今年も秋の味覚サンマは不漁、と新聞やテレビが報じている。
テレビでは初値が一匹千円近いと報じていたが、今はそ値段も落ち着いてきているよう
だが、昔に比べたら高い。
昔はサンマはイワシとともに庶民の魚の代表で、秋になると食卓に上がるため各家庭の台
所から香ばしい臭いがしない日がなかった。
私が子供のころお袋が「サンマは脂がのっていて栄養があるんだよ」と口癖のように言い
ながら、焼いてくれたものだ。
弁当にもよく登場した。
アルマイト(アルミ)の長方形の弁当にご飯を詰め込み、その上に尾頭付きサンマが1本
シートベルト(当時はなかったが)のように斜めにたすき掛けで、でんと乗っかっている。
サンマが大きくアルミ弁当に入りきらないときは、魚体を真ん中で均等に切って2本差し
違えて並べていた。
他は梅干しとたくあん、なんとも野趣に富んだ「豪快」な弁当だった。
サンマは炭火で焼いて塩を振っただけ、焼き汁が白いご飯に沁み込んでその部分は「サン
マご飯」になっている。
昼休みにはすっかり冷めていたけど、香ばしさは残っていて美味しかったね。
今から思えばサンマだけの貧しい弁当だけど、ヤマの子は喜んで食べたものだ。
田舎の貧しい農家の子供たちは、秋にはどこの家でも安いサンマ弁当を持たされ、ちょっ
とした秋の風物詩だったように思う。
サンマのない時は干しシイタケと卵焼き(これはごちそう)、山村だから時にはマツタケ!
もあったなあ。
卵焼きが入っているときは、弁当時間が待ち遠しかった。
鶏は庭で放し飼いしていたから、運動十分の環境に恵まれ肉は堅かったけど、卵の黄身が
しっかり固まり、割ってもぷっくり盛り上がってなかなかつぶれない。
スーパーで売っている今どきの卵は、殻を割るとぐちゃっとして白身と黄身がだらしなく寄り
添っているが、昔の田舎の卵は黄身と白身はしゃきっとした「健康体」だった。
そうそう、家計を助けるために学校方針として、月に1回「芋弁当」もあった。
ふかし芋だけの弁当だけど誰も文句は言わなかったのは、みんな同じような家庭環境だった
からだろう。
今は給食があるから、そんな弁当の思い出はないのは、良いことなのか悪いのか・・・
空はすっかり秋(10日午後写す)
✈ 雲の中に伊丹を飛び立った飛行機 ✈