リュウ庵

尼崎市住む猫大好き人間。
駄文を書くのも好きです。

心を洗う

2021-02-17 12:08:38 | 日記

「心を洗う」という名言に出会った。

心療内科医の海原純子さんのエッセーで、毎日新聞サンデー版(日曜クラブ)に掲載されていた。

節分の豆まきに関して、海原さんは・・・

 

      鬼は自分の中から生まれることが多いのだ。心の中を常に観察し、汚れたら洗う。

   手を洗うたびに心も洗う習慣をつけると、心に鬼が生まれなくなるのではないか。

 

素敵なことに出会ったりすると「心洗われる」とよく言うが、自分で自分の心を「洗う」とは、あ

まり聞かない。

それだけに「心を洗う」は、新鮮で含蓄のある言葉に思えた。

 

昨今のコロナ禍の下で、手洗いの大切さが見直されている。

スーパーなどに入るときは必ず手を消毒、帰宅すればまた丁寧に手を洗い、うがいも欠かせない。

もともと清潔好きな日本人、コロナ感染防止のためと改めて言われなくても、この程度の衛生習慣

は、ほとんどの人は持っている。

でも、衛生観念が世界トップクラスの日本社会で、医療従事者や感染者にたいして「コロナ差別」

る人たちが後を絶たないという。

自分の心を洗っていないからか、心の方の衛生観念は十分ではないということか。

 

さて80年も生きてきたので、わが心にもかなり垢が溜まり汚れた。

知らぬ間に、心の中に「鬼」を育ててきたかもしれない。

さて、どうやって洗い流すか・・・

 

こもう一つ、なるほどと思わせる言葉。

最近、内館牧子さんの「十二単を着た悪魔 源氏物語異聞」(幻冬舎文庫)を友人に借りて読んだ。

その中で須磨明石に流された光源氏が「想い供養」を語っている。

 

    故人のことをね、私の方から想うんだ。亡くなった人の方から現れるのではなく、 

    私の方から想うんだ。何気ない暮らしの中で私の方から想い出す。できるだけ何

    回も。それが何よりの供養になるのではないかと気づいてね。

 

朝夕、仏壇にお茶を供え手を合わせているが、「想い供養」を欠かせないようにしよう。

昨日、お寺から3月お彼岸法要訪問の日を知らせてきた。もうそんな季節になるのだねえ。

 

  <春の目覚め点描>

   うっすら緑衣まとう枝垂れ柳

   早咲きツバキ

   このお方はまだ冬眠中


杉浦さんの漫画 好き好き

2021-02-15 11:38:44 | 日記

最近、漫画が面白い。

漫画と言っても、今人気の「鬼滅の刃」とかではなくて、杉浦日向子さんの江戸漫画。

楽しんでいるのは名作「百日紅 北斎とその娘お栄 上、下」(ちくま文庫)。

帯評に「ふたりの天才浮世絵師を主人公に、文化爛熟する江戸の生きる人々の交流を描く 

杉浦日向子の漫画代表作」とある。

 

北斎とその娘お栄の物語は、梶ようこ「北斎まんだら」(講談社時代小説文庫)、朝井ま

かて「眩(くらら)」(新潮文庫)などがあり、NHKテレビでもドラマ化され、宮崎あお

い(お栄)長塚京三(北斎)が熱演している。

父親の北斎を「オヤジどの」娘を「アゴ」と呼び、小説もテレビドラマでも、天才絵師親娘

の自由奔放な生きざまを描いているが、杉浦さんの漫画でも父娘が伸び伸び生きている。

「百日紅」は小説に読み疲れたときの「箸休め」のつもりで買っていたが、読みだすと面白

てたまち魅了されてしまった。

 

子どものころ夢中になった漫画は福井英一「イガグリくん」、山川惣治「少年ケニア」や成人

して読んだ水島新司の野球漫画「ドカベン」などがあるが、この歳になって漫画にハマるとは。

この「百日紅」は杉浦さんが丁寧な線で描いていて、絵もとてもきれいで気持ちいいのだが、

単行本から文庫化したため、「吹き出し」の文字が小さくなっているのか、少し読みずらい。

 

杉浦さんは、エッセーで浮世絵など江戸文化のおおらかさを述べている。

浮世絵では当然春画も重要なテーマだが、現代のように反道徳的な隠微なものとして隠そうと

しないところがすばらしいという。

江戸の有名画家はなべて春画(枕絵、あぶな絵)も手掛けており、北斎もお栄も例外ではない。

作品の中でも、杉浦さんは大胆な男女の絡みの絵を登場させているが、いやらしさは微塵もない。

杉浦さんはエッセーで江戸画壇の最高峰でもみんな枕絵を描いており、現代で言うなら東山魁夷

が春画を描くようなものだ、と述べている。

 

杉浦日向子さんは江戸風俗研究家として大きな足跡を残して、2005(平成17)年に46歳

の若さで死去。

江戸の「粋」をこよなく愛し「にこにこ笑ってらくーに生きればにこにこ笑ってらくーに死ねる」

の名言残している。

1994年から2004年まで続いたNHKの「おえどでござる」は杉浦日向子、伊東四朗、えな

りかずき、重田千穂子らと絶妙のコンビを組み、秀逸なコメディ(教養)番組だった。

もっと江戸文化・風俗を語ってほしかったなあ。

 

  <杉浦日向子さんの名作漫画「百日紅>

 


梅のない街

2021-02-13 12:16:15 | 日記

各地から梅開花のニュースが届き、ブログでも写真がアップされるようになった。

奈良時代から平安初期まで花と言えば梅のこと、と何かの本で読んだことがある。

馥郁とした上品な香りを放ち、桜とはまた違った風情があり、中国文化の影響が濃かっ

古の人たちは梅の方を好んだのだろう。

だが時代が下るにしたがって、花の主役は

  願はくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ

西行の歌にあるように、平安末期には桜に変わっている。

 

わが街では、梅花が観られない春になって寂しいねとあきらめていたら、意外にもごく近

くの法輪寺(浄土宗)境内に小ぶりながらも梅の木があって、温かい日差しを受けてひっ

そり咲いていた!

この町に住んで50数年になるのに気づかなかった、とは迂闊千万だねえ。

早速お邪魔して写真を撮らせていただいた。

他にも1軒だけ梅の木があり、生垣越しに数輪咲いているのが見える。

いずれにしても、以前はかなりのお家にあった梅の庭木が激減したことは事実だ。

 

阪神間の梅の木が姿を消したのには、理由がある。

10年ほど前か、全国的にまん延した梅ウイルスに市内の梅も感染したということで、市当

局からの指示で伐採され、あっという間に姿を消してしまった。

岡本梅林や甲東園など昔からある有名梅林は手入れが行き届いて生き延びたようだが、小さ

な公園や個人の庭の梅は市当局からの指示で切り倒され、ほぼ全滅状態となった。

ウオーキングで訪れていた西武庫公園も例外ではなく、20本ほどあった梅の木が無残に切り

刻まれたのを見て、声をなくしたものだ。

同時に梅の木近くのアーモンドも汚染しているとして同じように撤去されて、跡地には桜が

植えられた。

市民に親しまれている広い公園は、ほとんど桜ばかりで単調で平凡な広場に成り下がってし

まった。

我が家の庭にも種から育てたアーモンドの木が1本あって、毎年、桃の花よりやや大きいピン

クの花が咲いていたのに、ウイルス汚染したのか葉が薄汚く変色して元気がなくなってきたの

でやむなく切った。

 

梅は咲いたか桜はまだかいな・・・春の訪れにはなくてはならない梅、姿を消していくのは寂

しく、残念だ。

  <わずかに生き残り、花をつけた梅(近くのお寺の境内)>

<アーモンドの花>

 


少しは回復したかな

2021-02-11 13:16:20 | 日記

昨年夏ごろから極端に歩行困難になって、杖頼りの生活を強いられてきたが、最近少しは

歩けるになったようで気をよくしている。

夕方の食材買い出しに近くのスーパー(片道1300歩)に行くときでも、1000も歩

かないうちに疲れて足が重くなり、途中の児童公園で一休み、また歩き出すといった情け

ない状態だった。

それが今では途中の休憩なしで、目的地まで1300歩踏破?できるまで回復した。

さすが帰りは途中で休憩するが、まず往復休みなしに完歩できるよう目指そう。

わずかずつでも進歩することは、とても勇気づけられ力がわいてくる。

 

元気なころは買い物帰りのついでに回り道してウオーキング、1万歩ぐらいは平気だったか

ら、この程度ではまだまだ足らないけれど。

正確には「回復の兆し」というところか。

1300歩から2000歩、3000歩へ…と進めたいものだ。

当面の目標は、杖なしで5000歩ぐらいは歩けるようになることだけど、だまだ先だねえ。

寝る前のスクワット50回、かかとの上げ下げ100回をもう1年で以上続けてきたことが、

適度の筋トレかつフレイル防止にも役立っているのかもしれない。

 

立春が過ぎて、一気にハルメク(この言葉いいなあ、大好きです)頃になった。

美しい季語「山笑う」季節ももうすぐやってくる。

いつまでも「自粛」にかまけて、引きこもってる場合じゃないだろう。

背筋伸ばして野に出よう、老年たちよ・・・ナーンチャッテ。

 

<久しぶりに「投げ入れ」>


オカリナ再開

2021-02-09 12:13:16 | 日記

NHKBSの好きな番組に「街角ピアノ」がある。

ピアノが置かれている場所によって「空港」だったり「駅」だったりするが、通りがかった

旅行者や街の人たちが思い思いにピアノを弾いていく。

上手下手に関係なく、自分の好きな曲を弾いて楽しんでいるのを見て、ピアノが弾ける人っ

てうらやましいな、とつくづく思う。

 

そしてふと以前習っていたオカリナを手にしてみたくなった。

コロナ自粛で巣ごもりの無聊生活を慰めるには、もう一度オカリナの身も心も包み込むよう

な優しい音色に浸ってみたい。

レッスンを辞めて5年ほどたつから、吹けるのかなあ、と心もとないけど。

ほこりをかぶった箱からオカリナを取り出し吹いてみる。

ドレミファから吹いてみたが、やっぱり指穴にちゃんと指がふさがらず、正しい音が出ない。

5年間のブランクだねえ、こりゃあ相当練習しないとだめだ。

一番好きな赤い鳥の「翼をください」を、恐る恐る吹いてみた。

 

♪・・・今 私の願いごとが

    叶うならば 翼がほしい

    この背中に 鳥のように・・・

 

オカリナ演奏で重要な柔らかい音色とは程遠いけど、何とか楽譜を追って吹けたが。

 

5年のブランクがあるから無理もない。

7年ほど前には、JR神戸駅近くにあるNHKカルチャーセンターのオカリナ教室に通った。

2年間習ったが、県内の合同発表会で上がって仲間に迷惑をかけることが多く中退、同じ先生

の個人レッスンに切り替え、西宮の自宅に通ったが、それも長続きせず、中途半端のままオカ

リナとは縁を切っていた。

さてオカリナ再復習、上手くいくか・・・

 

 

   駅ピアノ(神戸西神中央駅、NHKテレビから)