出掛けるのが恒例である。去年は10月31日に出掛けた。
今年は11月3日に、インターネットで「せせらぎ街道」の紅葉が見頃を迎えているのを知り、家内と二人で、車を走らせる。
これも恒例であるが、まず初めに、西ウレ峠の先にある茶店「助さ」へ直行して、名物の五平餅を2本づつ頂く。
ゴマダレの香ばしいタレは絶品である。値段は一本、300円で街に比べると割高である。
毎年、繁盛していて10人位の行列ができるが、今年は5人位で、直にありつけたのは有り難い。


 腹ごしらえが済んだので、Uターンし、ゆっくりと車を走らせながら、紅葉見物を始める。
カラマツの黄葉もピークを迎えていて美しかった。カラマツ以外の紅葉が綺麗に見えるパーキングで車を降り、
全山錦を装ったような晩秋の絶景に暫しうっとりする。
 
 帰路はパスカル清見の少し北で右折し、R257を通って金山に向かう。この道沿いでは鑑賞できるような紅葉スッポトに遭遇しなかった。途中、道の駅「美輝の里」の一部である「水辺の館」に立ち寄り一息入れる。
このR257は脇街道であるので、この時期、観光客は殆ど来ないそうである。ぜんざいを頂き、地産の野菜を求める。館の脇を流れる馬瀬川辺りの紅葉で疲れた眼を暫し休ませた。
 
その後は東仙峡金山湖畔沿いの曲がりくねった道をひた走り「道の温泉駅」で再び休憩した後は関市経由で、帰路につき無事帰宅した。
 来年も又訪れたい身近な良いコースである。 


最後の清里旅行:諏訪大社下社、富岡製糸所、清里の今昔、紅葉の白駒の池

2016-10-17 | 旅行・紀行

10月1日~4日、三泊四日の最後の清里旅行に行ってきたので簡単な紀行文をしたため思い出の縁としたい。
 最後の意味は長年、毎年のように訪れていた清里、正確に言えば八ヶ岳、東山麓の大泉高原にある会員制ホテルの利用を今回で中止することとしたからである。

10月1日(土):薄曇り
何回も通った所で、今更、観光したい所も思いつかなったが、諏訪大社下社(秋宮と春宮の2社あり)が未訪問であるのを思い出し見学することにした。ついでに最近、人気がある「万治の石仏」も見学することにした。諏訪大社下社は想像していたよりも荘厳、重厚な社であった。
  秋宮の神楽殿が堂々としているのが特に印象的であった。銅製の巨大な狛犬は日本一、しめ縄は出雲大社のそれよりも長いそうである。
 
本殿も立派な彫刻が施された重厚な社であった。
 
 次に、車で移動し、春宮を訪れた。周囲を森に囲まれ一層荘厳な雰囲気が漂っていた。
本殿の左右に御柱祭で有名な柱(左側が1番、右側が4番、3番、4番は本殿の後ろで見えない)が見えている。こちらの本殿の彫刻も立派である。

 春宮の向かって、左側の階段を降りると急流の砥川が流れている。赤い橋を渡り右岸を5分位遡ると「万治の石仏」が鎮座している広場に着く。観光客と比べるとその巨大さが分かろう。

 参拝の仕方が変わっている。「よろずおさまりますよに」念じ、石仏を時計回りに3周するのである。変わった「おまじない」である。

10月2日(日):晴れ
 少し足を延ばして、2014年6月に世界文化遺産に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」の見学に出かける。なお、遺産群には製糸場以外に3ヶ所の施設が含まれているが、訪れたのは富岡製糸場だけである。
 佐久甲州街道を北上し、佐久ICで上信越自動車道に入り途中、横川SAで昼食を摂る。
横川SAでは妙義山が真正面に見え大迫力である。鋭い岩峰が屹立しハイカーを寄せつけない異様な山容である。日本三大奇景の一つであるのも頷ける。

ここで、もう一つ忘れてならないのが昼食に食した荻野屋の「峠の釜めし」である。因みに、日本一人気のある駅弁だそうである。
 富岡ICで降りる。町中の駐車場が分からず富岡駅前の公共施設の駐車場に止める。
10分位で富岡製糸場に着く。日曜日とあって、観光客で賑わっていた。
入場料は1000円である。

200円を払い、ガイドに付いて工場内を案内してもらう。付いたガイドが良く、説明は巧みで、良い勉強をさせてもらった。
 フランスはリヨンからの技術者などの指導の下、当工場は明治5年(1972年)に操業を始め、以後115年間も操業し続けたそうである。
 建屋は当時のままだそうであるが近代的で、現代の工場と較べても遜色ないのに驚く。
一個の繭は何と1300m~1500mもの驚異的な長さの糸を吐き出すそうである。それを何本か撚り合わせながら機械が巻き取って絹糸を作ったそうである。
 当時の工女の労働条件は7.5時間労働/日で休みは1回/週だったそうで、現代の労働条件以上の厚遇に驚く。
 下の写真はレンガ作りの置繭所(三階建ての繭貯蔵庫、国宝)で、デザインも今様で斬新である。

下の写真は繰糸所(長さ140mと長大な建屋で繭から糸を紡ぐ。国宝)の外観で採光のため、大きなガラス窓が採用されている。昔のガラスは手作りで表面が平面でないく、手作りの暖かさ伝わってくる。
 
下の写真は繰糸所の内部で、自動繰糸機(繭から糸を巻き取る機械)がズラッと並んでいて壮観である。因みに、機械は往時のものではないが、ビニールシートで大切に保護され今でも使えそうである。

 帰路は高速でなく、佐久市まで国道R254を走ってみた。沿線に大きな町もなくゆっくりとドライブできた。途中、道の駅「しもにた」に立ち寄る。ネギとコンニャクの産地で有名であるが、生憎、ネギの生産は冬だけだそうで入手できなかった。 

10月3日(月):小雨
山梨県の広域が雨のため、遠出はせず、近傍を観光する。
 最初に元俳優の柳生博さんが経営を始めた八ヶ岳倶楽部を訪れる。洗練された商品が並んでいて見るだけでも楽しい。雑木林の中に洗練されたギャラリーがあり、何時も気鋭の作家の作品が展示されていて、一見の価値がある。
 小雨に濡れた林の中のギャラリーの佇まいがロマンティックな雰囲気を醸し出したのが印象的であった。

 次に清里名所の清泉寮を訪れた。天気良ければ秩父山塊、南ア、八ヶ岳などの山々が展望できる所であるが生憎の雨で展望はゼロであった。
ここの売店のソフトクリームが有名である。一度食したら、その濃厚な味の虜になるようである。
又、売店の土産物も洗練されていて楽しいショッピングが楽しめる。セレクトショップでは珍しいアメリカ製の小物が多数置かれていて、女性客に人気があるようである。
 ここのレストランのアットホームな雰囲気が大好きである。往時は夜も営業していて、賑やかであったがが、今は清里の退潮に伴い、客足が減少し、ランチだけの営業である。往時の面影そのままに、広々した木造の食堂で、ウエイターがサービスしてくれるのが嬉しい。

 次に小海線の清里駅付近の商店街を訪れてみた。1980年代には若いギャルが溢れていたファンシーな商店街が今や、殆どの店がシャッターを下ろしゴーストタウン化していた。
この景色は何処の駅前通りも同様であるが、往時の清里の賑わい、喧騒を思うと、その変化が極端で、一体全体「あれは何だったんだ」、「夢・幻だったのではないか」と言う感慨が大である。
 因みに、何回か訪れた北沢ガラス美術館も2012年に閉館となり、廃墟化は商店街だけでないのが寂寥感に拍車をかける。 

10月4日(火):晴れ
 朝起きて部屋のカーテンを明けると、久し振りに南アの雄姿が眼前に展開していた。
左から鳳凰三山、中央に北岳、右に甲斐駒ヶ岳の峰々が別れを惜しんでいるようである。
 
 帰宅の日であるが、帰るだけでは能がないので、途中、松原湖を見物し、その後、白駒の池の紅葉見物することにする。
 数年前に松原湖を訪れた時は銀杏が真っ黄色に黄葉し、銀杏を沢山拾ったのを思い出し、訪れてみたが、湖畔に人影はなく、白鳥の乗り物が虚しく係留されているだけであった。

 湖畔を過ぎ、R480の九十九折の道を上がって行き、メルヘン街道と呼ばれるR299との合流点にある売店に立ち寄る。ここは浅間山のビューポイントで人気の場所である。
下の方は雲がかかっていたが浅間山の雄姿が望め、別れを惜しむ。

 麦草峠近くの、駐車場は平日であるのに白駒の池観光客のバス、マイカーで満杯であった。丁度、紅葉が見頃とあって、休日ならば長時間の待機を強いられたことであろう。
駐車場から遊歩道は直ぐに原生林に入る。天気が良いせいか昼なお暗い原生林の雰囲気がないのが物足りない。

それでも、局所的には苔むした樹木、倒木などがあり、他所では見られない苔の森の風景が展開し、日本三大原生林の雰囲気を十分に味わえよう。
 

 遊歩道を20分位歩くと、白駒の池に着く。丁度、昼食時間であり白駒荘の周辺はハイカー、観光客で大賑わいであった。
湖面に紅葉の赤が反射し美しい景色が目を楽しませてくれる。過去、3回この池を訪れているが、始めて紅葉の見頃に遭遇した幸運を喜ぶ。

 二人だけの記念写真を撮ってもらう積りであったが人が一杯で、他の観光客も写り込んでしまったが、却って観光地の雰囲気がある良い記念写真になったようである。

 昼食は山小屋、白駒荘で野菜カレーを食す。大きな葉っぱが入っていた珍しいカレーだが、中々美味であった。座敷は中二階位の高さがあり湖面の眺めもよくゆったりと、楽しい一時を過ごせた。

 白駒の池を後にし、駐車場に戻り、売店を覗き、絵はがきなどを求めて予定の観光は無事終了である。
蓼科別荘地を通り抜け、茅野市街地でガソリンを補給し、諏訪ICで中央高速に乗り一路帰路に着き、5時半頃、無事に帰宅する。

旅の総括:
今回の清里旅行が最後になるであろうとの先入観があり、愛惜の念を持って、各所の風景、風物に接したためかとても印象的な旅となった。私の年齢を考えると再びこの地を訪れることはなかろうと思うと名残惜しい清里である。

諏訪大社は濃色蒼然とした荘厳で、神々しい佇まいで、日本の原風景を見る思いがした。
■世界文化遺産の富岡製糸場は、明治初期に於ける先人の工業化への情熱を今に伝えている遺構で必見の価値がある。
■80年代に起きた異常な清里ブームで、清里駅周辺は若者をターゲットにしたメルヘンチックで、ファンシーな店が軒を連ねていたが、今や殆どの店がシャッターを降ろし廃墟になろうとしている。あの喧騒は「何だったんだろう」との感慨が強い。
■標高2115mの高所にある紅葉の白駒の池の美しさ、池に至るまでの原生林、苔の森の神秘的な風景は筆舌に尽くしがたい素晴らしさである。観光客が多数押し寄せているので、自然破壊が懸念される。