「村田新八(1836年~1877年)の修養の碑」。
喜界島郵便局のすぐ裏手、湾小学校の校門へ通じる道の傍の民家に碑があった。
村田新八は幕末の薩摩藩士で、「島津久光の激怒を被り、西郷隆盛は徳之島へ、村田新八は喜界島へ(1862年)流され喜島家に預けられた。2年後(1864年)西郷と一緒にに許され、西郷が薩摩へ帰る時に一緒に帰った。」(説明書きの要約)
碑は小学校の生徒に見えるように屋敷の裏手に建てられ、正門へ通じる母屋のあった所は、当時の石垣が残り、現在果樹園になっている。
「 あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。」 (詩編4:4)
村田新八が喜界島に来ていたとは知りませんでした。
「怒っても罪を犯してはならない。」
-はい、こころに刻みます。
「静かに自分のこころに語りなさい。」
-どうか、今日そうできますように。
30年くらい前だと思います。浦上教会の庭で 御復活のころ、運動会がおこなわれていました。懐かしく思い出しました。
驚き、感激しました~。何だか嬉しいのです。
そんなこともあり、久しぶりに喜界島の話を義母としました。
村田新八の話も聞きました。
素晴らしい方です・・。
おじさまのこちらのページ、お友達に紹介しました。
これからも お身体に気をつけて充実した毎日を!