G.G.の徒然山遊録

岐阜各務原市周辺の低山の山行記録、折々の雑感、書評などの雑文を記し、山に関する情報を提供します。

モミジアオイ(紅葉葵)~名は和風、姿は洋風

2016-09-17 | エッセイ

  我が家の庭の片隅に径15cm位の真っ赤な大輪の花が咲いているのに気付き家内に花の名を聞いたら「モミジアオイ」と言うそうである。名前は和風であるが、容姿はどう見ても洋風である。
「名は体を表す」というが、この花の場合は真逆なのが面白い。
   アオイというと高齢者の私が先ず思い浮かべるのは徳川家の家紋でお馴染みのフタバアオイやカンアオイであり、何れも花と言うには余りにも地味である。
一方、モミジアオイは北米原産の一日花でムクゲ、フヨウ、ハイビスカスの仲間であり、皆大輪で派手な花を咲かせ、フタバアオイやカンアオイとは全く別種であるそうである。
   モミジアオイは一見すると、派手であるが花弁はシンプルで愛らしく親しみやすく、花言葉も「温和」、「優しさ」などであるのが頷けよう。                                                                   [モミジアオイ]

                                       [フタバアオイ]                          [カンアオイ]


木槿のパワー

2016-07-08 | エッセイ

猛暑の中、何時もの散歩道をボンヤリと歩いていると民家の庭先にある満開の白い木槿が一本、青空をバックに艷やかな大輪を覗かせ、一瞬目が醒めたように感じた。
英名はRose of Sharonと優雅であり、旧約聖書にも出てくるそうである。
   日本では、一般に、朝咲いて夕にはしぼむ事から、「槿花一朝の夢」などとも言われ大事にされている。実際には、何日も咲き続けるものもあるそうであるが。又、茶花としても「一期一会」の象徴として親しまれているようである。
こう言うと何か高貴な花を連想しがちであるが、私はむしろ庶民的、開放的な感じを受ける。
   「それがしも 其の日暮らしぞ 花木槿」(小林 一茶)の句が、私の感じを旨く言い当てているように思う。
強い日差しを物ともせず力強く咲く姿は、最近の猛暑に辟易している後期高齢者の私を元気付け、もやもやした気分をリセットしてくれた。

 

 


初夏の探鳥会~老いを鮮明に自覚する

2016-06-14 | エッセイ

麗しの新緑に誘われて、久し振りに6月12日開催の探鳥会に参加した。場所は岐阜市の最高峰、百々ヶ峰の北側、三田洞弘法近くの「ながら川ふれあいの森」である。
集合場所の駐車場は百々ヶ峰ハイキングの基地であり、高齢のハイカーで賑わい、三々五々登山姿で颯爽と出発して行った。

 

 当日の参加者は探鳥会の講師も驚くほどの盛況で50人位で、子供が3人いたが、殆どが高齢者である。そこで2班に分けて出発した。
 
   目当ての鳥はホトトギスとサンコウチョウである。
但し、ホトトギスは、声は良く聞こえるが、姿をみるのは至難だそうである。
講師や聴力の良い人は鳴き声を聴いたそうであるが後期高齢者の私は聞き取れなかった。
   ヤブサメと言う雀に似た鳥は虫のように「シシシ」と鳴くそうで講師などには何回も聞こえたが、やはり私は駄目であった。
サンコウチョウは声も、姿にもお目に掛からなかったようである。
   2時間ほど鳥の習性などの話を聞きながら、鳥を求めて“まったり”と森の中を歩き最後に鳥合わせを行い、観察した、或いは声を聞いた鳥を確認した。全部で22種もあったそうである。
   私が確認できたのはウグイス、ヒヨドリ、カラス位で、若い人に較べて、目と耳の悪さを思い知らされ、歳は争えないと寂しい気分になった。
   日頃、月に数回も登山をし、7,8時間も歩け、スポーツジムにも通い、人並み外れて元気であると自負していたが、確実に老いてきている事実を鮮明に自覚したのは大きな収穫でもある。
   他方、探鳥の成果は芳しくなかったが、小鳥を求めて新緑の林の中を気持よく、ゆったり歩き、清々しい気分になれるだけでも、大変に幸せで、大いに感謝しなければならない。
    これからも、鳥は二の次にして、この細やかな幸せを求めて折節、探鳥会に参加したいと思っている。


高齢者のカラオケ考

2016-04-28 | エッセイ

   27日、料金が安い平日の昼間にカラオケSHIDAXに爺(じじい)、3人で出掛けて、主に30~40年前の
演歌を24曲、歌いまくってきた。こんな形態でのカラオケは始めての経験である。
   普通、カラオケと言うと宴会の後の二次会が定番であり、大勢のため、一人、数曲が精々であり、
歌好きには消化不良気味であるが、今回は存分に歌え、大満足であった。
   高齢者の爺にカラオケは不釣り合いの感が無くもないが、我々の年齢になれば天下御免で、
今更、人目を気にすることも無かろう。
メンバーが同世代、同性、気心の知れた者同士であるので、選曲の好みや、多少の上手・下手の
違いはあっても気にならず、世代・性別のギャップを感じず、無礼講で、芯から楽しめ、とても愉快であった。
   少々のビールで喉を潤し、伴奏をしっかり聴き、歌に集中することは認知症予防になり、ストレスが発散し、
更に、腹から声を出すので腹筋の運動にもなり、カラオケは「一石三鳥の娯楽」と言えよう。
   又、高齢の男性は女性に比べ、社交性に欠け、兎角、家に閉じ篭りがちな人が多いが、
この傾向を改善する一助にもなろう。
   以上の様なメリットがあるので、これからも新曲に挑戦して、レパートリーを少しずつ広げ、適時、カラオケに
親しみ、心身の活性化を図りたいと思う。

 


徒然草とブログ~ブログの勧め~

2016-01-23 | エッセイ

■徒然草の名言より:
おぼしき事いはぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ・・・”(徒然草、第19段)。
現代語訳すれば“思ったことを言わずにいると腹が張ったような気分になるので、
筆にまかせて・・・”と言うことで書いたのが徒然草である。
   ここで良くわからないのが“腹ふくるるわざ”の部分である。“腹が膨れる“と言えば、原因は”“食べ過ぎ”か
“消化不良”のような生理現象を連想してしまう。ここで言わんとしていることは“生理現象”でなく
心理的現象”で、今風に言えば“胸に何かつかえる”“気持ちがスッキリしない”“気持ちの整理がつかない”
”モヤモヤしている”と言うことになろうか。
   そう解釈すると、兼好法師の言わんとすることが腑に落ちる。
日頃、思っていること考えていること感じていること人に伝えたいことなどを何時迄も自分の頭の中に
仕舞っておくと、頭の中はモヤモヤして、重苦しい気分になってくるので、気分をリセットしたくなる。
■気分のリセット手段:
   気分をリセットするには、頭のなかに仕舞ってある事を“人に話す”“手紙やメールで人に伝達する”
日記やパソコン(PCなどに書き出す”などの手段で外部へ伝達すれば良い。
然し、伝達するのに適当な知人・友人がいない時は困る。又、日記やPCなどは無機質で、反応がなく、
孤独感が強く、自己満足に留まり、その分、リセット力が弱い。
   幸い、現在は“ブログ”“SNS(ツイター、フェイスブック)”などの情報伝達手段があり、無料で、老若男女
誰でも、自己の情報を容易に(多少テクニックが必要であるが)、素早く、不特定多数の人に向けて
発信することができる。
伝達する相手は一人よりも不特定多数の方がリセット力は大きいと考える。
何故ならば、相手からの返事を期待しているわけでなく、Webを炎上でもさせないかぎり、多数の人が当方の
思い、考え、言いたい事などを少なくとも読んでくれるからである。
■ブログの勧め:
 次に“ブログ”と“SNS”のどちらが、リセット力が強いか比べてみよう。
ブログ”は長文が書け、プロバイダーが倒産しないかぎり何年でも保存され、検索が可能であり、情報の
受け皿のツールとしては申し分なく、リセット力も強い。
  一方、“SNS”では短文しか書けず、直に消滅してしまい記録が残らず、従って検索もできず、
情報の受け皿としては貧弱で、その分、リセット力も弱い。
 という訳で、今でも“ブログ”は優れた情報発信ツールであり、長期保存され、精神衛生にも良く
更に、知的活動である為、痴呆症の予防にもなるので、大いに有効活用することをお勧めしたい。
■あとがき:
 こんな戯れ言でも真面目な顔をして書いていると、徒然草の序段に書かれている感慨が思い出され、
我ながら可笑しくなってくる。 

“つれづれなるままに、日くらし、硯(現代なら差し詰め、PC?)にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、
そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。”(徒然草、序段)

 大寒のこの時期、「冬ソナ ストリート」のメタセコイア並木が、すっかり葉を落とし、じっと寒さに耐え、
来るべき春を待っている。私達も来るべき時に備えて、エネルギーを貯えておきたいものです。