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ゆるキャン△の聖地を行く32 その5  伊豆箱根鉄道

2023年07月23日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン聖地巡礼第一目標の「鮎壺の滝」見物を終えてJR三島駅に戻りました。これから上図の伊豆箱根鉄道に乗り換えて次の目的地を目指すわけですが、その前に買っておかないといけないものがありました。

 

 伊豆箱根鉄道三島駅のすぐ横にある、上図の東海バスの三島駅前案内所へ行き、買っておかないといけないものを購入しました。

 

 買っておかないといけないものとは、上図の「東海バス全線フリーきっぷ」でした。2日間使える「2日券」で、大人3900円でした。

 今回の聖地巡礼コースは、下田に1泊して二日間で伊豆半島をほぼ一周し、あちこちで東海バスの路線バスを利用する計画でした。予定では各地の路線で8回乗りますが、その都度運賃を払った場合の合計は7000円余りとなります。いちいち小銭で払うのも大変なので、なんとかならないかと調べたところ、大変お得で楽な全線フリーきっぷのサービスを知り、さっそく利用することにした次第でした。

 

 次いで隣の伊豆箱根鉄道三島駅に行き、券売機で切符を購入しました。伊豆半島エリアには20代の頃から十数度訪れていますが、レンタカーで聖地巡礼した前回以外は全てマイカーで行きましたので、伊豆半島の鉄道を利用するのは今回が初めてでした。鉄道の旅というのは嫌いではなく、むしろ好きなほうなので、楽しみにしていました。

 ただ、伊豆箱根鉄道に関しては、以前に小田原からの大雄山線のほうを三回ほど利用したことがあるので、初めてだったのは今回の駿豆線のほうでした。

 

 今回乗るのは、上図の発車案内電光板の上段の8時20分発の修善寺行きでした。8番線ホームから発車します。

 

 8番線には、すでにその8時20分発の修善寺行きが待機していました。初めて見る鉄道車両でした。1992年に投入された新型車両の7000系であるそうで、車体前面部が金色なので、2017年から金色に変更された第2編成である旨を、後日サークル仲間の鉄道ファンの友人に知らされました。

 

 車内は御覧のとおり空いていました。3両編成の1両目の真ん中あたりに席を選びました。

 

 今回購入した切符です。三島から修善寺まで駿豆線の全部を乗りますので、運賃も最高の550円でした。

 

 三島から伊豆長岡あたりまでの平野部は、20代の頃から鎌倉時代の仏教美術遺品巡り、社寺探訪、北条氏関連史跡巡りなどであちこち回りましたので、殆どの景色に見覚えのある部分があって、懐かしい気分にもなって楽しく眺めていました。

 

 とくに韮山は懐かしいですね。鎌倉幕府の初代執権をつとめた北条時政の菩提寺である願成就院があり、仏教美術史に名高い仏師運慶の初期の作品群が安置されているので、調査研究旅行も含めて7回ぐらいは行きました。

 北条氏ゆかりの社寺や仏像などは、韮山周辺だけでも約20ヶ所ぐらいが点在していますが、それらを全部訪ねて色々学びましたので、鎌倉幕府黎明期の北条氏の歴史というものが現地にてリアルに理解出来ました。本やNHK大河を見たぐらいでは得られない、鮮やかで奥行きの深い歴史認識というものが、いまなお私の中に生きています。

 

 ああ、富士山も見えるぞ・・・。今日は快晴で本当に良かった・・・。

 

 大仁駅に近づいた頃、右手に上図の大きな岩山が見えてきました。伊豆半島のジオスポットの一つ、城山でした。ゆるキャンにも登場しており、原作コミック第8巻66ページ2コマ目に描かれます。鳥羽美波先生の車に皆が乗って伊豆入りして、最初に見たジオスポットですが、各務原なでしこだけは居眠りしていたので見ていませんでした。

 

 太古の昔、伊豆半島を形成した火山活動や隆起現象が様々に展開し、火山の地下にマグマが通った跡が刻まれますが、それが地殻変動などで隆起して地表に姿を現したものを「火山の根」と呼びます。特異な岩山の景観をなすこの城山も、伊豆を代表する巨大な「火山の根」のひとつです。

 ちなみに城山の名称は、この岩山に中世期の室町時代に城塞が築かれたことによります。室町幕府最初の関東管領に任じられた伊豆国守護職の畠山国清がここに城を築いて金山城(きんざんじょう)と称し、本拠地となしたのでした。後に幕府に叛旗をひるがえし、次の関東管領上杉憲顕率いる20万の足利軍に攻められ、落城したといいます。

 

 私自身も、30代の頃にその金山城の跡に登った記憶がありますが、城跡そのものは上図の岩山の西側の斜面上に位置していたと思います。「火山の根」本体の巨大な岩塊の上には縄張りがほとんど無くて、岩塊のてっぺんに物見台とみられる小さな郭だけがあったのですが、そこへ登るまでの道が岩崖だらけだったのを覚えています。
 畠山国清も、天険をたのんで城塞となしたのでしょうが、大勢が立て籠もるには不便な地形であるため、20万の足利軍を防げなかったのも当然と言えましょう。  (続く)

 


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