ゆるキャン群馬キャンプ編の安中市エリア聖地巡礼、「アプトの道」の続きです。国道18号線旧線から連絡路の階段を引き返して、第三橋梁「めがね橋」の上に戻りました。上図は横川方向を見た図で、奥の暗がりのなかに第五トンネルがうっすらと見えます。
橋から下の国道18号線旧線を見下ろしました。横断歩道の向こうが、瑞浪絵真がスマホで「めがね橋」を撮った位置です。横断歩道の左側に橋があり、下を碓氷川が流れて碓氷湖に注いでいます。
第三橋梁を渡りつつ、後ろを振り返って第六トンネルを見ました。
再び振り返った際に、第六トンネルの右側つまり北側にも、信越線新線跡のトンネルがあるから見えるかな、と思って探しましたが、見えませんでした。
ですが、信越線新線跡の橋梁は見えました。地図で見ると隣にある感じでしたが、実際には少し離れていました。
信越線新線跡の橋梁部分をデジカメの望遠モードで撮りました。
この新線は、昭和三十八年(1963)7月に旧線のやや北側をほぼ並行するルートで開通し、旧線同様に最大66.7パーミルの急勾配を昇降するべく、一般的な車輪による粘着式運転を行ないました。そのために直流1500V・架空電車線方式に変更しました。
その後、昭和四十一年(1966)2月に旧線の一部を改修工事する形で最大66.4パーミルの新線がもう1線開通し、これをもって横川駅から軽井沢駅までの全区間の新線が複線化されました。
なので、上図の新線跡の橋梁も二つ見えました。これらの新線も平成九年の北陸新幹線開通に伴って廃止されています。
第三橋梁を渡った後、脇の平場から橋を見下ろしました。どこから見ても立派な姿です。
それから第五トンネルをくぐり抜けました。
この碓氷第五トンネルは、明治二十五年九月の竣功で、全長は約242メートルです。御覧のようにポータルも本格的に造られており、笠石、帯石、ピラスター、ウイングの基本パーツが揃っています。ウイングの外側に石積みの擁壁が加えられています。
第五トンネルから第四トンネルを見ました。ほぼ真っすぐなので、第四トンネルの向こうに第三トンネルも見えました。
こういうトンネルの連続は、Nゲージのジオラマにしても楽しくてワクワクしてしまいます。いま少しずつ製作している大井川鐡道井川線のジオラマにも、こういった感じで三つのトンネルを置くモジュールを計画していますが、ここの景色がとても参考になりました。
第四トンネルを抜けてきました。この碓氷第四トンネルも明治二十五年九月の竣功で、全長は約100メートルです。ポータルの造りは先の第五トンネルと共通ですが、レンガでなく石材を使用して構築されています。レンガと石材の使い分けの基準はどのようだったのでしょうか。
第四トンネルの横川側に、上図の道標が立っています。
道標の横から、すぐ下を通る国道18号線旧線への連絡路が伸びています。そういえば、横川駅から乗ったタクシーの運転手さんの熱心な説明のなかに「あそこで降りて、第四トンネルから「めがね橋」まで歩いていかれる方もいらっしゃいますよ」というのがありました。その降りる場所がここであったわけです。
続いて第三トンネルに進みました。これのポータルも石材を積み上げて造っていますね・・・。アーチ部分だけをレンガで造り、その巻厚(まきあつ・覆工の厚さ)は四層です。
第三トンネルを抜けました。この碓氷第三トンネルは明治二十五年九月の竣功で、全長は約74メートルです。こちら側のポータルも石材造りです。第四トンネルと同じ造りであるようで、スパンドレル部分が狭いのが特徴です。
しかし、こうした標識がどのトンネル、橋梁でも横川駅側にのみ立てられているのは、何とかなりませんかね・・・。「アプトの道」を歩く観光客の殆どが横川駅側から進んで、長い急こう配の道を登ってくるから、こういうふうになっているのだろうと思います。
ですが、今回の私のようなゆるキャン巡礼者は、まず間違いなく反対側の熊ノ平駅からスタートして、最短でも碓氷湖畔カフェの横から歩きますから、トンネルや橋梁の番号を知るのは通ってからになるのですね。
一応、今回は旅行前の事前予習で利用した「国重要文化財 碓氷峠鉄道施設」というサイトの「信越本線 碓氷峠鉄道施設マップ」なる詳細な地図を携行していきましたので、通ったトンネルや橋梁の位置や番号は分かりましたが、やっぱり現地では最後に標識を見て確認していましたから、熊ノ平駅側にも標識を立てて欲しかったな、と思います。 (続く)