用足しで一関遠征です。まずは観音様のお堂を再建していただいた、藤沢町の菅原木工へ。ナビは自宅へと導いてくれたが、この付近がゴール付近と言い、二軒連なっているが、どっちだ。丁度、家の人が居たので聞いて見ると、もう一軒の方でした。洗濯物が干してあるが、誰もいないようだ。居ないことも予想し、手紙も書いて来たが郵便受けが見当たらない。
来る途中に作業場みたいな所があったので行ったところ、丁度、軽トラックが戻って来た。家主みたいで、どうらや息子さんのようで、感じの良い人でしたね。観音様のことについて、色々調べており、再建した時のことも何かの情報があれば連絡願いたい旨を話し、菓子を添えてお願いしたもの。
せっかく藤沢町の来たので、本人は私と逆方向で北進して不在ですが、一関で同僚だったタメのSDHの自宅へ。ナビは”間もなく到着です。注意して走行ください”と言うが、ナビのゴールの位置は、市道からさらに私道に入っての家で、何軒も連なっており、どの家だかこれじゃわがらねなと。訪れた証拠に、市道から遠目に写真を撮って退散です。
川崎町で飯を食べ、磐井川の堤防から、次の目的地の金山棚田(かなやまたなだ)へ。江戸時代後期から続く、不整形な田んぼが約100枚連なっている場所です。水田開発の始まりは、丘陵・山地に刻まれた小さな谷からとのことで、水源は、沢水、天水、溜池で、上の段から水が落とされる仕組みになっていると。全て手作業なので、高齢者の耕作者は、来年以降のコメ作りはもう出来ないとのことです。昔からの風景は、いつまでも残して貰いたいものですね。
【今日の一枚】金山棚田の風景です。丁度、あじさいも見頃でしたね。
来る途中に作業場みたいな所があったので行ったところ、丁度、軽トラックが戻って来た。家主みたいで、どうらや息子さんのようで、感じの良い人でしたね。観音様のことについて、色々調べており、再建した時のことも何かの情報があれば連絡願いたい旨を話し、菓子を添えてお願いしたもの。
せっかく藤沢町の来たので、本人は私と逆方向で北進して不在ですが、一関で同僚だったタメのSDHの自宅へ。ナビは”間もなく到着です。注意して走行ください”と言うが、ナビのゴールの位置は、市道からさらに私道に入っての家で、何軒も連なっており、どの家だかこれじゃわがらねなと。訪れた証拠に、市道から遠目に写真を撮って退散です。
川崎町で飯を食べ、磐井川の堤防から、次の目的地の金山棚田(かなやまたなだ)へ。江戸時代後期から続く、不整形な田んぼが約100枚連なっている場所です。水田開発の始まりは、丘陵・山地に刻まれた小さな谷からとのことで、水源は、沢水、天水、溜池で、上の段から水が落とされる仕組みになっていると。全て手作業なので、高齢者の耕作者は、来年以降のコメ作りはもう出来ないとのことです。昔からの風景は、いつまでも残して貰いたいものですね。
【今日の一枚】金山棚田の風景です。丁度、あじさいも見頃でしたね。