じゅんやの喜界島便り

カトリック信仰による救いと癒しを発信

奄美のカトリック教会15

2010-03-28 12:02:06 | 建築

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カトリック小湊(こみなと)教会(聖アンナ)

 カトリック古田町教会の巡回教会

1958年(s.33)、コンベンツアル会により聖堂が落成献堂。

1959年(s.34)、3月28日、80名が集団洗礼。

1971年(s.46)5月30日、現在の聖堂が落成。 (『奄美100年』から一部抜粋)

  「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』」 (マタイ  25:45)


戦後初のミサ

2010-03-20 16:32:20 | 建築

Dsc06190 Dsc06189 Dsc06188 名瀬の仮聖堂跡地

「1947年(昭和22年)9月15日この仮御堂跡地で戦後初の公式ミサが捧げられた」と書いたプレートが和光トンネルの上り口の土台の横に埋め込んであった。

普段通る道では無いので、今まで全く気付かなかった。

「これらの建物はすべて内側も外側も、土台から軒まで、また外庭から大庭まで、寸法を合わせて石のみで切り整えられた貴重な石で出来ていた。」 (列王上 7:9)


奄美のカトリック教会14

2009-11-30 11:22:05 | 建築

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カトリック西仲勝(にしなかがち)教会(アシジの聖フランシスコ)

 カトリック古田町教会の巡回教会

1949年(s.24)、オーバン神父がはじめて福音宣教を行う。1950年(s.25)、最初の信者5名が誕生、翌年27名が受洗。

1951年(s.26)、カプチン会により聖堂が完成、「アシジの聖フランシスコ」を保護者に献堂。 (『奄美100年』から一部抜粋)

隣には「ショファイユの幼きイエズス修道会」の西仲勝修道院がある。ハンセン氏病の両親から生まれた未感染児を養育する「天使園」で働いたのもこの修道会である。  (古田町小教区創立記念誌から一部抜粋)

 「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。」 (ルカ  5:13)


奄美のカトリック教会13

2009-09-30 08:41:59 | 建築

Dsc03133 Dsc03136 Dsc03140 Dsc03137カトリック根瀬部(ねせぶ)教会

 信徒が少なくなり、カトリック小宿(こしゅく)教会の集会所として利用している。

 1900年(M.33)、ハルブ神父が宣教開始、1960年(S.35)8名が受洗、根瀬部最初の信徒が誕生。1962年(S.37)8月15日、聖堂が落成献堂、「愛すべき聖母」に奉献。 (『カトリック奄美100年』から一部抜粋)

 県道を挟んで向側にはきれいな南国の海が広がっていた。

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 「 わたしは兄弟たちに御名を語り伝え、集会の中であなたを賛美します。」 (詩編 22:23)

 


奄美のカトリック教会12

2009-09-10 16:19:13 | 建築

Dsc03120 Dsc03115 Dsc03116 Dsc03113 カトリック戸円(とえん)教会

 カトリック小宿(こしゅく)教会の巡回教会、毎月第三、第五土曜日にミサがある。

1921年(大正10年)宣教開始、1985年(昭和60年)戸円教会が落成、糸永司教により祝別、無原罪の聖母に奉献。

  「 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。」 (ルカ  1:38)


奄美のカトリック教会11

2009-06-04 10:47:06 | 建築

Dsc03058 Dsc02319 カトリック知名瀬(ちなせ)教会(聖フランシスコ・ザビエル)

小宿教会の巡回教会

1899年(M.32)4月、ハルブ神父により聖堂が完成。「聖フランシスコ・ザビエル」を保護者として献堂。

1948年(S.23)4月、カプチン会が旧司祭館を修復して仮聖堂とする。

1970年(S.45)8月9日、コンベンツアル会により新聖堂が落成献堂、糸永司教により祝別「聖フランシスコ・ザビエル」を保護者として奉献、現在にいたる。(カトリック奄美100年から一部抜粋)

シオンにいます主をほめ歌い、諸国の民に御業を告げ知らせよ。 (詩編  9:12)


奄美のカトリック教会10

2009-05-17 11:31:07 | 建築

Dsc03086_2 Dsc03076 Dsc03078_2 Dsc03082Dsc03087カトリック大棚(おおだな)教会(ロザリオの聖母)

1961年(S.36)7月11日、コンべンツアル会により聖堂が落成献堂、里脇司教により祝別、ロザリオの聖母に奉献。(カトリック奄美100年から抜粋)

2007年11月、老朽化していた聖堂を修復し、祭壇正面にはイコンの壁画、聖堂内部は天井を外し、ログハウス風に改造。外には以前使っていたアンジェラスの鐘を 設置した。

「あなたは御自分の息を送って彼らを創造し、地の面を新たにされる。」 (詩編104:30)


象の檻

2009-05-15 19:00:25 | 建築

Dsc03679 喜界島の川嶺(かわみね)集落の山の上に直径約200mの通称「象の檻」と呼ばれる巨大なアンテナがある。傍受のみで島のテレビ、ラジオに害になるような電波は発していない。詳細は不明。Google で航空写真を見ることができる。

 「あなたの衣はすべて、ミルラ、アロエ、シナモンの香りを放ち、象牙の宮殿に響く弦の調べはあなたを祝う。」 (詩編  45:9 )


奄美のカトリック教会9

2009-05-04 16:11:04 | 建築

Dsc01581 Dsc01580 Dsc03061 カトリック大和(やまと)教会(聖クララ)

1973年(S.48)12月2日、マルコ神父と信者たちにより聖堂が落成、献堂。糸永司教により祝別、「聖クララ」に奉献。

1989年(H.11)12月14日、河川拡張工事に伴い聖堂を撤去。

1990年(H.2)6月10日、ログハウス様式の聖堂が落成、献堂。糸永司教を迎え祝別、献堂式を機に「大和教会」と名称を改める。 (以上「奄美100年」から抜粋) 

建物のある場所は、大和村思勝(おんがち)にある、思勝には僕の従兄が住んでおり、川を隔てた隣の大和村大和浜(やまとはま)は僕の母の生家で、現在従姉が住んでいる。思い出の教会でミサの奉仕ができたことに感謝!

 「 命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。」 (詩編 23:6)


奄美のカトリック教会8

2009-04-29 20:37:07 | 建築

Dsc03155_2 Dsc04728_5 Dsc03154 Dsc03156                    カトリック小宿(こしゅく)教会(王であるキリスト)

1953年(S.28)カプチン会が木造の仮聖堂を建設。1973年(S.48)12月2日、現在の聖堂が落成、献堂。糸永司教により祝別され「王であるキリスト」に奉献。(奄美100年から抜粋)

同じ敷地内に聖堂、ルーシン館、司祭館、集会場がある。この敷地はある信徒の生家跡である。

小宿教会の巡回教会として、知名瀬(ちなせ)、大棚(おおだな)、大和(やまと)、戸円(とえん)教会、集会所として根瀬部(ねせぶ)教会がある。

「主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り、聖なる山に住むことができるのでしょうか。」 (詩編15:1 )


奄美のカトリック教会7

2009-04-23 21:20:55 | 建築

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カトリック古仁屋(こにや)教会(聖ジェオルジオ)

1923年(T.12)から宣教を始め、1958年(S.33)仮聖堂建設を経て、1967年(S.42)、10月10日、コンベンツアル会により聖堂と修道院が完成、里脇司教により祝別、「聖ジョルジオ」を保護者として献堂。

巡回教会として西亜室(にしあむろ)教会、山間(やんま)教会がある。

「 そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」 (一コリント15:14) 


奄美のカトリック教会6

2009-04-18 22:00:22 | 建築

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カトリック嘉渡教会(使徒聖ペトロ・聖パウロ)

1923年(T.12)7月29日、聖堂落成、祝別。

1951(S.26)、カプチン会により現在の聖堂が完成。 (奄美100年から一部抜粋)

現在は瀬留教会の巡回教会になっている。

パウロ年の巡礼教会に指定されており、聖堂の壁には横断幕が掲げてある。嘉渡は僕の祖母の実家でもある。

 

「人々が深い御恵みを語り継いで記念とし、救いの御業を喜び歌いますように。」 (詩編  145:7)


奄美のカトリック教会5

2009-04-08 10:09:31 | 建築

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カトリック瀬留教会(聖ヨせフ)

1908年(M.32)12月8日、ブイジュ神父たちの努力で聖堂が完成、聖ヨセフを保護聖人として祝別献堂。戦災に会ったが1949年(S.24年)7月16日アグネラス神父が着任、聖堂の修築を行う。

1987年(S.62年)3月15日、聖堂、司祭館の大改修工事が完成、糸永司教により祝別、現在に至る。(奄美100年から一部抜粋)Dsc02100

2008年12月7日、7百数十人の参加者を迎え献堂100周年の記念ミサと盛大な式典が行われた。ミサの前に、レヒナ神父さん作の新しい木製の祭壇と朗読台が郡山司教により祝別された。100周年記念に、高さ12.8mの鐘楼が建設され朝、夕、集落中にお告げの鐘が鳴り響いている。

聖堂が国の「登録有形文化財」になった証のプレートも町長から渡された。

主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み。」 (詩編  111:4)


奄美のカトリック教会4

2009-03-26 22:01:24 | 建築

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浦上教会(ルルドの聖マリア)

1895年(M.28)最初の聖堂が落成献堂

1948年(S.23)台風で聖堂崩壊、仮聖堂建築

1963年(S.38)5月26日、第二代聖堂が落成献堂

区画整理により、第二代聖堂を取り壊し、1984年(S.59)7月15日、第三代聖堂が落成献堂

庭が学校の校庭ほどの大きさで、現在は市民に開放されている。

 「主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。」 (詩編84:3)


奄美のカトリック教会3

2009-03-17 10:03:39 | 建築

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カトリック大熊(だいくま)教会(ファティマの聖母)

1894年(M.27)8月15日、奄美で最初の教会が建てられた。1938年(S.13)、迫害により聖堂解体、名瀬に運ばれ、三方村役場公舎となる。仮聖堂を経て、1953年、神父と信徒の奉仕作業により、奄美で戦後最初の鉄筋木材コンクリート造りの聖堂完成、(以上『カトリック奄美100年』から抜粋)

旧聖堂老朽化の為2001年6年29日、現在の冷暖房を完備した聖堂が完成。鐘楼からはお告げの鐘が集落中に鳴り響いている。故障の時には、未信者の方から、「鐘が鳴っていませんよ」と連絡が入る。聖堂にはいつも主任司祭の活ける花が飾られている。

大熊小教区からは、司教を始め多くの聖職者が出ている。

「わたしを迫害する者、苦しめる者は多いが、わたしはあなたの定めから離れません。」 (詩編 119:157)