リュウ庵

尼崎市住む猫大好き人間。
駄文を書くのも好きです。

可憐な花にも「ド根性」

2020-05-21 11:01:04 | 日記

植物って、たくましいなあ、とつくずく思う。

「ド根性大根」が話題となったのは、いつのことだったか。

調べたら15年前の2005年、兵庫県相生市で道路端のアスファルトを

突き破って立派な大根がにょっきり出たという。

たくましい生命力が話題となり新聞にも載って、相生市では記念にイベン

トが毎年開かれたとか。

それ以来各地でニンジン、サツマイモ、キャベツなど「ド根性野菜」が相次

いで話題となったという。

 

ド根性・・・は、野菜ばかりじゃない。

私が見つけただけでも、ロベリア、ユリ、ビオラ・・・こんな可憐な花でも、

道路端のアスファルトを破って芽吹き花をつけ、ド根性ぶりを発揮している。

アスファルトの隙間に零れ落ちた種子が、わずかな土の中で真夏の炎暑、真冬

の寒い日々をじっと耐えて春には芽を出し、やがて花を咲かせてきた。

文字通り吹けば飛ぶ極小の種の中に蓄えた生命力、そのたくましさに驚嘆する。

そして健気に生きる小さな命が、こよなく愛おしい。

 

最近3年間、身近で拾ったド根性花3題。

   <今年・・・ロベリア>

 

  <昨年(2019年8月)・・・タカサゴユリ?>

 

  <一昨年(2018年5月)・・・ビオラ>


「山笑う」、そろそろ外へ!

2020-05-19 12:51:37 | 日記

日記代わりにつけているウオーキング記録帳を繰ってみたら、2か月ほど記録なし。

コロナ自粛で「巣ごもり」をして、歩かなかったから当然の結果だ。

娘たちから「そんなに動かなかったら体に良くないよ。人が少ない公園だったら問

題ないから出かけたら」と背中を押されて、恐る恐る歩き始めた。

1日目は1500歩あまりから始まって2500歩台、3500歩台・・・

徐々に歩数を伸ばしてきたが、長らく外歩きしていなかったので、体が重く息が

ゼーゼー。

体力が落ちとるなあ、回復するまで時間がかかりそう。

 

ただ歩くだけでは芸がないので、途中でスーパーに立ち寄り夕飯の食材を買う。

入るとき手をアルコール消毒、レジでは前後の人と2メートル間隔で並び、コロナ

非常事態に備えている。

花屋にも立ち寄って、フラワーアレンジの花材も仕入れた。

山笑うころだねえ、そろそろ外に踏み出し日常に戻ろうかな。

 

花屋で贖ったトルコ桔梗をメーンに、フラワーアレンジのメーン。

ベニバナ、バラもそえて・・・

  雨後のみずみずしいバイカウツギ

  ハコネウツギ

  ツルバラ


コロナ後の世界

2020-05-17 15:05:34 | 日記

コロナ禍の自粛生活で息が詰まりそうな現在、かつての平穏な日常生活が何と貴重な日々

だったのか、と思わずにはいられない。

 

隣から焼き魚や煮炊きの匂いが漂い、食器が触れ合う音が漏れ、赤ちゃんの泣き声が聞こ

えてくる・・・

穏やかで平和な暮らしをもっと大切にしなきゃいけないなあ、と思わずにはいられない。

 

朝「行ってらっしゃい」とご主人を見送る奥さんの声。
子供がランドセルをかちゃかちゃ鳴らしながら「行ってきま~す!」と玄関から飛び出して

いく。
ゴミを出していたら、隣家から「お早うございます」と声がかかる。
夕刊を取りに玄関に出ると「日脚が長くなりましたね」と、挨拶代わりのひと声。
朝から夕方まで、何の警戒心もなく話し合える日常生活。
お互いに深く踏み込むでもなく、さりげなく簡単な言葉を交わすだけの、さわやかな空気。

このような穏やかな時間の流れが、好きだ。

もうずっと以前のことだけど、こんな思い出がある。

ある日の夕方、庭いじりをしていたら煮物の焦げる臭いがしてきた。
てっきり我が家の台所からだと思って、カミさんに大声で、
「お~い、何か焦げてるぞ」と言ったら、反対側の家から
「すみませ~ん!うちのです!」と、恐縮した声が返ってきた。
一瞬「しまった!」と思ったけど、後の祭り・・・
お隣の奥さん、さぞ恐縮しているだろうなあと思って、思わず「ぶふっ」と噴き出した。
でも、こんなのどかな近所付き合いはいいことだ・・・と、幸せな気持ちになったものだ。

お隣とはお互い口も聞いたこともない、という話もよく聞く。
かと思えば、台所に土足で踏み込まれるような“濃密な”近所付き合いで疲れ果てた、という

のも聞いたことがある。

現役時代に、口の悪い先輩が「お隣と親密すぎて腋毛まで覗かれているよう遠慮のない付き

合いに、辟易している」と嘆いていた。

「腋毛まで覗かれる」とは、なんともすさまじい表現だが、それほど踏み込んだお付き合い

なんだろうなあ、と想像したものだ。


世界中がコロナで地獄のような経験をしている。

コロナのワクチンが完成、体内に抗体ができるまで数か年かかるという専門家は言う。

コロナが収束した数年先、どんな世界が拓けているのだろう。

 

「働き方改革」は、わが日本政府のスローガンだが、「生き方改革」こそコロナ後の課題だろう。

戦後最大の難局を生き延びた人類が、相変わらず「○○ファースト」と自国のエゴをむき出しに

していたら、少しも賢くなっていないということだね。

 

コロナの渦中で身を挺して働く人たちや感染の危険を冒しての清掃作業やゴミ収集など、これまで

あまり目が届かなかった職域に、暖かい声援を送る人たちが増えていると聞く。

一方では、逆に禁忌して心を閉ざす人も増えているという。

どちらも人間の性(さが)だが、願わくば優しい思いやりの心を、コロナ危機から学んでほしい。

<久しぶりの遠出>

娘の運転で40分、隣町の墓苑にお墓(月)参り。

雑木林にあるホウノキ(朴ノ木)の白い花が咲き、ほんのり芳香をはなっていた。

  ホウノキ


ウユニ、旅の思い出

2020-05-15 11:23:22 | 日記
コロナで巣ごもり、まだまだ本格的に外に出かける勇気がない。
朝、新聞開いて拾い読み、テレビのニュースを横目に朝食、コーヒー淹れ
て昨夜読み止(さ)した本を開く・・・
そんな日常が、もう何日続いただろう、何日続くのだろう。
テレビを観てもスポーツ紙を開いても、プレーバック番組・記事が多く、たまに生
放送があるときは、司会者とゲストは別の部屋からテレトークで臨場感に欠き、ま
どろっこく肩が凝る。
 
ならば我もプレーバックで・・・1年前の日記を取り出し、憂さを晴らそう。
私には多分、最後の海外旅行(2017年)となる南米ボリビア・ウユニ塩湖にま
つわる日記。
ご笑読くだされば幸甚です。
 
    ***      ***
 
海外旅行パンフレットを観ていたら「ウユニ塩湖で花火」とあった。
以前、TVの旅企画で「ウユニ塩湖でプロジェクションマッピング」と銘打って、
放映されたことがある。
ウユニ塩湖の驚異の景観を楽しんだばかりなので、どんな物が見られるのだろう、
と期待して観た。
 
「日本が初めて実現した驚異の映像」と勿体つけて放映したが、何のことはない。
天と地が交わるような奇跡の景観を背景にした大きなスクリーンに、プロジェクタ
から投射された映像の前で、ロングドレスの女優さんがダンスで飛び跳ねる・・・
 
どこが驚異の映像じゃ、ちっとも面白くない!
 
「こんなしょうもない事に巨費を投じて日本からわざわざ大量の機材を持ち込み・・・
アホかいな」とあきれたものだ。
その時思ったのだが、大自然の景観にはどんなに人間が知恵を働かせても、遠く及ばな
い、ということ。
 
「ウユニの花火」は、地元が観光客を呼び込むために企画したのだろうが、そんなこと
をしなくても「ウユニの奇跡」は世界から観光客を惹きつけている。
 
広大な鏡に映し出される天と地が一体となるシンメトリーの絶景に、何を足そうというの
か。花火を打ち上げて、何を加えようというのか。
 
偉大な自然は自然のままに素直に受け入れ、その圧倒的な迫力に身を任せよう。
自然が作り上げた偉大なアートに、小賢しい知恵で手を加えるべきではない。
 せいぜいパフォーマンスでもして、楽しめばよい。
 
昔の洋酒メーカーの名コピーがにあるではないか。
「何も足さない。何も引かない」
大自然の造形も、これに尽きる。
 「自然は、自然のままに」
 
 <奇跡のウユニ塩湖>
 
 
 
 
 

これも、母の愛

2020-05-13 11:13:27 | 日記

京都のブロガーさんの日記に、出久根達郎さんのことが書かれていた。

出久根さんの著作は、新聞連載のエッセー以外は読んだことはないが、昨年の5月

の日記「母の日を前に」のタイトルで、出久根さんのエッセーを引用させてもら

った。

少し長文ですが強烈に印象深い内容だっので、再掲したい。

(読まれた方がおられたらお許しください)

     ***      ***

昭和の左甚五郎といわれた彫刻家・阿部晃工(1906-1966)が、苦労して入った東京
美術学校で、相撲の稽古中に右腕を複雑骨折した。
彫刻家には致命傷であり自殺を考えたほどで、故郷(北海道)の母に「帰りたい」と訴えたら
しい。
母からは次のような手紙が来た。
 
 「手紙を見ました。大分困っているやうですね。(略)今家は大変です。
一銭のお金も送ってやれません。母はお前を天才児として育てて来ました。母はそれが誇りだっ
たのです。
今お前も一人前になりました。その一人前の人間が食べられないから帰るとは何事です。
乞食でも野良犬でも食べて居ます。お前は野良犬や乞食にも劣る意久地の無い男ですか。
母は末っ子のお前を甘やかして育てたのが悪かったのです。けれどもそんな意久地なしには育て
てないつもりです。食べられなければ食べずに死になさい。何で死ぬのも同じ事です。(略)
お前は母がいつ迄も優しい母だと思って居るのは間違いです。帰ってきても家へ入れません。死
んで骨になって帰ってきなさい」
 
手紙の末文には、
「そして一日も早くお前の死んで帰る日を母は待って居ます 喜二郎どの母より」
                               (作家の出久根達郎さんのエッセーから)
 
    ***    ***
安部晃工はこの手紙に発奮、左手で制作して次々に入選を果たし、日本彫刻界の重鎮にな
った。
なお、晃工の母は手紙の翌年に53歳で病死したという。
 
何度読んでも厳しくも深い母の愛に、心が震える。
 
出久根さんは古本屋を営みながら作家デビュー、「佃島ふたり書房」(講談社文庫)
で直木賞を受賞、「本と暮らせば」(草思社文庫)などエッセーも多数。
ネットで著作を取り寄せ、読みふけりたい。
 
  親子の風景