Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2011年8月17日(水) 高野山への旅

2011-08-17 | 日本の旅
高野山の記事を書いた。

確認したい事があって、
6月に泊まった高野山の宿坊や出会った人に
昨日と今日、お電話をした。

思えばちょうどお盆に当たり、なんだか不思議な気持ちだった。
下界は暑いけれど、高野山は涼しいようだ。

「空海少年の日好んで山水を渉覧せしに、吉野より南に行くこと一日、更に西に向って去ること両日(二日)にして平原の幽地あり、名づけて高野という。・・・」
・・・弘仁7年(816年)6月19日の『高野山を賜らんことを乞う』(上奏文)


なるほど、まさに幽地だと、寺と自然の調和する姿を思い出し、
猛暑の中、涼と清と静を想像した。


2011年7月28日(木) 筑豊の炭鉱画 「世界記憶遺産」

2011-07-28 | 日本の旅
TVで、山本作兵衛(1892~1984)の絵画や日記などが
記憶遺産に登録されたと聞き、
感激した。

ヨーロッパの炭鉱、銀鉱などの鉱山を
ドイツやスロバキア、ベルギーなどで取材したことがあり、
そこで働く人たちの立場を思いやったことが何度もあったからだ。

生きることに精一杯な姿が、胸にジーンと来て、
人の営みが、あまりに哀しく、あまりに強く、あまりに美しくて、
目頭が熱くなるのだ。


そして、この「記憶遺産」という考え方に、
フランス的な哲学を感じる。

フランス的哲学とは何かと聞かれると、
すぐに一言では答えられないが、
・・・鋭利な感性に繋がるような気がしている。



2011年7月25日(月) 隠岐の島

2011-07-25 | 日本の旅
過日、ブログに遊覧船やホテルのことを書いた隠岐の島の旅で、たまたまお会いして、ホンノちょっとお話した女性から、
今日、メールが来ました。

その時、京都の話はしなかったので、知りませんでしたが、
何と、彼氏は「京都の染屋さん」の息子さんだそうです。

その彼氏は、若い頃、
芸妓さんに入れあげて(?)結婚すると言って物議をかもしたとか。

出会う人たちが、
不思議に、必ずというくらい、ヨーロッパか京都に繋がっていてびっくり。


2011年7月23日(土) 雪の町や沖縄で「機織るおばさんたち」

2011-07-23 | 日本の旅
昨日のお着物、ピンク色の絞りが美しいです。
舞妓ちゃんみたいな若い女の子がスッピンで着たら、愛らしくて似合いそうです。

ちょうど、「絞り」について、昨年から京都で何度か取材したところで、
粟粒よりも小さい絞りで、一反の反物を埋め尽くすのです。

友禅、西陣織などの京都の染織はもちろんですが、
十日町でも、雪に埋もれた山村で機を織る(出機)おばさんを訪ね、
この10年来、芭蕉布のおばさんを沖縄に訪ねたりしました。

夜昼となく働き、労を惜しまずに芭蕉を植え、
栽培し、その木から糸をつむぎ、機を織る沖縄のおばさん

雪がうず高く積もった山間の家で、
窓から差す薄い明かりで昼も夜も淡々と機を織るおばさん。
その地域は、昭和40年頃までは車が入れず、仕上がった反物を、
雪の中、山の尾根伝いに命の危険を冒して歩き、
町へ反物を届けたそうです。

おばさんたちのお話を聞き、シンパシーを感じてきました。


着物の反物を織る人、染める人を想うと、
一反の重さは一トンにも、百トンにも感じます。

「モホイ・ナジ芸術大学」の学生さんたちは、現代の日本で、着物がどう受け入れられているのか、技術は今の世代にどのように引き継がれているのかなど、実地のお話に興味があるそうなので、取材したお話も映像を交えてすることにします。


2011年7月13日(水) 出雲阿国のお墓

2011-07-13 | 日本の旅
出雲大社のところで、掛軸やら、旅館の話を書きましたが、
出雲・・・といえば、出雲阿国。

出雲大社から海へ抜ける道に、彼女のお墓、庵。終焉の地などがあります。



阿国のお墓です。
歌舞伎役者さんや俳優さんなど、参拝していらっしゃるようです。

京都の四条大橋のたもとの阿国の像の前を、よく通ります。
四条河原で歌舞伎踊りを踊り、観衆を沸かせた阿国さん、
ここに眠る・・・と思うと、感慨深いものがあります。

何年か前の節分の『お化け』で、「出雲阿国」の格好をしたのも、何だかご縁です。

2011年7月12日(火) 隠岐の島の旅 II 

2011-07-12 | 日本の旅
島後の西郷の反対側あたり。
ローソク島へ船で漕ぎ出でました。

ちょうどローソクが灯る様に、夕日が沈む「岩」です。
その日の雲の様子や、波に揺れる船、他のお客さんもいらして・・・、
中々、ローソクの先に夕陽が『点火』する瞬間にシャッターを切るのは難しい。
船の舵を取るのも難しいはずです。




船を降りた近くにあるホテル「海音里」。
窓からの眺め美しく、入り江が湖の様にも見えて、
素敵なところでした。
(「そこ、そうそう、押すだけだから!」なんて、私が注文して、
これも、昨日の写真と同様、香保里ちゃんが私のカメラで撮影。)



ホテルの浦には、滝。
この風情は、オーストリアなど、チロルを思わせました。

隠岐の島の自然の美しさ、後醍醐天皇、後鳥羽上皇、様々な神社、巨木・・・
魅力的で、また行きたいなと。


2011年7月11日(月) 隠岐の島の旅 I

2011-07-11 | 日本の旅
一昨日書いた、出雲大社の旅の続きです。
隠岐の島も巡りました。


これは、隠岐の島、国賀海岸遊覧船を降りて、浦郷の港を見晴らすホテルに到着。
私たちが泊まったお部屋にて。
(香保里ちゃん、私のカメラで撮影)


インディゴブルーの宵闇が迫り、このまま、
お着物の柄に染め付けてしまいたい
風景だった。


2011年7月9日(土) あら、どこかで見た・・・

2011-07-09 | 日本の旅
この10年来、日本に居るときは、日本らしいところへ旅したくなる。
そして、和室に泊まりたくなるのだ。


旅館の部屋へ入ってびっくり。
『どこかで見た・・・!』
何と、私が持っている掛軸と同じ掛軸が掛かっていた。
描かれている芸妓の着物の色と柄が、ちょっと異なるだけであった。


この作りも、どことなく・・・似ている。
(この旅館は、出雲大社へ徒歩3分、
「神迎の道」にある旅館「すたに」)

お庭にはお茶室もあって、夕方になると燈篭に日が灯り、
華美ではないが、静かで、お料理も丹念にきちんと作られた味わいだった。
(また泊まりたい旅館だった)

2011年5月29日(日) 雨に輝く新緑 「成田山新勝寺」

2011-05-29 | 日本の旅
ご近所の方々が、毎年、成田山新勝寺へバスをチャーターして
お参りにいらしている事は知っていましたが、
私は参加したことがありませんでした。

成田空港へは何度も行くのだから、
今回、ぜひ成田山へ参拝したいと、
「横浜成田不動講第33回団参」
へ、私も参加させていただきました。



昨年、京都の龍安寺から始めた納経帖に、
早速、御朱印をいただきました。


雨に濡れた新緑が、清らかに美しく、
梅雨の風情が心に響いてきました。


そして、坊入の時の法話、精進料理、お神酒にも、
心が清々として、少し落ち着いてゆきました。

ご本尊は、弘法大師が自ら敬刻開眼された御尊像「不動明王」。

数え切れないほど多数の色調の緑に囲まれて、
カキツバタが咲く頃、
高野山の宿坊に泊まった夜が、映画の様によみがえった。
カエルの鳴く声と、雨の音だけが聞こえ、
暗がりに木々がぼんやり見えて、
若い葉の匂いが漂う庭。
梅雨の季節の夜の静寂。
「風景の音」。
「美」。
日本の旅っていいな。

2011年5月24日(火) 多良間のヤシガニ、獅子舞

2011-05-24 | 日本の旅
「5月21日(土)の多良間島の写真、見たいな」
 …と友達からメール。

私 「でも、人の顔が映ってる写真を、
   こんなに沢山の方々が見てくださるブログへ掲載するのは無理だわ」
友達 「自分の顔ならいいのでは?」

なるほど・・・、とのことで、下は私が
漁師さんの舟で、水納島(みんなじま)へわたるところです。
青の海、空、白い雲、鮮烈であった。



水納島(みんなじま)には、もちろん、
多良間島の人たちのお友達が沢山いらして、
みんなで、みんな島を歩き、
帰りには、シュノーケルでシャコ貝を採ったのだが、
私の一眼レフのカメラでは、船の上で簡単に撮影頼めず、写真なし。
ああ、残念なるかな。

そして、多良間へ戻ると、あらら、ヤシガニが現われて、
もちろんすぐに捕まえた。


かわいそうだけど・・・ヤシガニは美味。

でも、毒があるので、
料理に慣れた人に頼んで、茹でてもらって、
泡盛で酒盛りとなった。


八月踊りの舞台。
獅子舞の段。大きな獅子が身軽に、泡盛に飛びつく。



そして、翌日、ヒデさんと私。
芭蕉の木を縦に裂いて、さらに何度も裂いて、細い細い糸にするところを、
私にもさせてもらった。数本作るのが、私にはやっとであった。


美しい島、
美しい人情、
すべて美しかった。

2011年5月21日(土) 早朝に多良間より電話 ゴットマザー“ヒデさん”

2011-05-21 | 日本の旅
2011年1月23日のブログに、
多良間島の神秘的な
無数の星が
水平線から水平線まで広がる大空に隙間なく(と感じるほどに)
眩しいほどキラキラ輝く漆黒の夜について書いた。


私の旅・たび・旅の中で、
これほど印象的なワンシーンは、なかったかな~と思うほど
であった。


芭蕉を育て、糸を作り、芭蕉布を織るヒデさんの所に泊まっていた時だった。
それは、八月踊り・海風・サトウキビ畑・シャコ貝・泡盛・満天星の夏だった。
漁師さんと舟を漕ぎ出し、シュノーケルでシャコ貝を採り、八月踊りで島の人と泡盛で飲み明かし…“様々のこと思い出す もの凄い夏”であった


すると、
今朝8時過ぎ、土曜の朝に一体誰から電話かしら・・・と受話器を取ると、

「恭子さん?そうでしょ?」 と女性の声。

思わず、
私 「どちら様でしょうか?」

・・・「多良間島のヒデです」

私 「まあ、ヒデさん!!! 私も電話しようと思ってたんですよ」

東日本大震災の後、私がどうして居るだろうかと心配で、電話しようとしたが、電話番号が見つからなくて、今になってしまったという。
気に掛けてくださって、とても嬉しい。

ヒデさんは、たしか今年、米寿である。
若々しさと、力強さと、しなやかな気力、大きな優しさは、まさに沖縄のゴットマザーだ。


私が今までに出会った女性(年齢国籍を問わず)の中で、
忘れられない人ベストスリーに入ることは間違いない。

「そうさ、これからだよ」
「これからさ」


と、一日に何度も言っていた。
芭蕉布を若い人に伝えようと学校を作ろうとしていた。

私は
その言葉の美しさと、
そういう心のあり方の人が、
たった一人で芭蕉を植えるところから始め、育て、収穫し、繊維を取り出し、糸をつむぎ、芭蕉布を織るという、
真摯な姿勢に魅せられて、
多良間島へ何度か旅した。
その黙々とした心の集中と作業風景は、祈りにも思えたのだ

(特に、芭蕉を育てて糸を作るまでは、筆舌には尽くしがたい手間隙と集中力が必要である。常人にはできない作業だ。それは、観た人にしか、想像さえもつかないだろう。)

ヒデさんが、
「『八月踊りになると、恭子さん、来るんかなあ』と、毎年思ってるのよ」と話してくれた。

実は私も毎年、旅の予定がなくても、『八月踊り』の日程を密かに調べて手帳に記しているのである。

そうさ、また多良間へ行こう。
そして、三線(さんしん)を弾こう。

→ 多良間町役場で、島の人と三線を習った。その音が忘れられず、後に私も三線を買った。三味線に似ているので、調子はすぐに合わせられるが、単純な唄しかまだ弾けない。





  


2011年1月23日(日) 星の夜 多良間島の夢幻の星空を想う

2011-01-23 | 日本の旅
昨夜、戸を閉めようとしたら星空。

チカチカと光る星に、
沖縄の多良間島で見た、漆黒の夜空を、
モザイクのように尽くす程の
物凄い星空を思い出した


芭蕉布のおばさん、Hさんの家の一室に泊まっていた「八月踊り」の夏の夜だった。

突然目が醒め、目の前の窓を見ると、一幅の絵の様に、
漆黒をバックに、物凄い光が所狭しと無数にまたたいている。
一体、これは何? 


それは星空だった。
星って、一体、こんなにたくさんあるものなのか?

おばさんのサンダルをつっかけて、無意識に外へ出た。

どこを歩いたか覚えていない。

サトウキビ畑が星明りに照らされて、茶色がかって不思議な色に見えた。
私が畑の間を散歩したのは、一分だったのか、一時間だったのか、
思い出せない。


<注意>→これは私が夢遊病なのではない。
翌朝、近所の人たちが、五十年来、いや、八十年来の物凄い星空だと言った。
つまり、50歳の人も80歳の人も、その時までに見た中で、もっとも豪華な星空と思ったのだ。