Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2011年7月18日(月・祝) なでしこジャパン 女子サッカー

2011-07-18 | ドイツ・ベルギー
サッカー狂のドイツの友人知人たち(♂)
対ドイツ戦の時、すでに、
「ドイツは残念だが、たぶん、日本が勝つぞ~」
とメールしてきました。


そして、ドイツに勝つ、のみならず、
『日本優勝!』

人が成功したり、活躍したり、超幸せになったりするシーンは、
観ていてこちらも、超嬉しい。何だか、自分にも力を与えられるような気がする。


ドイツの友人知人たち、
特に、ドイツ戦終了後は、
日本を猛烈応援してくれた。

「やっぱり、世界一になった!
細くて小柄なのにスゴイ。さらに頑張れ~」
と、メールをくれた。

サッカー評論家(独断と偏見の?)みたいな彼等は、
W杯開始前から日本に注目していたそうです。

2011年7月01日(金) ベルギー「本の村」に自分の本が!

2011-07-01 | ドイツ・ベルギー
今頃だったか、ベルギーの取材の時である。

運転手さんが、
「本の村、へ行きましょう」
と連れて行ってくれた。

なるほど、小さな村に本屋さんが何軒もある。
「20分後に出発ですよ」
という。
20分ではサッと写真を撮るだけで、おしまいだ。

で、私はさっさと目の前に入口がある本屋さんへ入った。
ウナギの寝床のような店内なので、
どんどん奥へ入ってゆくと、
何と、「これは私の本ではないか!」



若い頃のマリリン・モンローの写真の横に、
私が撮った芸妓さんの写真のジャケット「Geisha」が・・・。
手に取ると、フランス語版だった。

これはびっくり。
運転手さんが、「ああ、そうだ、名前も写真もあなただ!」
と言い、
本屋さんのご主人もやってきた。

フランス語版は私自身、余分に持ってなかったので、すぐに買った。
まったくの偶然。そういうこともある。
不思議な「自分の分身」との出会いだった。

2011年6月28日(火) ライプチヒ弦楽四重奏団

2011-06-28 | ドイツ・ベルギー
ライプチヒ弦楽四重奏団が、
被災地でのチャリティーコンサートのために来日し、
被災地を巡った後、最後の演奏を昨夜東京でしてくださった。

ハイドン、メンデルスゾーン、ベートーヴェン・・・。

三味線とは全く異なる弦の音に、
ドイツがありありと目の前に現われ、
急に、ドイツへのホームシックに駆られて、
どうしようもない気持ちから、哀しくなり、涙が流れそうになった。
『なぜ、自分は日本に居るのだろうか・・・?』

だがその後、
このコンサートをお世話なさったというドイツの人たちと話すうちに、
日本に暮らしているという現状を、何だかすんなりと受け入れられる気分になった。

たぶん、生活の拠点をドイツにして居たとしたら、
そして、三味線の舞台に遭遇したとすれば、今度はきっと
『なぜ、自分はドイツに居るのだろうか・・・?』
と思うことだろう。


2011年6月21日(月) ドイツの6月

2011-06-21 | ドイツ・ベルギー
ドイツのガビより電話。

ライプチヒの郊外、
美しいレストランのお庭でパーティーがあったという。

6月は薔薇の季節。
薔薇の香りに包まれて、松明を灯して、ゼクトを片手にお庭をそぞろ歩く。


それだけでも、何だか満たされた気持ちになったと言う
ガビの嬉しい気持ちが伝わってきた。

テレビ電話でもないのに、
ピンクや赤、ヴァイオレット、黄色の薔薇の花が咲く風景と、
ふわり、と漂う薔薇の香りが伝わってきた。

2011年6月18日(土) 美食のベルギー/デュルビュイのザリガニ

2011-06-18 | ドイツ・ベルギー
6月ころは、日が長いので、
撮影にも、取材にも好都合なため、
ヨーロッパ取材に行く事が多い。

この写真は、
6月にベルギーの小さな村・デュルビュイに
泊まった時のものだ。

美味しかった!
と、今も思い出す。
町を流れるウルト川で採れるザリガニの料理だ。



コクがある深い味わいのザリガニで、
殻を使ったクリームソースの美味しいこと!
(オムレツ型をしているのが、ザリガニのムース。)


ああ、こういう時は、白ワイン・・・、ですね。


2011年6月14日(火) リンダウのライオン

2011-06-14 | ドイツ・ベルギー
昨日のトランプの風景。

この写真は、ボーデン湖畔のリンダウ(ドイツ)の港だ。
燈台とライオンの像が湖とアルプスの山々を眺めている。
昨日のブログに書いたトランプの風景を思わせる景色である。



水のある風景が好きだから、何度も行ったが、
この写真を撮ったときは、登山靴を買った。

湖の対岸のオーストリアの山に登るからだ。

この港のすぐ前に、美しいホテルがあり、
二十代の頃に泊まったことがあった。
朝のプロムナードは爽やかに冷たく、
・・・その時、それはそれは、幸せであった。


美しい海と空の蒼。
私は蒼が好きだ。

2011年6月1日(水) 「ドイチェ・ドイチェ」

2011-06-01 | ドイツ・ベルギー

今日は、表参道ヒルズ・地下三階に開店する
ドイツ生パスタ専門店「ドイチェ・ドイチェ」のオープニングがあり、
お招きいただいた。ドイツのパスタといえば、シュペッツレである。


店内。
オーナーで知人の能勢さんのプロデュース。
http://www.zato.co.jp



Franziskaner Bar, Die Wurst, German Farm Grill, Franz Club,
German beer&wine Steinhaus, BONAPARTE, Zum Eichen Platz なども
この会社が経営している。
これらのレストランをご存知の方は多いのでは?

ドイツやオーストリアで、私は取材中に、
レストラン・シェフと一緒に、シュペッツレを一緒に造らせてもらったことが何度かあった。
自分で造ってみると、興味がわくものだ。

肉料理の付け合せにもするが、
チーズをからめた「ケーゼ・シュペッツレ」は、
バイエルンやバーデン・ヴュルテンベルク、
チロル地方の名物料理である。

このレストランのシュペッツレは、コシがあり、
つるりと洗練され、
ウニ・クリーム、ホタテのハーブクリーム、青カビチーズソースなど、
バリエーション豊富。
美味 !(^-^)!

私が好きな「フレンスブルガー・ピルスナー」も、
「フランツィスカーナー・ヴァイスビア」も、
「シュウペートブルグンダー」(バーデン/赤ワイン。Badischer
Wein・・・何度も取材に行ったことがある)も
シュペッツレに合い、心地よく、味わい深く、美味であった。


そうそう、オーバッツダ(パンに付けて食するチーズペースト)もあった。
これはバイエルンでビールを飲むたび、思わず注文してしまう一品で、ドイツが懐かしい。


http://www.zato.co.jp



2011年5月23日(月) マルティン・ルターの林檎

2011-05-23 | ドイツ・ベルギー
取材でルターの足跡を訪ね、
ルターシュタット・ヴィッテンベルク、アイスレーベンなどを
旅した時に買ったハガキが
今日、ふいに、机の引き出しから出てきた。



「そして、
もし、明日、世界が破滅すると
わかったとしても、
私は今日、
リンゴの樹を植えるだろう。
  マルティン・ルター」


各地で歴史やエピソードをひもとくうちに、
ルターの人となりを感じさせる
生き生きとしたこの言葉の息吹に
私は共感した。


そして、
この言葉の「力強さ」と
「最後まで取り組む姿勢」を美しいと思い、
ハガキを買ってきたのだった。


2011年4月25日(月) 緑に囲まれたビアガーデン

2011-04-25 | ドイツ・ベルギー

GWの頃になると、ドイツのビアガーデンが懐かしい。
4月末になると、ドイツで、初夏を感じるような心地よい気候になる年がある。
歌に歌われる、美しき五月だ




写真は、バンベルクのビアガーデン。

バイエルンのビアガーデンは、持ち込み自由。
バイエルン王の時代、懐具合に関わらず、誰でも外食をする楽しみを!
という王様の取り計らいだ。

手作りのサンドイッチを持参して、ビールを飲む人、
ビールだけをひたすら飲む人、おしゃべりに熱心な人・・・
一緒に来た子供達は、横の芝生で遊ぶ。

のどかな一日。
ビール日和。

2011年3月9日(水) 断食・ビール・灰の水曜日 

2011-03-09 | ドイツ・ベルギー
今日は、灰の水曜日。
ドイツ語で、Aschermittwoch。

四旬節が始まる日で、イエス・キリストが40日間断食したことに由来し、それに習って断食をする期間だ。
これが過ぎると、イースターが来る。
ちなみに、この日の前に、肉食して大いに騒ぐのがカーニバルである。

さて、ドイツ(特にバイエルン)では、断食用食事(Fastenessen)というのがある。

初めてそれに遭遇したのは、はるか昔だったが、
断食とは、「全く何も食べない」苦行だと思っていた私は、
「断食用の食事」があるとは

これ如何に・・・?! と驚いた。

キノコ入りのダンブリング・クリームソースや、ほうれん草入りのマウルタッシェなど、野菜料理である。

さらに、断食の頃には、強いビールの季節「Starkbierzeit」がある。
麦汁濃度が高く、カロリーも栄養価も高いシュタルクビア(Starkbier)が出回る。
(今では、年中醸造しているところもある。)

野菜料理や、ビールは、食べたうちには入らないのが、ドイツ流(?)ということになる。(だから、屈強な体格になったのでしょうね。)

シュタルクビアは、寒い時期にはエネルギーが沸く。
美味である。
ちなみに、シュタルクビアのヒストリカルなネーミングは「・・・ator」とラテン語で人を現す語尾(アートア)が付く。

「ああ、シュタルクビアが飲みたい!」
ドイツへ行きたい。
ミュンヘンへ行きたい。
たい、タイ、鯛は目出度い。

2011年3月7日(月) Rosenmontag  バラの月曜日 ローゼンモンターク

2011-03-07 | ドイツ・ベルギー
今日はバラの月曜日だ。
ケルンでは今日、大行列があり、飲めや歌えや踊れやの大騒ぎである。


ケルンの友人からのメール。
行列は、現地時間の午前10:30 にクロードヴィヒプラッツを出発するらしい。
あちこちで、お化粧、仮装してお集まり。

『私も仲間に入れてくださいな...』

ケルシュを飲み飲み、ブラックフォースの唄も懐かしい。

ラン、ララララララ、ランラッラ・・・
ドン・ドン・ドンドンドン・・・
と鳴り物入り。

今日、この場に及んで、ケルンに居ないのがとても残念。



2011年2月14日(月) ホルガー・シュカイとの出会いと三味線

2011-02-14 | ドイツ・ベルギー
あれは1995年のことだった。
それほど前のことを今もありありと思い出す。
そんな経験は誰にでもあるのではないか。

CDで長唄(三味線)を聴きながら、
ドイツのケルンに暮らすロック・ミュージシャンで、サンプリング音楽界のマエストロといわれる Holger Czukay (ホルガー・シュカイ)にインタビューした日を思い出した。
「Seven Sees」のドイツ特集の時だった。


記事にした内容の何倍ものおしゃべりが続き、インタビューの後、私も「月曜日の朝」という彼が作曲した曲を歌い、さらに、彼にとっては非常に若い、私と同世代の奥さんと三人で、行き着けのケルンのXX広場近くの「寿司屋」へ行き、日本酒を楽しみ、さらに会話ははずんだ。

ホルガーは、1960年代「Can]のベースプレイヤーでデビュー。
70年頃だったか、若い時に、初来日。
その時に、非常に印象に残る音を聴いたと語った。
それは三味線の音だった。

彼は、極めて情緒的に語った。

「細い路地を歩いていると、夏の夕立。
埃っぽい匂いがして、亜細亜の夏を感じた。
そこに響いてきた三味線の音。
シャン、シャン、チャチャチャチャ・・・」


さすがミュージシャンだ。口三味線(くちじゃみせん)も的確に。

「雨と木の家々が続く日本の家並み、夕暮れ・・・
どこからともなく響く三味線の音。日本の原風景に思えたよ」


たった一週間程度の日本滞在でも、
観察の鋭さや、感性の豊かさで
物事を深く感じる人が居るものだ。

今思えば、その路地は祇園町あたりだったのではと想像する。

当時、私にとって花街とは、想像も付かない、知らない世界だったし、
三味線を持ったこともなかった。
取材の時のホルガーの言葉が、今の私に至る一つの伏線になっていたのかもしれない。

今、三味線持参でホルガーを訪ねたら、きっと喜んでくれるだろう。
ベースギターと「コラボだ~」と盛り上がるかもしれない。


2011年2月13日(日) シンデレラの靴

2011-02-13 | ドイツ・ベルギー
今朝、靴を履きながら思った。

何年か前、ケルンの靴屋の店先で、綺麗な白いサンダルを見つけた。
37。「サイズはピッタリ!」と思って履いてみた。

「まあ、ちょうど良いかな」、でも、よく確かめると、足の指の付け根あたりが、「ほんのわずかにゆるい」。

すると、店員さんがやってきて、
「グーテン・ターク!ああ、これはデザインの関係でしょうか。合いませんね。」と、言うなり、地下の倉庫へ駆け下り、
別のデザインのサンダルをすぐに持ってきた。

履いてみると、これが、ピッタリ。
まるで誂えたかのようなフィット感。
なじみ客でもないのに、私の足の形が「よくわかったな~」とビックリ。

一昨年、オーストリアでも同じ経験をした。
その店は、客が買うと言っても、足に合わない靴は売らないという姿勢であった。

寝る時以外、靴を履いているヨーロッパの伝統と歴史。
靴屋の店員さんも、単に売っているのではなく、靴のプロなのだと実感。
(日本の店先であれこれ靴を選んでいると、「注文の多い、面倒なお客さん」と思われかねないけれどね・・・。)

さて、皆がピシッと足に合う靴を履いているがために、靴へのコンシャス、つまりボディコンならぬ、靴コンが強い世の中だから、シンデレラの物語が生まれ、
王子様も、「シンデレラ」がどの女の子であったか特定できたのね・・・、と改めて納得。


2011年2月1日(火) Was heisst Denken? ハイデカー著

2011-02-01 | ドイツ・ベルギー


先日、ゲーテ・インスティテュートから読書会のご案内メールをいただいた。
哲学書の読書会。
・・・想像するうちに興味津々となりった。

そのテキスト(「Sein und Zeit」 Martin Heidegger著)を購入しようとしたが、あいにく見つからなかった。
だが、同じくハイデカーのこの写真の本、「Was heisst Denken?」が目にとまり、買った。

考えるとはどういうことか? 
まさに私の興味深いテーマ!?
読むには根気がいりそうだが、哲学は職場で、現場で、日常の至るところにあるはずのものでは…。
(そういえば、コペンハーゲンのティネは、子供向け哲学書(フランス語)を姪に買ってあげて、自分も一緒に読み、それに夢中になっているとか。)

2011年1月20日(木) ドイツへ ご冥福 シチリア島の思い出

2011-01-20 | ドイツ・ベルギー
今朝、郵便ポストを開けると、黒枠の封筒を発見。

ドイツのケルンでボールペン会社を経営する
Meutgens(モイトゲンス)夫人の訃報だった。86歳とある。
現地時間、20日(木)正午12:00から告別式という連絡だ。
驚き、哀しい。
「心より ご冥福をお祈りします。そして、日本であなたの事を思い出しています。」

彼女とは、シチリア島で知り合った。
私が30歳になったばかりの時に、シチリア島のタオルミーナの丘に建つ「Bristol Park Hotel」に滞在中、Meutgens夫妻とカトリックの枢機卿も、同じホテルに滞在していたのが縁だった。

夫婦でカトリックの熱心な信者で、ご主人の名前をとって、「Ludolf Meutgens 基金」を設立し、天文学的数字と思われるほどの私財をアフリカや各地へ寄付し、世のためになろうと一生懸命だった。


赤いブラウスが、モイトゲンス夫人。その左隣は、ご主人で、映画スターのような二枚目・モイトゲンス氏。

皆、私の親より歳が上だったが、お友達みたいに一緒にレストランへ行ったり、散歩したり、ホテルにあった骨董品のようなピアノを弾いて楽しんだりした。



あぁ、モイトゲンス夫妻の思い出と共に、シチリア島が思い浮かぶ。

あの時は、4月のうららかな日が続き、天国のような気候と風景だった。
私はドイツの仕事の後の「イタリア逃避(?)」であったので、
一人で、ショートパンツの下にビキニを着て、ナクソスの海岸へ出かけたり、タオルミーナのみやげ物屋を見て回ったり、ビーチサンダルで町なかを走り回り、エトナ山の写真を撮ったり、教会へ行ったり、バルでワインを飲んだりした。背中に羽が生えたように、物凄く幸せだった。

当時78歳の枢機卿は、私を見ながら、しみじみと 
「Goethe sagte, Jugend heisst betrunken ohne Wein. (ゲーテは言った。青春、それはワインなしで酔っていることだ)」
とつぶやいた。

ご主人のモイトゲンス氏は既に亡くなったが、夫人を訪ねて、ボン近郊の邸宅を訪ねたことが何度かあった。庭に小さなプールがあって、日当たりが良い家だった。
大富豪としては、遠慮がちな家だと近所の人が言ったが、確かにそうだった。
寄付はしても、贅沢はしない人たちだった。

「一人暮らしだから、ぜひ泊まっていって」と言われて一泊した。
その時、バチカンから、別の枢機卿がお茶を飲みに訪れ、皆で居間に座った。
「この人です。旅が好きなのは」とモイトゲンス夫人は、枢機卿に私を紹介した。

すると、「旅をしたあなたの独自の経験、それは誰も盗むことはできない。それを大事にして、これからも旅しなさい」とおっしゃった。

そして、以来、さらに私の旅は各地へと続いている。
・・・モイトゲンスさん宅の居間が目に浮かぶ。