愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

日本文化の再確認その④

2015-06-20 23:22:44 | 今に生きる

日本文化の再確認その④

『礼に始まり、礼に終わる』

「礼」は、日本の日常、非日常に拘わらず当たり前のことで、日本文化の特徴に

なっております。その礼の対象は、道場や教室、会社等の建築物に及びます。

道場に出入りするとき一礼することは珍しくもなく常識です。

これは道場の神棚にお祭りされている神様や師範、道場生に対する礼儀でも

ありますが、道場という場(=モノ)に対する礼儀でもあります。

他所の家を訪問して、礼をしない方はいらっしゃらないと思いますが、

最近は、挨拶もそこそこに礼を省略する方もおります。

それでも、結婚をしたい時、相手の家にご挨拶に伺う時は、緊張しながらも

しっかり礼をして挨拶をします。

オリンピック競技などの会場でよく見る光景ですが、

日本人はその場に入る時決まって一礼をして入ります。

柔道や剣道などは当たり前の光景ですが、以前は陸上競技では見なかった

ことで最近テレビで見たのが、陸上の100メートルでしたか、

ある男子が一礼してトラックに入ってスタートラインに立ったのです。

珍しかったのか解説者がコメントしていました。

またそのことで思い出すのが、1995年にプロテニスの松岡修三選手が

英国ウィンブルドンで準決勝まで勝ち上がり、王者サンプラス選手と対戦した

試合があります。試合途中まで松岡選手が優勢でしたが、観客のほとんどは

白人です。大多数が劣勢のサンプラス選手を応援し始めました。

熱烈な応援のせいか、サンプラス選手は徐々に調子を上げてきて、ついに

松岡選手を下しました。

しかし、負けた松岡選手はコートからの去り際に、コートに向かって

深く一礼しました。

その直後、大観衆が松岡選手の凛とした潔い後姿に大声援を送ったのです。

ウィンブルドンのセンターコートには大和魂のが垣間見られました。

その姿は、習慣のない外国の人々にも魂を揺さぶられたのでしょう。


最近は、小さい子供から大人まで礼儀が出来ていないのが目につきます。

公共の場こそ、その姿が試されています。

誰かが見ている、見ていないに関係なく礼儀が出来ていると、

その内面の精神が芯の通った美しいものであると感じます。


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