今朝、郵便ポストを開けると、黒枠の封筒を発見。
ドイツのケルンでボールペン会社を経営する
Meutgens(モイトゲンス)夫人の訃報だった。86歳とある。
現地時間、20日(木)正午12:00から告別式という連絡だ。
驚き、哀しい。
「心より ご冥福をお祈りします。そして、日本であなたの事を思い出しています。」
彼女とは、シチリア島で知り合った。
私が30歳になったばかりの時に、シチリア島のタオルミーナの丘に建つ「Bristol Park Hotel」に滞在中、Meutgens夫妻とカトリックの枢機卿も、同じホテルに滞在していたのが縁だった。
夫婦でカトリックの熱心な信者で、ご主人の名前をとって、「Ludolf Meutgens 基金」を設立し、天文学的数字と思われるほどの私財をアフリカや各地へ寄付し、世のためになろうと一生懸命だった。
赤いブラウスが、モイトゲンス夫人。その左隣は、ご主人で、映画スターのような二枚目・モイトゲンス氏。
皆、私の親より歳が上だったが、お友達みたいに一緒にレストランへ行ったり、散歩したり、ホテルにあった骨董品のようなピアノを弾いて楽しんだりした。
あぁ、モイトゲンス夫妻の思い出と共に、シチリア島が思い浮かぶ。
あの時は、4月のうららかな日が続き、天国のような気候と風景だった。
私はドイツの仕事の後の「イタリア逃避(?)」であったので、
一人で、ショートパンツの下にビキニを着て、ナクソスの海岸へ出かけたり、タオルミーナのみやげ物屋を見て回ったり、ビーチサンダルで町なかを走り回り、エトナ山の写真を撮ったり、教会へ行ったり、バルでワインを飲んだりした。背中に羽が生えたように、物凄く幸せだった。
当時78歳の枢機卿は、私を見ながら、しみじみと
「Goethe sagte, Jugend heisst betrunken ohne Wein. (ゲーテは言った。青春、それはワインなしで酔っていることだ)」
とつぶやいた。
ご主人のモイトゲンス氏は既に亡くなったが、夫人を訪ねて、ボン近郊の邸宅を訪ねたことが何度かあった。庭に小さなプールがあって、日当たりが良い家だった。
大富豪としては、遠慮がちな家だと近所の人が言ったが、確かにそうだった。
寄付はしても、贅沢はしない人たちだった。
「一人暮らしだから、ぜひ泊まっていって」と言われて一泊した。
その時、バチカンから、別の枢機卿がお茶を飲みに訪れ、皆で居間に座った。
「この人です。旅が好きなのは」とモイトゲンス夫人は、枢機卿に私を紹介した。
すると、「旅をしたあなたの独自の経験、それは誰も盗むことはできない。それを大事にして、これからも旅しなさい」とおっしゃった。
そして、以来、さらに私の旅は各地へと続いている。
・・・モイトゲンスさん宅の居間が目に浮かぶ。