おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

私から母を奪わないで・・・。

2007年10月15日 23時48分03秒 | 母の事(肺がん) そして絆
私は母のCTを見て、どうしても納得いかなかった。
7月に比べて10月の病巣は大きくなっている。
私は乳がんを見てもらっている先生に見てもらうため
病院へ向かった。予約のない私は最後を覚悟していた。
11時40分に受付をして診察は午後3時をまわっていた。
先生に母のCTを見てもらった。
先生の答えは私と同じく大きくなっている。だった。
もう1度治療は行いないことを知った。
他に治療の方法はないのか聞いてみた。
抗がん剤も今はしんどくないのがある。
やってみてはどうだろうか。と言われた。
私は今の主治医に相談していい返事がもらえない時は
頼みます。と言って帰ってきた。

帰りの車の中で涙が止まらなかった。
治ったと信じている母を思うと切なかった。
母が毎日 胸をさするのもきっとしんどかったんだろうな。

明日、K大学病院へ行く。
その時に今後の事を母に分らないように聞けたらいいな。
と思っている。

本日より私は泣かない。
母が起きている間は決して涙は出さない。
だけど、夜一人になったら勘弁してほしい。
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ガンの治療は日々進歩している。≪4≫

2007年10月15日 03時52分33秒 | 母の事(肺がん) そして絆
定位放射線治療4日目 ≪2007.11.2≫
母を時間前に放射線室まで車椅子で送っていく。
今日で最後だ。今のところ母には何の異常もなくいつもどうりだ。
先生が出てこられて母を託す。
母が放射線室から出てくるまで私はいつものように待合にいる。



治療を終えた母が車椅子に乗って出てくる。
先生にご挨拶して病室に戻る。後で話があると言われた。
放射線室は地下にある。車椅子で行けるようにスロープになっている。
スロープを車椅子を押しながら母に話し掛けた。
「お母ちゃん。よかったね。もう終わったな。」私は嬉しかった。
母は助かった。これで私が望んだとうりに肺がんで死ぬことはない。
母は「本当にこれで終わったんか。お薬も何にもないのんか。」って。



夕方、先生からお話があった。
「これで治療は終わりました。では明日退院されますか。」
エー。って思った。これでいいの。もうお終い。
「入院の予定は10日までになっています。私は今日治療が終わってすぐに退院は心配です。」っと。
先生は「大丈夫です。もう普通の生活をしてください。で、明日退院されますか。」
私は「今日は11月2日です。3日は祝日4日は日曜日です。ですから月曜日の退院でお願いします。」
退院は11月5日月曜日に決まった。


≪今日の母≫
16日にK大学病院へ行く。
9日にCTをA病院で撮ったのを持っていく。
A病院の担当医師は「変わりないですよ。」と言ってくれ安心した。
けれど、CTを自分の目で確かめてみようと思った。
7月の時より影は大きくなっていた。よく見た。
PCにスキャンして見た。2つを重ねたがやはり大きくなっている。
もう寝られない。1人悶々としていた。
翌日の土曜日。私は近所の医師にCTを見てもらった。
「いい感じ。よくなってるよ。」と言われ安心した。
だけどやっはり心配だ。
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