Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2011年2月17日(木)  私の祖母 その2

2011-02-17 | ich 私


ここはどこか不明。ススキと眺望が開ける美しい場所。
座った背中の後ろに、無造作に置き、倒れてしまったたぶんワニ皮のバッグ(これは見覚えがある)。
思わず座って景色を眺めたと思われる。

たぶん、今生きていたら、
「あ~ら、みっともない!年寄りの写真なんて出さないでよ~」
と言うでしょう。

着物を着て、夜行列車に乗ったり、バスに乗ったり、電車を乗り換えたり、山道や海岸を歩いたり・・・
昔の人は、皆が自分なりの着方で、さらりと、毎日、着物を着ていたのだな~と思う。

祖母の旅が盛んだったのは、昭和30年代後半から昭和50年頃までだった。

私はまだ子供だったので、旅について、お酒や地方の料理について、三味線について、興味を持って一緒に話すような歳でなかった。
それが残念。
記憶をたどると、たとえば、京都のハモ、フグのヒレ酒、鴨川をどり、長楽館、円山公園、神護寺など、両親や叔母に話していたように思う。


如在」 
と書かれた書を、5年前に、京都のあるご住職がくださった。
(今はもういらっしゃらないので、教えていただくことが出来ません。ここにあなたが居ると思って、学ばせてもらいます・・・)という意味だと話してくださった。
まさに、そんな気持ちかな~と。

2011年2月16日(水) 私の祖母 その1

2011-02-16 | ich 私
昭和44年5月18日
日和佐海岸


日和佐海岸を歩く祖母・静子。旅が好きで、毎月一人であちこちへ旅していた。本を読み、行く先々の文化や風土や歴史を調べて、カメラをもって旅し、写真を撮って、たくさん旅の日記を書いた。地酒、郷土料理を楽しんだ。下は極簡単な、この写真の裏の記述。

高知駅より阿波池田乗換、徳島に向う。
途中大歩危の景色をみることができた。
これは吉野川の渓谷である。
牟岐線に乗換、日和佐に向う。

到着した宿の玄関前には大きな海亀が二頭飼われていた。
年齢は50~60歳くらいだという。
この海岸も、大きな岩に当たって砕ける波は豪快で素晴らしく、
見飽きない。


お琴や三味線を弾いて、詩吟、日舞を習い、美酒と美味を楽しみ、着物を楽しみ・・・。
まるで、今の誰か?みたい。

特に京都や奈良へは、新幹線のない頃にも夜行列車で、年に何度も行っていた。

2011年1月26日(水) 職業インタビュー 

2011-01-26 | ich 私
先日、ご近所の奥さんが訪ねていらした。
中学一年生のお嬢さんが学校のレポートで、職業についてインタビューをしたいという。

海外に興味があるそうで、「作家の仕事」、ということで私に聞いてみよう、となったらしい。

中学生は、子供と言えば子供だが、全くの子供でもない。

かの光源氏は、十二歳で美豆良(みずら)の結い髪から、髪を髷に結い、冠を被り、元服の儀式に臨み、その晩に左大臣の姫君で十六歳の葵上と結婚するのである。(次の本で、芸舞妓の髪型について執筆中。光源氏の例を取り上げた)
男女とも、80代、90代まで元気な現代、そんなに若い頃から事がすすんだのでは、孫、ひ孫、玄孫どころか、どこまで続くのか・・・。

とはいえ、13~14歳ともなれば、いわば、若い人だ。

その頃、私もある大人から、たてまえではなく、感じたこと、思うことについて、率直な人生観をたまたま聞く機会があった。
それは、非常に鮮烈な印象となり、その後の自分に影響があったことは確かだった。


ノルウェーのフィヨルドにて。透明な空気の中、大空を舞う。

若い人に、夢や希望(この歳になっても! 夢にまみれ、希望に突き動かされ?)、日頃思うことを語るのも、もしかして意味があるかもしれないし、若い人が何を考え、何を思うのか知ることは、私も勉強になると思う。

5~6年ほど前にも、親しい友人のお嬢さんが同じ宿題を抱え、やはり、私に話を聞きたいと訪れた。
確か私は、絵画やドイツ語に興味を持ったことや、異文化の中で生活したことや、20代前半の頃一人でふらりとヨーロッパ各国を40日以上も、気の赴くままに、写真を撮りメモをしながら旅した(奇しくも、それは今の仕事だ)ことなどを話したと思う。本人はどう受け取ったかわからないが、その後、海外や英語に興味を持ち、某有名大学に合格し、今年秋から米国へ一年留学して、経営学を学ぶという。意欲と展望を連絡してくれた。
素晴らしいの一言!

若い人が、やりがいをもって、活き活きと将来を語ってくれるのは、本当に嬉しいものだ。こちらも、一緒になって気分が高揚してしまう。

今や入試の真っ只中。その重圧にめげず、
思いのままに、好きなことに没頭し、興味のある勉強をして、楽しく、大きく羽ばたいてね!




2011年1月14日(金) 幼児体験が今を暗示?

2011-01-14 | ich 私
昨日の続きで、
さらに「ずかん」を見ると、色々思い出した。

少し大きくなって、幼稚園へ入ったものの、団体生活に馴染めずに(今も苦手で、隠れ家のお籠もりが私には必要なのだが)中退して、家でネコや祖母と遊んでいた頃、凄く印象的だったページは以下だった。


この右ページ。あらら、これが今の京都とのご縁?


菖蒲、アヤメ、カキツバタは小学校の頃、好んで描いた。
色は青やブルーが好きだった。


この右ページの真ん中あたりは、今、好んで出かける琵琶湖の「浮御堂」か?
(フフフ、その横の料理屋もよろしおすえ。)

*** さて、あ、さて、さていったい、この本は「ずかん」か「ずあん」か?
周りの大人がこの本を「ずあん」と呼んだのだが、私は本当に「ずあん」なのか疑問に思った。



というのは、上の写真の様に、本の中のページに、「ずあん」という見出しや、「しょくぶつ」などいくつかの見出しあるので、「ずあん」と表紙に書くのは可笑しい。
そして、祖母に聞くと「ずかん」だと言う。
その方が良さそうなので「ずかん」とマジックで表紙に書いた。
字が大きすぎて一行に書けなかった。この頃から今も、字は大きく書くのが好きだ。

さて、この本を今見てみると、
「図画辞典」(なるほど!)、定価100円/野ばら社 と書いてあった。

同じ書棚に、次の段階の三種の「ずかん」が並んでいた。
これは明日に。

2011年1月12日(水) 葦編三絶 「幼い私のずかん」 

2011-01-12 | ich 私
京都で、染織のお話を各所でお聞きし、すべてが興味深かった。

西陣織の史跡巡りをしていると、蚕の社で出会った方が、秦氏の古墳へご案内くださった。さらに、蛇塚へ、さらに・・・と続き、帰る前には川島織物さんへ寄せていただいた。

まさに私のモットーとする「萬学 万楽 萬福」であった。

*** この言葉、苔寺をお詣り中、「あなたの願いは?」と聞かれ、頭に浮かんだ言葉で、さっそく、奉納させてもらった。これに関しては、昨年6月に、京都ライオンズクラブでお話させていただいた。



葦編三絶。0歳から幼稚園頃の私が、何年もの間めくり続けたために、綴じ目はボロボロになり、最初の80ページと中間の数ページが時と共に紛失している。


さて、人は、子供の頃に接したものに、後々、出会い続けるのではないだろうか。三つ子の魂・・・、それが頭にインプットされるからかもしれない。

私が、最初に与えられた“私の本”は「ずかん」だった。
今回、着物や帯の図案家の方々にお会いしたために、その「ずかん」を見ていた幼い頃を鮮明に思い出したのだ。

まだ這いずっていた頃(2010年12月28日のブログの写真)、その本を親が買い与えたのだ。

私は小学校卒業頃まで、凄い勢いで育ち、洋服はワンシーズン着ると、もう小さくなって着られないのだ。だから、常に、身に付けるものは大きいものを買い与えられた。

それが、本にまで及んだ。つまり、「長く使える」からだ。

と言うわけで、口がきけない頃から、「いつまでも使えるように・・・」という倹約(?)精神から、小学校の子が見るような本を持っていた。

ずかんの中身は明日、見てみましょう。
Mal sehen, wie sie sind!




2011年1月10日(日・祝) 八坂神社の新成人  ~当時の自分を思う

2011-01-10 | ich 私
今日は日曜で、祝日で、成人の日。

取材先も休みなので、八坂神社へまずは参拝。
9月のエストニアの着物の講演と写真展に、町の人の自然な振袖姿も撮影しようと、何枚か写真を撮らせてもらった。

自分の成人式を思い出した。
振袖を着て、新日本髪を結った。
赤い鹿の子で、簪も挿した。
振袖は、白、赤、黒、緑、金で、図案化された松が染められていた。
大柄でモダンな感じだった。

若い人に接して思うのは、
「成功も不成功も自分しだい。その道を選んだのも自分」
後悔のないように、自分の可能性を求めて、精一杯充実した日々を送って欲しいなと。

2010年12月28日(火) 誰でも、こういう時がある。何を思うか「這いずり乳飲み子」

2010-12-28 | ich 私
一夜明けて、隠れ家にて、掃除から始まる12月。




昔の写真の整理のついでに、今日は、這いずり。
(ブログにすると、写真の整理にもなる)

これはほんの数カ月の頃。
人間なのに、何かの幼虫みたいで、面白く撮れている。
目が落ちそうに大きい。

後ろにあるのは、足踏みオルガン。
小学校のころ、父がピアノを買い、オルガンはお払い箱になったが、レトロなオルガンを捨てたのはもったいなかった。


2010年12月27日(月) あらら、間違い 昨日も今日も、一歳半でした

2010-12-27 | ich 私


昨日の写真、実は一歳半だった。

今書いている本で、
お話を聞いた花街の大きいおねえさんが数え年でおっしゃるので、
何だか私の頭の中、一瞬、数え年モードになってしまったのだ。

今日の写真は、その二ヵ月後。
「大きいねぇ。もうすぐ幼稚園ですか」と近所のおばあさんが聞くと、
「いえいえ、まだ赤ん坊ですよ」と祖母がその度に答えるので、がっかりしたのはこの頃だったか・・・。

お家の前をお掃除。
今もそうだが、何でもしたいのは子供の時から。

ドイツ政府観光局に勤めていたとき、ドイツファンという近所に住むおじさんから、
「結婚以外は、何にでも興味があるのか」といわれ・・・なるほど言い得て妙だと思ったが、人はいつどうなるかわからない。

お掃除の帽子は野球帽だが、履いてる下駄はなぜか同じ。
とても好きだったこの蝶の下駄は父と母が大事に取っておいてくれたこともあり、何と、今も物置に入っている。

2010年12月26日(日) 二歳半の私

2010-12-26 | ich 私


何年か前に、叔父や叔母が昔の写真を持ってきてくれた。
それを集めておいた袋が出てきたので、写真を保存しようとスキャンした。

これは、二歳半の頃。(と、昨日書いたが、計算違い。実は一歳半だった)

大人のベストを着て、近所の幼稚園の子がくれた帽子を被って、ちょっとおねえさん気分だった。
「私はもうすぐ(あと半年もあるが…。いや実は、あと一年半もあるが)三歳。もはや赤ん坊ではない」と思っていたような…。

その頃の家、勝手口が白いドアだった。
その前に立っている。

蝶が付いてる下駄は、赤と黄色で可愛らしくて、鈴も付いていたので好きだった。

(今も、出たての舞妓のオコボには鈴がついている。こういう昔の幼い子供の伝統が生きているということだ)