護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

国民投票法案の世論調査

2007年03月13日 12時27分07秒 | ごまめのぼやき
 今朝の新聞に国民投票法案の世論調査で国民投票法案の支持が68%以上に上昇したと有った。
          
 どう何だろう。この法案の内容が曖昧で中身が見えてこないと思っているのは、私が不勉強なのだからだろうか。

 私も単純に考えると、何事も国民投票で決めるのは賛成なのだが、国民の思いは深く考えなければ、この考えと同じなら単純に支持に回るのだろう。
 しかし、少し深く考え、過去の自民党の政治のやり方を検証すると、解釈次第で政府の思う通りになる票決になりそうなのが恐く、それが改憲や共謀罪の成立。他国と紛争に容易に首を突っ込むように成り、またぞろ、誤った道を歩まないかが心配なのだ。


 この小さな新聞の見出しは、憲法改正より重いものを伝えているのかも分からない。

 昨日の続きです

2007年03月12日 10時45分44秒 | ごまめのぼやき
  昨日の続きです。
 最近は政治バラエティーの花盛りで、イラストや表にグラフなどを交えて分かりやすく説明している。
 婆さん(家内)とテレビを見ていると、分かりやすいのだがテレビの画面は一過性て消えてしまうので忘れてしまうと言うのを聞いて、映像だったらプリントしても残せると思い、番組のテロップから目で見る政治マガジンを作る事を思い付き、私の所属している護憲+のホームページに視聴覚コーナーに投稿している。

その中から官僚の天下り関係を取り出してご紹介する。
 
 表題をクリックして下さい。

No.1 天下りとは

No.2 天下りのタイプ

No.3 国家公務員の再就職者報告書

No.4 天下り調査の結果

No.5 防衛施設技術協会の天下り数と業務

No.6 防衛施設技術協会の受注する業務の内容

No.7 防衛施設技術協会の仕事は丸投げではないの?

No.8 防衛施設技術協会の岩国飛行場工事のヘンテコ調査業務、中間搾取はいくらかな?

No.9 (社)近畿建設協会の委託された金額

No.10 補助金と委託費の違い

 個人の商売でも企業でも、利益に対しての人件費の比率は高い。しかし、天下りの人件費は、人件費として計上するのでないから表には人件費として出ていない。


 昨日の
各省庁の天下り役職員数・天下り先数・天下り先の補助金や交付金

 
 見ても分かるように、本庁より天下り人数が多い省庁があると言うこと。
 定年がない天下り、なんぼ何でも甘えかし過ぎるとおもうのは私だけではないとおもう。

 ただ此処に載っているのは一掴みの高級公務員で、多くのノンキャリ公務員の方々は真面目に働いていると思うのだが、社会の人々には高級官僚しか目にとまらない。

 最近放送された中にゴミ処理問題がある。
 多摩市と横浜市の家庭からゴミ処理場まで自動になっている処理施設だ。

多摩ニュータウン
建設費 約50億
 予想ゴミ処理計画では                
一日約58トン しかし  現実は約8トン
 年間一億円の運営費が負担になっている。


横浜市
建設費 約94億
予想ゴミ処理計画
一日約160トン しかし  現実は約10トン
維持管理費 約1億5000
使用手数料 約1億1000
 4000万円赤字

 と言う事で、国のモデル事業として取り入れた、この施設は現在は使っていない。

 此れ等を計画するキャリアは、頭は良くても、実体験は全くない。下積み経験も全くない。汗水たらして体力を使った経験も全くない。お金も苦労して稼いだ経験もない。
 このような人物が計画しても正常な機能をしないということは、この多摩と横浜市のゴミ処理施設は物語っている。

 各地で箱ものを作り、当初の計画と違っていたとしゃあしゃあと責任もとらず、天下りできる方々はうらやましい限りである。


自民党は焦っている

2007年03月11日 09時23分35秒 | ごまめのぼやき
 自民党を見ていると、何だか自民党は焦っているなと感じる。

 現在、内閣の人気アンケートの人気の降下や地方選挙の選挙民の動きを見ていると、この夏の参議院選挙にひょっとしたらと云う懸念を持っているのではないだろうか。
 だから、色々な重宝法案をゴリ押しで上程、野党の意見も聞かず単独でも法案を可決する方針にしている感じだ。。

 此の様な自民党の態度では、我々がいくら反対行動をしても、相手は聞く耳持たずだからどうにもならない。
 そして,其れを阻止する答えが出ないのか歯痒い。

 私は,護憲と環境と日本の借金がもの凄く気になる。何故なら此の三つは後年の子供や孫たちに負担や生命に関係するからです。

 その中の一つ日本の借金の元凶は公務員にあり、公務員法は絶対に変えなければ絶対に日本の財政は良くならない。
 その一つに天下りがあり、公務員数より天下りした人数の方が多いという現象。そして是等の人々は高給であり高年齢者で死ぬまで続けている実態もある。

 考えてみよう。現在日本の各地が倒産状態になっている。これは官僚が描いた政策が如何に場当たり的なもので実態を知らない者の無能なもの。それに無能な政治家が鵜呑みにしたためではないだろうか。
 そして失政の責任は誰もとらないのから、次から次へ無駄遣いを続けている。

 今回の自民党の政策でただ一つだけ期待しているのは渡辺行革大臣の公務員改革だが、やはり党内。閣僚からプーイングが出ているようだ。

 参議院会館でも公務員宿舎でも此れだけ国家が大きな借金があっても、実質的体感がないので官僚たちは平気で建設を計画する。赤字の国家でしまつをしょうとする気持ちのない公務員、改革しなければ日本の倒産は目の前にきていると思う。

 昨日、渡辺行革大臣にテレビの取材で発言したお三方のコメントを番組がまとめていましたので作り直して掲載する。
      
上段から
尾身 幸次財務大臣。
甘利明経済産業相
片山虎之介参議院幹事長

 このお三方は公務員の庇護で政治活動ができるのだろう。自民党の多くがこれでは絶対に改革は無理だと言うことだ。

 くたばれ自民党と言いたくなる。

 下の4項目は、一年前に護憲+の視聴覚コーナーにテレビ番組から目で見て分かりやすい実態を作り直して掲載したもので御覧になっていただきたい。

下の各項目をクリックして下さい。

「財団法人防衛施設技術協会」の歴代理事長の実態。

平成16年8月~7年8月の一年間の公務員の天下りの実態

各省庁の天下り役職員数・天下り先数・天下り先の補助金や交付金

その構図



 明日は、目で見る天下りの続きを掲載します。



戦時体験記(3)

2007年03月10日 13時10分04秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
 このコーナーに書くのは、2年前に護憲+の戦時を語るコーナーに、戦前・戦中・戦後に体験したり聞いた事を書いたものですが、再編してお送りしています。

戦時体験記(3)
 朝鮮感興南道恵山邑恵山鎮里。鴨緑江の朝鮮と満州の国境の田舎町。恵山鎮の駅は終着駅。ということは始発の駅でもある。

 私が居た頃の恵山鎮(朝鮮側)と長白(中国)の国境の橋・恵長橋。
         
 10年前に中国側から写した恵長橋
     
 忘れもしない三月の中ごろで、気温は未だ零下十六度を指していた。十年ぶりに授かったまだ幼い末の妹は母の背中におぶさって、親子七人で駅に向った。二番列車で時刻は八時半を指していた。
 
 防寒をしていて寒さには慣れているが早朝は堪える。父と母は、兄と何かを話している。ここは高度が高くジグザグに登ったり、ループ線が有るので前二輛後ろ一輛の三輛の機関車が付いている。機関車の煙と蒸気が多くなる。ぼちぼち発車だ。
 
 突然、兄が私の前にやって来て、「俺は恐らく生きては帰れないだろう。お父さまとお母さまのこと頼んだぞ」と直立不動で敬礼をするのだ。私は何も言えず、黙ってうなずいた。
 
 最後部の列車の後ろに身じろぎもせず立っている兄。列車が動きだすと敬礼をして帽子を振りはじめた。駅を出て二百メートルも走るとトンネルに入る。母は末妹を背負ってホームの最先端まで小走りに走って、列車が見えなくなっても手を振っている。妹を背負った母の小さな背中が小刻みに震えている。泣いて居るのだろうか。この時、父が家族だけで見送ろうと言った意味が判ったような気がした。恐らく大勢の見送りが有れば、母は泣けなかっただろうと今になって思うのである。母は気持ちの整理が付くのに二、三ヶ月はかかったようだった。

 運命の悪戯か、この両親もソ連が不可新条約を破棄して侵入して来る一週間前に、ソ連と満州と朝鮮の国境の阿吾地に転勤になり、逃げ遅れて南には下がれず満州に逃避中死んでいる。

 幼い弟妹は、両親と末妹の死後、満州の荒野を彷徨い歩いたそうだ。そして軍隊は自分達を守ってくれないということを身を持って味わっている。勝ち戦で軍に余力が有れば市民を守れるだろう。しかし、戦場で命のやり取りをしている時には、市民は邪魔なだけだ。あべこべに自殺を強要するだろう。沖縄、サイパンが良い例である。

 もし日露戦争に負けていたら日本はどうなっていただろう。恐らく今のような日本は無かっただろう。想像するだけでも恐ろしい。ひょっとしたら今の中国や朝鮮の国民と同じことを言っているか、ソ連圏内の属国の国々と同じ運命を辿っているかもわからない。
 
 どこかの大臣が、憲法を改正して自衛隊を正式な軍隊にしなければ国民は守れないと言った。自分が大臣室に座ったままで自衛隊員にイラク派遣を命令する。それなら自分が率先して先頭に立って行きたまえと言いたい。命令だけなら私でも出来る。
 
 近年は戦争経験者が少なくなった。国家の指導者も戦争体験者は全く居ないのと同じである。戦争がどれだけ悲惨なものか全く知らない。軍隊を持つということは、昔犯した過ちを日本が二度犯すことになる可能性を持つことなのだ。



 追記

 昨日、東京大空襲の遺族112人が戦争責任を問う為国を提訴した。

 考えると、なぜもっと早くと思わないでもないが、戦争について改めて考える時間を与えてくれたと思う。

 戦争とは何だろう。戦後、戦争で戦死した軍人には恩給というものが支給された。しかし、これも階級によって差別がある。新兵の星一つの軍人と将軍と命の重みは違うのだろうか。
 命の重みはこの世に生きているものは皆同じではないだろうか。

 恩給が年金という名に変っても、日本国内で安全に暮らしているキャリアの職業軍人はものすごく高額なのである。

 そして、働き手を失った遺族とこれら生きているキャリア軍人とどう違うのだろうか。

 戦争は国民が始めるのではない。国家の政治に関わる人間が始めるのであるが、何時も言っているように一番被害を被るのは、社会で細々ながら平和に暮らしている庶民なのだ。

 だから東京ばかりでなく、世界各地で戦争為、被害にあった国民いや他国の民族も軍人同様、国家は責任を負うべきだと思う。

 戦争とは、国民のの命を担保にしてもらわなければ成立しない行為なのだ、国家として全記述の様な責任を取れないものなら現憲法は守るべきだ。

 不思議なことにわが国では、その記念日にならなければ其の当時のことは表に出ない。
 今年も東京大空襲の遺族112人が戦争責任を問う為国を提訴した記事を見て、ああ、東京大空襲の日だと思い感じたことを書いてみた。


えん罪

2007年03月10日 12時16分07秒 | ごまめのぼやき
 先日、富山県で婦女暴行で服役した男性が真犯人が名乗り出て無実が判明した。
 鹿児島県では公選法違反事件で元県議ら12人の無罪確定した。

 先日も書いたが、私がガレージ内事故の取り調べのときの官権の取り調べ態度を検証してみると、交通事故や小さな犯罪では書類送検で終わるならと黙認したえん罪は多々あり、これらが彼たちの取り調べ態度に表れている感じがしている。
 
 先日テレビでえん罪問題をやっていたが、えん罪で服役や拘留で過ぎ去った日や、社会から取り残された人生は、いくら警察署長が頭を下げても、過ぎ去った日は取り返しは出来ない。

 取り調べ映像は保存し、裁判官には開示すべきで、損害賠償もお涙金程度でなく最低、彼等が一生暮らせる金額、億単位は必要なのではないか。そしてえん罪の責任も明確にして責任を負わすべきだ。

 また、日本の公務員犯罪は軽すぎるというか、民間では刑務所に入らなければならない行為も犯罪にならないのだから、不正はなくならないと思う。
      
 テレビ番組のテロップで読みにくいが、過去のえん罪を貼付けてみる

       


07/03/09・ごまめの号外   政改革担  昭和天皇の元侍従長の日記が見つかった

2007年03月09日 12時42分47秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
07/03/09・ごまめの号外

私のMacG5のマシンと使っているブラウザのNetscapeと私選択していた気に入っていた以前のテンプレートとの相性が悪いのか3日前からトップページに異常がでて、年がいもなく可愛らしいてんプレートになりました。


 今日も号外を書かなくてはならない。
        
 先日、渡辺行政改革担当大臣がテレビで公務員改革について、篤く説いていた。しかし今日の新聞を見ると、彼の案は孤立無援のようだ。

 以前、田中眞紀子外相が外務省改革に取り組んだとき、政治家や官僚が彼女を無能呼ばわりして(外務大臣としては無能かも分からないが日本の歴史で有能だった外務大臣や外務官僚が何人居ただろう。私の人生では見当たらない。)小泉総理が彼女を左遷した構図と同じで、恐らく、官僚に不都合な法律に賛成するはずはない。
 自民党の常套手段10年ということは公務員改革はしないということ。言えることは政治家が官僚にお伺いをたてなければ政治活動が出来ない無能な政治家が政治をしている間は改革は絶対にできない。

 先日寝公務員宿舎について話していたが、これらを建設するのに担当大臣の許可は要らないということだから,官僚は国民から集めた税金は自分達が自由に使えるのだろう。

 どうも日本を腐敗させた現況は官僚にありだ。これから官僚たちは、渡辺行政改革担当大臣を追い落とすことに全力を注ぐだろう。


 昭和天皇の元侍従長の日記が見つかった。
   
 昔、戦後すぐに天皇は戦争は好んでいなかったと聞いたことがある。
         
 考えると、あの戦争も官僚が起こした戦だといえる。だから天皇陛下についての切り抜きからでも、官僚が国家を滅ぼした証拠に成るのではないか。
 少し話が飛躍するがあの太平洋戦争は軍事官僚と外務官僚に責任はぜったいある。
 
 だから今度は、無能な官僚のため、殺りく戦争でなく、経済戦争いうなれば借金で国家が滅亡するだろう。

 ちょっと話が飛躍するがフト胸に浮かんだままを書いてしまった。



戦時体験記(2)

2007年03月08日 09時51分21秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
  このコーナーに書くのは、2年前に護憲+の戦時を語るコーナーに、戦前・戦中・戦後に体験したり聞いた事を書いたものですが、再編してお送りしています。

   戦時体験記(2)
戦時中の我家の生活の一部を紹介しよう。私の家族は敬虔なクリスチャンだったので、アメリカと開戦した時は、父は弾圧を受けるかもしれないと言っていたが、その心配はなかった。
 
官立京城師範学校の願書の中に宗教の欄があり、「キリスト教」と書いて不利だなと思ったのだが、入学できたということは、当時の国家は宗教についてあまり気にしてはいなかったのだろう。

 ある時、夏休みに帰省した兄が、戦闘機乗りになりたいので甲種予科練習生の試験を受けたいと父に話していた。 父は五分程瞑目していたが、「今の戦争は長引くだろう。覚悟ができているのなら行きなさい」と言った。
 
後日、父と母との会話をそれとなく聞いていると、召集令状だったら仕方がないが、自分から軍隊に入るのは戸惑いが有ったようだった。しかし、ごまめ家には三人の男の子が居るのだから、国家に捧げるのは仕方がないと言っていた。これは当時の日本国民としては平均的考えだったのではないだろうか。
 
兄が戦闘機乗りに志願したため、私は親の命令で、兵役に行くのが少ない師範学校を受けざるを得なくなってしまい、自分がやりたい科学者になり損ねた。しかし結局、敗戦後逃避中の満州で両親が死んだため、歯科技工士という全く考えてもみなかった職業に付いてしまった。

 昭和十九年三月のある日、予科連に合格した兄の出征の日がやってきた。父はこのことは誰も言わずに家族だけで送ろうと言い出した。今は父の気持を聞く術はない。

今、私が父の立場に立って考えると、「戦闘機乗りだから直接手を下さない、見えている人との命のやりとりではない」と思ってみても、戦争に人を殺めに行くのに大勢な人に旗を振って送って貰いたくなかったのかなとも思う。





追記

 危機管理とは何だろう。
 軍隊とは何だろう。
 大量破壊兵器とは何だろう。

 よく考えると、何処かの国が日本を敵視していると国家がそう判断しているのだろう。

 また他国は、軍隊特に大きな軍備を装備している国家は、友好国でも全面的には安心して付き合える国家とは思わないだろう。

 一方、武器のない国家とは安心して付き合いができると思う。しかし大国で此れに相当する国家は全くない。

 私は日本は大国とは思わないが、経済的には恵まれている。だから日本の憲法は忠実に守って、軍隊は持ってほしくなかった。
 せめて日本は武力はに縁のない国で安心してつきあえる国家だと認識してもらえる国になってほしかった。

 再軍備派は、なんと甘い奴だと思うだろう。しかし甘くても良い殺したり殺される行為は絶対にしたくない。



07/03/07 切り抜き号外   国民投票法案。 神戸市の口利き124件。

2007年03月07日 15時50分08秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
07/03/07 切り抜き号外
 今日新聞を見て、もの凄く気にかかる事、市民として考えさせられることがありましたので、切り抜きの号外をアップします。

      
 一つは国民投票法案。この法案が衆議院を通過すると、現内閣が目論んでいる憲法改正がしやすくなる。
 次回の参議院で自民党が負けた場合を想定すると、この法案は通過が難しくなるために急いでいるとしか考えられない。
 議員は国民の審判を受けているといっても、過去の実績を見ると、衆議院も参議院選挙も得票数で争うならば野党の方が多いという不合理が生じている。この法案の詳細は庶民には分かりづらく、ということは興味は薄い、ということは、自民党の思うつぼだろう。
 迂闊にこの法案を通過させると、政治家、官僚一流の拡大解釈されると、この日本を彼等の思う度おりにされそうで恐くてなならない。



 神戸市の口利き124件。これは神戸市だけではなく日本国中津津浦浦同じことが行われていると思う。
 みじかな話で申し訳ないですが、我が町内でも実力者が支援議員の講演演説会を開いて声をかけてくる。気乗りはしないが付き合いだからしぶしぶ顔を出す。「困ったことがあればこの先生に頼むとよい」。云うなれば、この政治家二投票するのは、地方自治全体の事を考えて政治を行ってくれるで投票するのではないのです。

 だからヤクザの親分のような顔の効く人物ばかりが地方政治、いや国の政治も同じで、其れが顕著に現れているのが夕張ではないでしょうか。

 先日、テレビで田舎の投票について話していましたが、狭い土地で顔役の推した人物に投票すると、選挙人も少なく全員顔見知りだから、誰が誰に入れたか直ぐばれると言っていました.何故なら投票用紙に書くときの筆順でも遠くから観察してもベテランだったらわかるし、それに文字を見れば筆跡でばれると言っていました。笑い話ですがあり得ると思います。
 私の言いたいことは、日本の政治を腐らせたのは国民自身で、能力のない議員を作ったために,官僚に利用されたり手玉に取られたりする議員が誕生すると思うのです。
 いかに政治家を選択するか、この神戸の切り抜きは其のことを物語って、投票する国民が私利私欲・個利個欲で、己の利欲になる人物を投票したために、現在関西各地の地方自治の腐敗、夕張のような地方都市が生まれたのだと、この新聞の切り抜きは物語っていると思うのです。




 イラクで相変わらずテロが無くなりません。アメリカ基地を攻撃するなれば分かるのですが、巡礼の列にテロ行為。イスラム社会はさっぱり分からず、やはり恐い民族かなと思うようになってきた。
 昔は共産主義社会の命は軽いと思っていましたが、イスラム社会の方が人の命を軽く見ている感じになってきた。

      

テレビ番組の切り抜き。
先日、2007年03月02日に群馬県太田市の子育て援助政策を掲載しましたが、今日は一企業が従業員の子育て支援をすると放送していた。

 そのテロップを切り抜いてご紹介します。

 私は少子化の第一原因は教育費がかかり過ぎるといいつづけています。行政や企業が此の事に目を向けたことには意を良くしています。


       
 先月、徳島の阿南市の四国88か所霊場の参道筋に大量のゴミが放棄されて、600人のボランティアと重機トラックなど37台で一日がかりで大掃除していました。その時に地元出身の後藤田議員も参加しているのが映っていましたが、今日テレビに出演されそのときの感想の中で、一番腹が立ったのは。
「ビールの空き缶をメーカー別に並べて捨ててあるのを見たときはものすごくはらがたった」
と言われていた。
 これを聞いた私も日本人も落ちぶれたものだと感じ、此の様な恥ずかしい国民がいる国家が、国連の常任理事国とんでもないと思った。



戦時体験記(1)

2007年03月06日 14時17分36秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
  このコーナーに書くのは、2年前に護憲+の戦時を語るコーナーに、戦前・戦中・戦後に体験したり聞いた事を書いたものですが、再編してお送りしています。

戦時体験記(1)

私は、戦時中は戦地には行ける歳ではなかったが、私より一つ年上では少年兵で戦死している少年がいる。戦った経験はないが戦時中の銃後のことは頭の中から消えることはなく、私がこの世をおさらばするまで忘れることは出来ないだろう。

私は同人誌の世話人をしており、八月十五日には何かを書いてきたが、今年も終戦記念日が近付いたので、ごまめ家の戦時中の話を同人誌に掲載するために書いた。これをご紹介することにする。

私は昭和一桁生まれ。明治生れの大先輩まではいかないがそれでも七十数年の社会の変動は、現代の一年が徳川時代四百年以上で、地球上の人類が尤も科学化け学的に進化したのはこの百年ではないだろうか。

 人類の移動が乗り物に頼るようになり行動範囲が広くなると、種族間のトラブルも増えてきた。また、機械文明の発達と共に、兵器も発達し、経済も近代化するに従い国家、民族間にも富めるもの、そうでない者の差がはっきり現れてきた。

そして、その富める国々が、威力の有る武器をたずさえ外洋に出て行くようになってから、種族間の生死に係わるトラブルが始まり、武器の発達と共に大量殺戮の歴史が刻まれるようになった。

 私は過去の日本の戦争を擁護もしないし正当化もしない。殆どの戦は勝つものと負けるものに別れるのは必然で、力を持って争えば当たり前である。戦争の善し悪しは別として、その原因は必ず存在する。

日本の国土は狭い、その割に人口は多い。今になって当時のことを思い出すと、日本も裕福ではなかった感じだ。現代にもその傾向は有るが、当時も東洋人種の日本に国力が付くのを嫌がるのか、ガソリン等の輸入も侭ならなかった。ABCDラインでかなり追い詰められたことも知っている。

しかし当時の軍隊は政治では押さえ切れない程巨大に成り、軍の意向が国家の意向になり満州に手を出したのだろう。
 朧げながら覚えているのが、一九三二年の上海事変。一九三九年の盧溝橋。当時は連戦戦勝、よく提灯行列に連れて行ってもらった。当時を思い浮かべると、正義のために戦っていると言う教育が徹底していたために、子供心には戦争は当たり前のことにしか写ってなかった。日本は絶対に戦争に勝つとしか頭になく、敗戦などは考えてもみなかったのが本当だ。

 それが、昭和十六年十二月八日、真珠湾攻撃から戦さの様相が変わってきた。翌年のミッドウェーの開戦。大本営発表は連戦連勝を発表するが、物資が益々逼迫していった。
 戦後判ったことだが、戦時中、私達国民は、嘘の報道を信じて、国家に奉公していたのだ。

 次回につづく




 今日は追記として先日書いた従軍慰安婦について書きます。

 私は、自分が体験したことだけしか書いていません。この戦時体験記にも書いていますが、我が家では朝鮮人のねえや(女中=お手伝い)さん。来たときは見るも無惨な格好でしたが、我が家に来て、小奇麗になったキチュベ(娘)が高く売れるので、親が引き取りにきて、いやがる娘を連れていきました。(昔は日本人の娘さんでも貧困家庭では人身売買『正確には年季奉公』が認められている時代です)
 これと同じことが二度あり、母は朝鮮人のキチュベでも花嫁修業のつもりで、我が家に居てもらうためには小奇麗にして貰わなくては困るし、身ぎれいになると高額な値段が付く。そのために娘さんを雇っているのではないと、以後、朝鮮人の女中さんは頼まれても頑として断っていました。クリスチャンの母はかなりのショックでキチュベの父親が引き取りにきて、嫌がるキチュベを送り出すときは涙をためていました。

 あとは吉州(キルジュ)と恵山鎮で朝鮮の家庭の娘さんが売られて連れていかれるのを目撃しています。女衒(ゼゲン=女を遊女屋などに売ることを業とする人。)は日本人ではなく朝鮮人でした。
 手に札束を持った母親が、身内一同で泣きながら手を振って送り出していましたから、強制連行とは違うと思います。

 私は強制連行は無いとは言いません。現在でも国家は国民の知らないところでは何をやっているか分からないのですから、当時は尚更だとおもっています。
 慰安所はあったのは確実ですから、悪賢い軍隊は直接手を下していなく、第三者に依存していたのではないかと感じていますが、分かりません。
 
 私は朝鮮時代は今でいう市にあたいする都市に住っていましたから田舎のことは分かりません。太平洋戦争なか程からは強制連行があれば、朝鮮民族の暴動があると当時のことを検証するとそう感じているのです。
 それは、政治犯で逮捕にきた官権に対して、朝鮮民族が大勢もの凄く抵抗していたのを見ているからです。

 戦後、満州や朝鮮で多くの日本女性のレイプがあったのは、私たち年代以上の引揚者は知っています。

 良し悪しは別として、其れが戦争だと云う事で、戦争は勝った国でも負け国家でも一番弱い人々が、犠牲になるのだと思います。

このプログの「日本とアメリカのお母さんの話」の中の硫黄島従軍のアメリカ兵士の
 「本当にほっとしたな。戦争というものは悲惨なものだ、戦う兵隊がどんな目に遭うか、上にいる将軍たちや政治家には分からんのだ。
 彼等が悲惨さを分かったら戦争はなくなるのだろう。
 どの戦争ももうまっぴらだ。
 負傷者や死体がごろごろ転がっていた。もう思い出したくないしはなしたくない。」

は、勝った国の兵士でも第一線で戦った兵士の気持ちがよく現れていると思います。



ブログのご意見の中に

まずは外国の侵略に対抗できるように
自衛隊のさらなる強化を推進しよう!!


と有りましたが、外国の侵略に対抗するにはどれだけの装備がいるのでしようか。侵略された時、食料はどうするのでしょうか。これは戦時中食べ物が少なかった時代の人間は、飢えを経験していますから、自給もままならない日本はどうするかと直ぐそう思うのです。。
 日本が戦場になると多くの命が亡くなります。昔の沖縄、現在のイラクを見ても分かります。

 そして日本の軍隊が外国に行くと、太平洋戦争と同じ過ちを犯すことになります。

 叱られるかも分かりませんが、昔から力の論理でいえば勝てば官軍です。

 この問題は円周率でいつまでも答えは出ないかも分かりません。答えが出た時に世界は平和になると思います。
 しかし人類が戦争や化学で地球を汚し地球の命が持たないかも分かりません。


戦前・戦中・戦後語る  戦争は残酷です

2007年03月05日 13時55分30秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
このコーナーに書くのは、2年前に護憲+の戦時を語るコーナーに、戦前・戦中・戦後に体験したり聞いた事を書いたものですが、再編してお送りしています。


戦争は残酷です

 今朝の朝日新聞に関西地区周辺の主な爆撃が載っていました。広島原爆を省いて抜粋すると、()内は死亡者数

 大阪  三月十三、十四日(3987人)
  六月一日(3112人)
  六月七日(2759人) 
  七月十日(1394人)
 神戸  三月十七日(2598人)
六月五日(3184人)
 呉   七月一、二日(1869人)
 岡山  六月二十九日(1737人)
 高松  七月四日(1359人)
 和歌山 七月九日(1101人)
 福井  七月十九日(1576人)
 松山  六月二十九日(251人)

因に東京の大空襲は、
 東京  三月一〇日(10万人)


 大阪大空襲で使用された焼夷弾は、千七百三十三トンM69油脂焼夷弾で、東京と同じタイプの比較的安価で大量に生産出来るタイプの兵器です。
 
また、爆撃に使用されたB29は一〇トンの爆弾を搭載できるとあるので、大阪で使用された焼夷弾の量からすると、護衛戦闘機などを加えると二百七十四機が飛来したのでしょう、そして約十三万六千戸が灰に成っています。

 神戸の大震災の被害は、死者六千四百三十三名、負傷者四万三千七百九十二名だそうで、今考えると、震災で火災の最中に頭上から焼夷弾が落ちてくるのが当時の爆撃風景と思えば良いのかとも感じます。

 京城師範時代、級友から「アメリカは爆撃前には空からビラを撒くか警告する」と聞いたことがありました。流言飛語と思ったのと、要らないことを言うと憲兵に引っ張って行かれると他の級友から注意され、このようなことは一切口にしませんでしたが、先日愛媛の七十七歳の方が投稿でこのことに付いて書かれていたので、改めて級友の言ったことは本当だと思い、今回初めてこのアメリカの爆撃警告のことを書きました。

 例えアメリカに警告を受けたとしても、市民に退去勧告などすることは戦争に負けると警告するようなもので、国家としては容認するはずもなく、これが本当の戦争の姿でしょう。
 
これをアメリカ側に立って考えますと、アメリカは広島・長崎、それに各攻撃都市に警告して爆撃したのだから、紳士的な攻撃をしたというでしょう。警告して爆撃できるということは、彼我の力の差がハッキリしているということにもなります。

 今朝の報道でもロンドンで射殺された男性はテロとは無関係だったとのこと。これではテロとは関係ないイスラム社会との軋轢が益々増大し、イスラム社会と白人社会の関係は難しくなってしまう。

いつの時代も力で物事を押さえ込むというのはできない相談で、これからの世界は憲法九条の精神を学ぶべきだと思います。



この文章は二年ほど前に書いたものです。
しかし、世界の現状はちっともかわっていません。列強国の軍事費は毎年増えている。
世界ではいろいろな政治に関わる集まりがあります。表面上はマントかお互いのメンツを立てています。
 しかし、素人目で考えると軍事費を増やすということは、本心はどこかの国を敵視しているとしか考えられません。

今朝のテレビでは富山湾のホタルイカが解禁になったが、平成に成ってから解禁時の漁獲量は毎年減り続け、
● 今年の解禁時の漁獲量はたった9匹。
● 黒部のアルペンルートは何時もなら雪の壁の中だが、今年は積雪なし。

これを見ると戦争などしている時ではないと言うことは、政治だけで飯を食っている人類は食物はお金があれば買えると思っているのだろう。

100年いや1000年先のことを考えた政治をするべきだ。国民も不自由なことも我慢すべきだと思う。極論でもうしわけありません


戦前・戦中・戦後に体験談

2007年03月04日 09時08分54秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
 このコーナーに書くのは、2年前に護憲+の戦時を語るコーナーに、戦前・戦中・戦後に体験したり聞いた事を書いたものですが、再編してお送りしています。

  民間船の戦没について

昔、下宿している宿に船員の方が居られ、民間の船舶が軍に徴用されるが、戦争のために作られていない一般の船舶は、攻撃されたら機関砲だけでも沈没するから、魚雷だったらひとたまりも無いと話されていました。

 その方も音信不通になりましたから、海の藻屑となったのかも判りません。

 終戦の時にはまともな船は少なかったのでしょう。私が引き上げの時に乗ったのは生き残りの駆逐艦でした。

 戦争は空しいです。自然や物を、おまけに人の心も破壊します。日本は九条のお陰で心の破壊は免れたと思っていましたら、二十年程前から心も破壊されて来ています。



  小野田 寛郎さんの話
     
今朝ある方が、太平洋戦争終結から二十九年目にしてフィリピンで発見された小野田 寛郎(おのだ ひろお)さんの書かれたWEBアドレスを送ってまいりました。

『私が見た従軍慰安婦の正体』
http://www4.airnet.ne.jp/kawamura/enigma/onoda_ianhunoshoutai.html

残念ですが、現在はこのサイトは削除されているようです。


 先に書いた体験記では、他人の話されたことは極力避けていましたので余り触れていなかったのですが、この全文を拝見すると、終戦直後に多くの復員軍人から聞いた話、当時、日本人の慰安婦(遊女)をされていた方からお聴きした話と、ほぼ、というか、全く同じでした。

 現在の戦争を知らない年代で、信じられないと言う方が居られると思いますが、私はこの内容はほぼ間違いないと思います。

 日本人の慰安婦(遊女)の方も、沢山のお札(軍票)を持っておられ、朝鮮や中国の女性も、帰国したら一生生きて行けると溜め込んでいたと話していましたが、これを読んで、ほぼ納得しました。



   事実の検証
                             
  従軍慰安婦ですが、級友や我々の年代の者と会ったり電話した時に、戦時中に従軍慰安婦という言葉は有ったかと質問をすると、 百パーセント無かったとの返事です。従軍慰安婦は戦後にできた造語でしょう。一方、戦地に遊郭のような施設が有ったかには、イエスです。そこで働いている女性は遊女でなく私と同じピーさんと言う者が多かった。

私は従軍慰安婦という言葉は使いませんが、遊郭的施設の有ったのは確実。またそこに働いていた女性が居たのも確実。戦後、戦地で遊女をしていた日本人の女性の話は、私が引揚げ直接聞いていましたから、無料奉仕ではなく花代を貰っていたのも確実だと思うのです。

 もし被害者の女性が居れば救済しなければなりません。せめて戦後五年以内でしたら確実な証拠や証言が得られるでしょう。今では当時の関係者が少なくなりました。国家もこのような物は大切に保存しているとは思えません。この問題は終戦直後に表に出るべき問題だったと思うのです。
 
 戦前・戦中・戦後を語るカテゴリの
  続・戦時体験者の証言  第一章~第三章
 に書いていますが、私は、親に売られていく娘さんしか目撃していないのです。


 人から聞いた話とか書いたものを参考にすると、真実が隠れてしまいます。私は、今従軍慰安婦といわれる朝鮮やその他の国の女性と一緒に働いていた日本女性も沢山いると思うのです。この方々が当時のことを話されると、真実も多少は見えて来るのですが、人間、嫌な思い出は話すのをためらいますから、これは百パーセント無理だと思います。
 難しい問題です。

 現在になって、改めて朝鮮時代を検証すると、太平洋戦争が始まってから、朝鮮半島では朝鮮人に対する扱いが違っていたと、当時、京城師範学校時代にふとそう感じたことがありました。
 特に戦時中に朝鮮人を弾圧すると暴動が起こることもあり得ると感じたことが有りますから、両親から聞いた昔の話のように、明治・大正・昭和の初期のように朝鮮民族を粗末と言うか弾圧していると、暴動は起こりうると思います。 

 平等に扱ったその一つの証拠は、お食料の配給を受けるのに、朝鮮人も日本人も同じ場所での順番待ちで差別はありませんでした。これは母と二人で順番待ちをしていましたから間違いありません。

 と言っても私の狭い視野の範囲ですから、朝鮮本土全体ではどうなのかは語れません。



07年3月3日・桃の節句号外編  世界の国会における女性の進出 参議院新清水谷議員宿舎

2007年03月03日 14時03分56秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
07年3月3日・桃の節句

 新聞のテレビの書き込み休刊していますが、参議院新清水谷議員宿舎の事をサタデースバットで放送していましたので、テレビの切り込みでの号外編で送ります。
         
 今晩、ズバットコロシアムで放映されるらしいのですが、衆議院宿舎であれだけ世間を騒がせて、この手の物は作らないと思っていました。しかし参議院が新議員宿舎を作る計画があると番組が、出席議員に質問する全員初耳だといっていました。全員衆議院議員だからだろうか。
      
 と言う事は、議員宿舎建設は何処から出たのでしよう。番組からの事務局とのやりとりは、

問・なぜ建て替えるの?
●・建設後約40年が経過して老朽化しているめため。
  衆議院の赤坂宿舎も建て替えていますし


問・立て替えの発案は誰が?
●・議員側、事務局側、どちらから出た話なのか
  分からない。確認のしようがない。


問・現在の58戸から80戸に増えるのはなぜ?

●・現宿舎の個数では足りないため。
  ※しかし、現在10戸の空き部屋あり!!!

とのことでした。
 この発想は議員か官僚側か分からない。
 現在の日本は莫大な借金を抱えている。私たちの家庭が一生では返せない借金を抱えていると家を立て替えるどころか借金におわれて、一家心中をしているだろう。

 その切実な状態が分からないのが政治家や官僚なのだ。だから平気で次から次へと税金の無駄遣いが出来るのだろう。日本が倒産したら、現在預け入れている個人の資産の凍結するくらいは、今の政治家や官僚だったらやりかねない。
 終戦直後の新円切り替えを思い出す。


 もう一つの号外。

 昨日の夕刊に国際的な議員交流団体「列国議会同盟(IPU)」が世界の国会における女性の進出を発表したのでその切り抜きを掲載する。
                 
御覧になった通りだ。(拡大映像はここをクリック)
 私は以前から、女性が女性の立候補者に投票すると日本は絶対変わると思うのだが、やはり女性は男が好き。それもお金持ちの男で、あの人に頼むと何々をしてくれるとか、面倒見が良い。社会の女性は表向きは男女同権だと騒いでいても、おばちゃん連中は選挙では男性に投票する。
 
 女性の有権者は男性より多い。女性が団結して選挙の時に女性に投票すれば、絶対に日本は変わると思う。
 日本の女性に叱られるかも分からないが、ランキング99位で9.4%を聞いて日本の女性は腹が立たないだろうか。腹が立たなければ、よっぽと平和ぼけしている。

 男性の私でも、この新聞を見ると腹が立ってくる。何に腹が立つのか? ? ? ? ? ?

 子育てには女性の力は不可欠だ。それと同じく政治も女性の力は不可欠と言うことを世の女性は肝に銘じて、現在の頭のぼけた男性議員に女性の力をみせるべきだ。


群馬県太田市の子育て援助政策

2007年03月02日 12時20分33秒 | 為になる記録・おもしろ記録
昨日、アサズバで群馬県太田市の子育て援助政策を紹介していた。
        
(拡大映像はここをクリック)
 三人目以降の子供には、いろいろな援助をするというので、驚くほどユニークなと云うかびっくりするものだった。

 文章よりイラストの方が分かりやすいので、グループの護憲+の視聴覚コーナーに掲載したが、コラムにでも紹介する。

概要
 市長は、「理想は、一人めは、ご両親の子育ての勉強と楽しみで親の負担。二人めは国家が見てくれて、三人目からは自治体で面倒を見る」
 之が、私の理想ですが、教育は低所得者にとってはものすごく負担が係るので行政が面倒を見なければ、と仰っていました。

 私は年収400万円以下では、一人の子供を食べさすだけで手一杯、教育までは手が回らないと思っていますので、市長の方針は大賛成。

 予算は、市町村合併で職員が余っているので400人ほど職員の削減をすると云うことです。

 機械発言の大臣さん.官僚の受け売りだから機械という無機物が口から出てきたのでしょう何でも自分で体験するべき。

 東京都知事も変わってもらい。地方から日本を立て直さなければ、日本はよくならないと感じます。



日本とアメリカのお母さんの話

2007年03月01日 11時17分14秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
  昨日は、以前書いた硫黄島戦没者追悼式について書きましたので、一週間ほど前の丑三つ時に放送していた30年ほど前の硫黄島の再放送をDVDにダビングしたのを再生しました。
 その中の日本とアメリカのお母さんの話が胸をうったので書きたくなりました。新聞の切り抜きは編纂に時間がかかりますが文章は時間を要しませんので書き込みます。
      
 硫黄島で息子を亡くした日本とアメリカのお母さんの言葉が対象てきでしたのでご紹介します。

【日本のお母さん】
 《息子さんどんな人でした。》
 優しいいい子でございました。こんなこと申したらおかしいんだけど親孝行でございました
 
 《戦争が終わって30年たちましたがどんなこと思われますか》

 お国のためにあの果てたんだで満足だと思っています。日本の国がこのように栄えてきたのも子供たちがの行ってくれたお陰だとおもっています。ああ言う事がなかつたら今のようなことには行かなかったかもしれない。



 【一方アメリカのお母さんは】

 《息子さんどんな人でした。》

 息子は不思議な考えを持っていました。
 母さん子の戦いは戦争をなくすための戦争なんですよ、彼はそう言って征きました。不幸にも彼の夢は実現しませんでした。
 最後の戦争ではなかったのです。


 《ご子息の戦士の公報はさぞかし大きなショックでしたでしょう》

 人の一生でこれほどのショックはありません。帰ってくると信じておりました。私の一人息子ですもの、けれども結局は人生の出来事を受け入れないわけにはゆきません。
 
 《しかし、はじめからそのお気持ちでは》

 いえ、日本や日本人を憎いと思ったことは一度もありませんよ、お互いに、不幸にも命令に従っただけですもの。日本の父や母も息子たちを亡くなされたことでしょう。同じ立場の人にどうして敵意を持てましょうか。ただそれだけです。


 【また、硫黄島戦で負傷した海兵隊の兵士に】

 《負傷されたときの心境は》

 本当にほっとしたな。戦争というものは悲惨なものだ、戦う兵隊がどんな目に遭うか、上にいる将軍たちや政治家には分からんのだ。
 彼等が悲惨さを分かったら戦争はなくなるのだろう。
 どの戦争ももうまっぴらだ。

 負傷者や死体がごろごろ転がっていた。もう思い出したくないしはなしたくない。



 戦後30年ほど前に放映された硫黄島の戦争を検証する番組だが、これを見ていると時代の流れを感じる。

 もう、この映像に移ったお母さんは、30年経った今では亡くなっておられないと思う。今の時代だったら、イラクで息子を亡くしたお母さんはどの様な答えが返ってくるのだろうか。