ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。ED42形機関車のある西展示室の出口へ向かいました。検修車庫の裏口にあたるようですが、その景色にも既視感がありました。
原作コミック第16巻125ページ2コマ目のシーンてした。セリフの吹き出しが多いので、左右にある展示物が殆ど隠れてしまっていますが、出入口の左側にキャラクター写真撮影機ボックスが置かれているのが同じでした。
外に出ると、アジサイが咲いていました。その横から西へ登る園路に進みました。
検修車庫の西側は一段高い平坦地になっていました。もとは低丘陵地だったところを、碓氷峠鉄道文化むらの建設にあたって削平し、屋外展示場としたもののようで、後で鉄道資料館にて見たかつての横川車両区の航空写真で状況を知ることが出来ました。
御覧のように、舌状の低い尾根を切り開いた様子が現在の傾斜面からもうかがえます。そこに並べられた車輌群は、横を通る信越線の新線跡の線路からクレーンで移されたと聞きます。
木立のなかを抜けて園路をぐるりとたどると、屋外展示場の車輌の並びが見えてきました。このアングルで作中に出ていますが、作者はおそらくシータのような360度全天球カメラを用いて撮影しているので、実際の見え方とは異なる広域ワイドの図になります。ゆるキャンの景色はほとんどそのパターンですから、普通のデジカメでは同じ範囲や角度での撮影が出来ないのが常です。
このシーンです。原作コミック第16巻125ページ3コマ目です。御覧のように園路の正面奥に蒸気機関車が見えますが、同じように撮ると今度は右のディーゼル機関車の並びがカメラのフレーム外になってしまいました。シータのような360度全天球カメラも持っていたほうが良いかな、と一瞬考えたりしました。
屋外展示場の外周をめぐるミニSL運行コースの線路です。パンフレットでは「一周 約300メートル」とありましたが、もっと長いような印象でした。
屋外展示場の北東隅にあるDD51形ディーゼル機関車1号機です。日本国有鉄道(国鉄)によって昭和三十七年(1962)から昭和五十三年(1978)にかけて649輌が製造されたディーゼル機関車です。最盛期には四国地方を除く日本全国で使用され、非電化幹線の無煙化・動力近代化に貢献しています。
DD51形は現在でも主力級のディーゼル機関車として各地で見かけますが、塗装色は赤が一般的です。しかし上図の1号機のブラウン系のぶどう色2号に白帯というスタイルが、実は登場時の塗装色であったそうです。
DD51形の隣には上図のロータリーヘッドを連結したDD53形1号機がありました。幹線列車牽引と除雪で兼用することを目的として、日本国有鉄道(国鉄)が昭和四十年(1965)から昭和四十二年(1967)にかけて3輌を製造しています。その唯一の現存機です。作中で各務原なでしこがスマホ撮影しています。
右のシーンです。原作コミック第16巻126ページ1コマ目です。瑞浪絵真にはエビかカニのように見えたかもしれませんが、作中では描写がありません。
園路の近くに東屋がありましたので、そこへ入って一休みしました。アプトの道からずっと歩きっ放しであったため、足が少しだるくなっていたからです。そこから改めてロータリーヘッドを連結したDD53形1号機を眺めましたが、その後ろには銀色の大型の見たこともない車輛が繋がっているので、あれは何だろう、後で近寄ってみよう、と思いました。
それから上図のD51形蒸気機関車96号機を見ました。D51形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造したテンダー式蒸気機関車の一種です。昭和十年(1935)から昭和十九年(1944)にかけて1115輌が製造され、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車一形式の量産数としては最大を記録し、現在も更新されていません。
上図の96号機は、初期型に属し、ボイラー上の砂箱と煙突の間に給水加熱器を置き、それらを覆う長いキセ(覆い)を付けるのが外観上の特徴で「半流線形形」と呼ばれ、鉄道ファンからは「ナメクジ」の愛称で親しまれました。碓氷峠鉄道文化むらにおける唯一の蒸気機関車であり、作中にも登場しています。
左のシーンですね。原作コミック第16巻126ページ2コマ目です。D51形の前で各務原なでしこと斉藤恵那が揃って謎のリアクションをとっています。ギャグの積もりなんでしょうね。 (続く)