おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

ガンの治療は日々進歩している。≪2≫

2007年10月04日 06時29分41秒 | 母の事(肺がん) そして絆
定位放射線治療3日目 2006年11月1日
母の体調に変化はない。
普通の放射線はやけどのようになると聞いていた
がそのような事はない。よく見ると少し皮膚が
赤いかなと言うくらいだ。
母に痛いとかはないらしい。
治療後 病院内の売店へ行って雑誌やかわいい
薬箱・あめなどを買った。
外はとてもいい天気だった。
母によると「結構な治療」だという事だ。
放射線治療と聞いてどんな風になるのか
不安だった。
この時点で不安はなくなりつつあった。

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病気が判明するまでに母に咳き込みが
あったりの自覚症状はなかった。少し前から
私は母が寝ている時に胸に手を当てたり
擦ったりするのをいやな感じで捉えていた。
母には伝えたが、無意識にしているらしく
気にしていなかった。

「ちょっと しんどい(体調が悪い)」
と近所の医院へ行った。
極度の貧血があった。腫瘍マーカーを調べた結果。
CEA値が高かった。
母に先生が私に話たいからと伝えられた。
母は私に言わなかった。
何も知らない私は「どうやった。」と聞いた。
「分らへん。もうあの医院へは行かへん。」
と母は言った。
後日 看護士さんから自宅に電話が入った。
すぐに医院へ行った。
私にはその時何の知識もなかった。
先生から消化器系統に異変があるだろう。と。
すぐに病院で検査したほうがいい。
先生ははっきり言われなかったが
その時に私はガンの可能性は大だと感じた。
私は自分を責めた。
何で気がついてあげられなかったのかと。
異変発覚から1ヶ月経過していた。




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