川根両国車両区の上に懸かる両国吊橋より、東の大井川と県道77号線の両国橋を見ました。日は既に西に傾いていて、まだ14時半にもなっていないのに、夕方が近いような雰囲気になっていました。
川根両国車両区の見学は終えたので、道を引き返して井川線沿いの上の車道を千頭駅へ向かって歩き出しました。
道から左手にずっと線路が見えていて、上図の川根両国駅も見えました。さきに見た貨車も全部見えました。
川根両国駅を見下ろしてから350メートルほど歩くと道はT字交差点となって左右に分かれました。線路沿いにたどる積りなので、左折して線路の上を渡る陸橋に向かいました。
上図はT字交差点から東をみたところで、井川線の線路と側線の南端、それらをまたぐ陸橋、そして側線に留置される3輌の車輌が見えました。貨車2輌と客車1輌でした。
貨車2輌は、cワフ0形と呼ばれる大井川鐡道専用の有蓋緩急車でした。cワフ0形は、昭和二十八年(1953)12月に4輌が日本車輌製造で製造され、大井川鐡道にて貨物輸送に使用されました。
側線にあった2輌の車番は、cワフ1、上図のcワフ4でした。いま現存する2輌です。あとの2輌、cワフ2とcワフ3は井川線での貨物輸送が終了した後、平成26年に廃車となり、平成30年に群馬県の旧国鉄吾妻線太子支線の太子駅跡地の公園へ移されて静態保存されています。
その旧国鉄吾妻線太子支線の太子駅跡地の公園というのが、実は、今ゆるキャン原作の連載が進んでいる群馬キャンプ編の野反湖ルートの途中にあります。各務原なでしこ、斉藤恵那、瑞浪絵真のトリオが立ち寄るシーンがひょっとしたら描かれるのかもしれない、とひそかに思っております。
客車1輌のほうは、御覧の通りのボロボロで汚れまくっていて見るに堪えない状態でした。これもう廃車になってるんだろうな、と思いつつ、陸橋を渡りながら見下ろして反対側も見ました。
とりあえず、車番を確かめてみようと扉の脇あたりを探しました。
スハフ503、と読めました。思った通り、既に廃車となっていたスハフ500形客車の3号車でした。
スハフ500形は、中部電力専用線が昭和三十二年(1957)に大井川鉄道井川線として旅客営業を開始した後の観光客増加に対応するための増備車で、cトキ200形を改造して3輌が両国車両区にて製造されました。
その後、スハフ502が平成二十三年にスロフ317に改造され、スハフ503は平成二十七年に廃車となって現在に至っています。最後まで休車となっていたスハフ501は令和三年にスロフ318に改造されたため、スハフ500形は書類上は形式消滅となっています。
ですが、廃車後もスハフ503がこうして残っているので、書類上は存在しないことになっているスハフ500形が実在しているのだと確認出来ました。いずれは解体されるのか、それともスハフ501のようにスロフ300形に改造される予定なのかは分かりませんが、しばらくはこのボロボロの状態で留置されるようです。
これで川根両国駅からの側線上の留置車輛も全て確認し、井川線における全ての車輛の現状を把握しましたので、あとは線路に沿って千頭駅へ戻るだけとなりました。県道77号線に出て大井川を左にみながら、井川線の上を高架橋形式で通る歩道を歩きました。
悠々たる大井川の景色。
井川線の横を千頭駅まで通っていた側線は大部分が廃止撤去されていますが、その面影が上図の橋梁部などにしのばれました。昔はこの側線上を千頭駅から川根両国駅までSL牽引の観光列車が走っていたりしたそうです。
県道77号線の川根大橋のたもとまで来ました。大井川によって東西に隔てられる川根本町の中心街区を結んでいる要衝の鉄橋です。ここまで来ると、千頭駅までは200メートルぐらいとなります。 (続く)