碓氷峠鉄道文化むらからダッシュで横川駅に行きましたが、列車の発車時刻までまだ3分あったので、急いで駅横の上図の釜めし小屋に行きました。
そして上図の「峠の釜めし」を1個買いました。この日の宿での夜食にするためでした。
それから駅前の例のパネルと、その隣のEF63形電気機関車の3号機の動輪を記念に撮りました。
前回の訪問時に、D51形のパネルの横にあるのでD51形の車輪だろうと思っていたのですが、碓氷峠鉄道文化むらの鉄道資料館の展示パネルで、EF63形3号機が解体されてその動輪だけを釜めしの荻野屋さんが記念に譲り受けて横川駅前にて保存展示している、という経緯を知りました。それで今回、ちゃんと撮っておいたわけです。
横川駅の改札口を走って通り、上図の駅名標を撮りました。これは新しいほうの駅名標です。
そして古いほうの駅名標も撮影。
それからホームに待機していた16時発の高崎行き普通列車を撮りました。まもなく発車のベルが鳴り響きました。
すぐに乗り込みました。席につくかつかないかのうちに列車が動き出しました。時計を見ると16時2分でしたので、あれっ、2分遅れで発車か、と気付きました。
ですが、時刻表通りの16時32分に高崎駅に着きました。横川からの信越線はずっと下り坂でスピードも出ており、2分遅れても余裕でダイヤ通りに到着するもののようでした。
高崎駅で両毛線に乗り換えるので、上図の電光案内板を見上げ、次の小山行きの普通列車が16時58分発であるのを確かめました。待ち時間は26分ある、ならば、高崎駅内の聖地スポットを見て撮っておこう、と考えました。
それで、駅内連絡橋をわたって2番ホームへ移動し、その南側へ移動しました。ホームには普通列車が停まったままでした。その先頭車両の横のホーム屋根を見上げました。
この構内信号機です。正式名称は「出発反応標識灯」だったかな、と思います。2番ホームに上越線と信越線の「出発反応標識灯」が並んでいます。これが作中にて描かれています。
右のコマの上の赤枠内に見えます。よく見ないと気付かないかもしれませんが、私自身は鉄道ファンになっているので、普段こういった鉄道施設や信号や標識類にも目がいくようになっています。
それで、作中に描かれる「出発反応標識灯」にも気がついていて、各務原なでしこ達が乗った特急「草津・四万」が高崎駅の2番ホームから発車したのだと知りました。特急「草津・四万」は渋川まで上越線を走りますから、その発車時にはおそらく「2上越」の「出発反応標識灯」が点いていたのでしょうが、作中ではそこまで描かれていません。さらに「2信越」のプレートが実際よりも上に位置しています。
撮影後、元の6番ホームへ戻り、16時58分発の小山行きの普通列車に乗りました。
17時25分、この日の最終目的地の伊勢崎駅に着きました。この日の宿はこの伊勢崎駅近くの東横インに予約したからです。計画では高崎駅近くの東横インに泊まる積りでしたが、この日は土曜日で満室で予約出来ず、次候補の前橋のほうも満室で取れず、結果的に第三候補だった伊勢崎のほうになりました。
高崎から伊勢崎までは両毛線の普通列車で30分ぐらいです。明日の聖地巡礼コースが高崎駅前を8時30分に出るバスでスタートするので、朝に30分程度で高崎駅へ移動できる範囲内の宿であれば良かったのでした。東横インにこだわったのは、私自身が会員であってこの日がちょうど通算10泊目の無料サービス宿泊日にあたっていたためでした。
JR伊勢崎駅前から見た、この日の宿の「東横イン伊勢崎駅前」です。駅前、といってもちょっと離れています。直線距離はそんなにありませんが、道路がやや迂回気味でしたので、歩いて6分かかりました。
17時33分にチェックインし、入浴した後、嫁さんに定期の電話連絡をしました。それから横川駅で買ってきた「峠の釜めし」を食べつつ、この日の行動記録をまとめました。明日の聖地巡礼コースを確認し、利用するバスや鉄道の時刻を第三候補までおさえておきました。そして20時40分、早めに就寝しました。
以上、ゆるキャン群馬キャンプ編二日目ルート聖地巡礼1日目のレポートを、高崎・横川編として括ります。次回からは項を改めて、2日目の榛名エリアの行程を綴ります。 (了)