カトリック西仲勝(にしなかがち)教会(アシジの聖フランシスコ)
カトリック古田町教会の巡回教会
1949年(s.24)、オーバン神父がはじめて福音宣教を行う。1950年(s.25)、最初の信者5名が誕生、翌年27名が受洗。
1951年(s.26)、カプチン会により聖堂が完成、「アシジの聖フランシスコ」を保護者に献堂。 (『奄美100年』から一部抜粋)
隣には「ショファイユの幼きイエズス修道会」の西仲勝修道院がある。ハンセン氏病の両親から生まれた未感染児を養育する「天使園」で働いたのもこの修道会である。 (古田町小教区創立記念誌から一部抜粋)
「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。」 (ルカ 5:13)
1973年(S.48)12月2日、マルコ神父と信者たちにより聖堂が落成、献堂。糸永司教により祝別、「聖クララ」に奉献。
1989年(H.11)12月14日、河川拡張工事に伴い聖堂を撤去。
1990年(H.2)6月10日、ログハウス様式の聖堂が落成、献堂。糸永司教を迎え祝別、献堂式を機に「大和教会」と名称を改める。 (以上「奄美100年」から抜粋)
建物のある場所は、大和村思勝(おんがち)にある、思勝には僕の従兄が住んでおり、川を隔てた隣の大和村大和浜(やまとはま)は僕の母の生家で、現在従姉が住んでいる。思い出の教会でミサの奉仕ができたことに感謝!
「 命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。」 (詩編 23:6)
カトリック瀬留教会(聖ヨせフ)
1908年(M.32)12月8日、ブイジュ神父たちの努力で聖堂が完成、聖ヨセフを保護聖人として祝別献堂。戦災に会ったが1949年(S.24年)7月16日アグネラス神父が着任、聖堂の修築を行う。
1987年(S.62年)3月15日、聖堂、司祭館の大改修工事が完成、糸永司教により祝別、現在に至る。(奄美100年から一部抜粋)
2008年12月7日、7百数十人の参加者を迎え献堂100周年の記念ミサと盛大な式典が行われた。ミサの前に、レヒナ神父さん作の新しい木製の祭壇と朗読台が郡山司教により祝別された。100周年記念に、高さ12.8mの鐘楼が建設され朝、夕、集落中にお告げの鐘が鳴り響いている。
聖堂が国の「登録有形文化財」になった証のプレートも町長から渡された。
「 主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み。」 (詩編 111:4)
カトリック大熊(だいくま)教会(ファティマの聖母)
1894年(M.27)8月15日、奄美で最初の教会が建てられた。1938年(S.13)、迫害により聖堂解体、名瀬に運ばれ、三方村役場公舎となる。仮聖堂を経て、1953年、神父と信徒の奉仕作業により、奄美で戦後最初の鉄筋木材コンクリート造りの聖堂完成、(以上『カトリック奄美100年』から抜粋)
旧聖堂老朽化の為2001年6年29日、現在の冷暖房を完備した聖堂が完成。鐘楼からはお告げの鐘が集落中に鳴り響いている。故障の時には、未信者の方から、「鐘が鳴っていませんよ」と連絡が入る。聖堂にはいつも主任司祭の活ける花が飾られている。
大熊小教区からは、司教を始め多くの聖職者が出ている。
「わたしを迫害する者、苦しめる者は多いが、わたしはあなたの定めから離れません。」 (詩編 119:157)