![和太鼓](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/83/de0395770e16ee29a94e2b058add1aaa.jpg)
保育園から始まった和太鼓。月に二回の練習だが、地域のイベントがあるたびに和太鼓を叩いている。ハッピ姿で揃えた服装をみるとなかなかやりそうである。今日はとてつもなく暑いのであるが、子供たち頑張る!!!
以前に山を見に行った奈良の天川村。誘ってもらった設計事務所の人と天川村の森林組合との話で具体的に行動していこうということになり、10月に見学ツアーを開催することになった。とにかく実際に山を見てもらってスギの木のよさを知ってもらおうということである。天川村は大阪からでも車で2時間ぐらいで行けるところで、世界遺産の大峯山、天河の大辨財天、洞川温泉もあり、日本100名水のゴロゴロ水など観光地としても有名である。
1泊2日のツアーで最初なので少人数でと考えています。問題はどうやって一般の人たちに告知できるのか、どうやって人を集めるか、なのですね~。費用を使えばどうにでもなるのですが、森林組合もこちら側の設計事務所にも費用の捻出が難しいのが実情です。なんとか国産材の吉野杉でもある天川村のスギを知ってもらって使って欲しいと思っています。環境に対してもいいことだし、林業の活性化にも役立ちますし、植林された木を使うことは良いことばかりなのです。
10月20日、21日がツアー予定なので、9月の中頃には募集をかけないといけない。そう考えると、時間があまりない。ボクのほうでも何か対策を考えないといけない。
来週の月曜日で専門学校の前期日程が終了。今日がボクの担当している科目の最終日で前期講義終了。来週の火曜日に試験監督をして夏休みに入る。この期間に仕事の遅れを取り戻さねば~。後期の講義は週に1日だけになるのでかなり楽になる。やはり、人に教えるにはそれなりに予習が必要なので時間を取られる。それとよく思うのだが、人前で話をするとかなり疲れる。これも年のせいでしょうか?
来期は2級建築士の受験対策としての建築基準法などの建築法規という科目を受け持って欲しいと打診があり、5回だけなので受けようと思っている。ただ、これもまた、人に教える限り、勉強しなければならない。図面などはいつでも教えられるのだが、座学は見直しておかないと、間違ったことをいえないので~。
話はかわるが、先日、協働事業提案でプレゼンしたプロジェクトがどうやら成案化されそうな気配である。正式な発表は8月末ですが、9月から担当課と会議が設けられているのでそれなりに準備をしておかなければいけない。プロジェクトを実行していくには絶対にマンパワーが必要なので、人材確保も重要になってくる。
またまた話は変わり、最近よく思うのであるが、どうも何事も 準備=備える ということが大切なようである。実はボクはこれが苦手。期限ギリギリにしか動かない傾向があり(計画性がないだけ?)、コツコツ着実に進んでいくというのがなかなか出来ない性質のようである。設計事務所など細かそうなことを仕事としているとそんなことは当たり前にやっていそうなものであるのですが・・・。ただ、やり始めるとかなり集中してやるので一気にやってしまいます。やり始めるまでに時間がかかるだけです・・・。
どうも、先を見越してそれに備えることは大切なことのようです。これが出来るようになるとしっかり前に進めるように思います。備えるということは先を予想することであり、様々なことにも対応できるようになります。これにも時間的な考え方があり、すぐ先のことにたいして備えることと、5年10年先を見越して備えるという、大きく分けて2種類あると思います。後者の方は自分のビジョンが必要であり、5年なら5年で軌道修正しなければいけないこともでてくる。 「何をしたいか」、これが最も重要なこと。
「何がしたいか」を明確に決めている人はすごいことだと思う。これがなかなか出来ない。ボクなんかも設計事務所を開業したいという思いがあり、実際に開業したのであるが、その後のビジョンが定まらない。設計をしたいことから、手法や手段として設計事務所を仕事としてしているが、もっと本質的なことを考えていかないといけない。
ん~どうも堅苦しい話になりましたが、ようは美味しいご飯が食べられて、楽しく仕事ができて、面白く人生を生きて生きたい~そんなに世間は甘くない?そうは思っていますが、平均寿命から言うと半分以上過ぎ去っていますし、欲張ってみたいじゃあないですか!成せばなる、ならなくても気持ちは明るく気分は楽しくしていきたいものです。そのためにはコツコツと・・・気分が滅入りそうですが~。
新聞に元関脇寺尾氏のコラムが載っていて、その中に好きな言葉として海軍大将、山本五十六の有名な言葉がけいこ場に飾ってあると書いてあった。いい言葉なので、紹介しておきます。
「苦しいこともあるだろう。云い度い(いいたい)こともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である」
ここでの「男」 というところを 「人」 と置き換えると時代を超えた普遍的な言葉だと書いてあった。修行をつんでいく世界などはまさにそうだと思う。今は大分変わったが、設計の世界などもそういう面があった。所長が言ったので図面を書き直したが次の日には全然違うことを言う。そんなときでも言いたいことをぐっとこらえてまた書き直したりした。
理不尽なこともあったが、それを辛抱してやってきた。これがいいことなのか、もっと自己主張をしたほうがいいのか、わからない。ただ、いえることは いい建物を設計したいということだけだった。見積もりの出る前の設計の変更は 設計事務所の儀式のようなものであり、変更が当たり前だと思っていた。
20代は休みの日には建物を見に行き、展示会、講演会など様々なことに貪欲に顔を出した。30才で開業してから十数年。その当時は学校に教えにいったり、セミナーの講師をやるようになるとは全然想像できなかった。これがいい方向に向かっているのか、自分のするべき方向と違っているのか、自分ではわからない。しかし、師匠はいう、「今やっていることは偶然のことではなく、必然なのだ」 「だから一生懸命やらないといけない。」 そうなんだろうと思う。そういう強い意志がないと先に進めない。迷っている場合ではない。
話が長くなってしまったが、話をもとに戻すと、寺尾氏が書いているように人というのは 「こらえてこそ成長」 する部分は大きいと思う。そしてあるレベルまで到達すると、何かに導かれるように思いもよらない道が用意されているようだ。そう、「こらえる」=「辛抱」ということは辛いことだけでなく、その先に何かが待っているはずである。その何かは人に幅と奥行きをもたせるような気がする。それが成長の証、生きていくうえでの面白さであるように思う。
辛抱(こらえる)という言葉は、時代おくれの言葉のように思われているが、そうではないと思っているので、今回は少し真面目に書いてみた。大切な言葉だと思う。