関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

大震災・原発事故から2年(フクシマへ)

2013年03月11日 | 日記
3月4日にかけては、福島の南相馬市へ出張。
東北新幹線の福島駅から地元の役員に車で送ってもらう。片道2時間。
福島の浜通り地域、相馬や南相馬、浪江、双葉、大熊などへは、
海岸沿いの常磐線が原発事故のあおりで不通になっているままなので、
大変不便になっている。バスも便数が少ない。
国道114号線を東に向かい、川俣町から県道で南相馬に抜けるのだが、
途中の飯舘村は全村避難のままだった。
美しい農村風景だった〈写真↓)


見た目にはなんの変哲もなく家や信号はあるのだが人影はない。
田畑はこの2年間耕作されておらす荒地になっている。
無人の街を抜ける中で、「この日本に、人が住めない土地が出現する」ことの恐ろしさを実感した。
途中に、除染作業で集められた土や木の葉などをビニールに包んで一時保管する場所があったが、
国道から30メーターほどのところに野積になっていた(写真中央の台形の部分↓)。


川俣町や南相馬市では、各家々に除染作業が行われていた(写真↓)。


南相馬では、市長に面会し地域の様子や復興への課題、
消費税増税の影響などについて話を聞くことができた。
〈南相馬市役所〉


南相馬市長・桜井勝延氏は1956年生まれ、
原発事故の際には情報不足の中住民の安全を期して、
数々の決断を下しながら、インターネットで被災地からの発信を重ね、
その年の「世界に影響を与えた100人」の一人に挙げられた方でもある。
産業と市民生活の再生に向けた苦悩がにじんでいた。
〈写真↓南相馬市役所前に設置されていた線量計〉


福島市への帰路は、晴天のなかだった。
写真は福島市内へ入る直前の高台から見た安達太良山の景色。