定位放射線治療3日目 2006年11月1日
母の体調に変化はない。
普通の放射線はやけどのようになると聞いていた
がそのような事はない。よく見ると少し皮膚が
赤いかなと言うくらいだ。
母に痛いとかはないらしい。
治療後 病院内の売店へ行って雑誌やかわいい
薬箱・あめなどを買った。
外はとてもいい天気だった。
母によると「結構な治療」だという事だ。
放射線治療と聞いてどんな風になるのか
不安だった。
この時点で不安はなくなりつつあった。
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病気が判明するまでに母に咳き込みが
あったりの自覚症状はなかった。少し前から
私は母が寝ている時に胸に手を当てたり
擦ったりするのをいやな感じで捉えていた。
母には伝えたが、無意識にしているらしく
気にしていなかった。
「ちょっと しんどい(体調が悪い)」
と近所の医院へ行った。
極度の貧血があった。腫瘍マーカーを調べた結果。
CEA値が高かった。
母に先生が私に話たいからと伝えられた。
母は私に言わなかった。
何も知らない私は「どうやった。」と聞いた。
「分らへん。もうあの医院へは行かへん。」
と母は言った。
後日 看護士さんから自宅に電話が入った。
すぐに医院へ行った。
私にはその時何の知識もなかった。
先生から消化器系統に異変があるだろう。と。
すぐに病院で検査したほうがいい。
先生ははっきり言われなかったが
その時に私はガンの可能性は大だと感じた。
私は自分を責めた。
何で気がついてあげられなかったのかと。
異変発覚から1ヶ月経過していた。
母の体調に変化はない。
普通の放射線はやけどのようになると聞いていた
がそのような事はない。よく見ると少し皮膚が
赤いかなと言うくらいだ。
母に痛いとかはないらしい。
治療後 病院内の売店へ行って雑誌やかわいい
薬箱・あめなどを買った。
外はとてもいい天気だった。
母によると「結構な治療」だという事だ。
放射線治療と聞いてどんな風になるのか
不安だった。
この時点で不安はなくなりつつあった。
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病気が判明するまでに母に咳き込みが
あったりの自覚症状はなかった。少し前から
私は母が寝ている時に胸に手を当てたり
擦ったりするのをいやな感じで捉えていた。
母には伝えたが、無意識にしているらしく
気にしていなかった。
「ちょっと しんどい(体調が悪い)」
と近所の医院へ行った。
極度の貧血があった。腫瘍マーカーを調べた結果。
CEA値が高かった。
母に先生が私に話たいからと伝えられた。
母は私に言わなかった。
何も知らない私は「どうやった。」と聞いた。
「分らへん。もうあの医院へは行かへん。」
と母は言った。
後日 看護士さんから自宅に電話が入った。
すぐに医院へ行った。
私にはその時何の知識もなかった。
先生から消化器系統に異変があるだろう。と。
すぐに病院で検査したほうがいい。
先生ははっきり言われなかったが
その時に私はガンの可能性は大だと感じた。
私は自分を責めた。
何で気がついてあげられなかったのかと。
異変発覚から1ヶ月経過していた。