小池百合子都知事のストップ戦法
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2017-02-08 00:00:00
テーマ:政治・経済
朝堂院大覚先生いわく「今の小池知事は親父の小池勇次郎のやり方とそっくり同じだよ」といいます。何が同じなのか、考えてみましょう。
昔、三島由紀夫がこのように言ったことがあります。「力というものは行使をしたときに快感がわいてくる。普段は持っている力をフル回転などしていないよ」と言うのです。例えば、芝居の上演でいうと作家は三島由紀夫です。作家を無視して芝居の稽古が進んでいきます。上演が近くなって、明日から舞台だというときに「作家は不満であるから、この上演は禁止する!」といきなり言うのです。三島由紀夫は多分、そんなことはやらないと思いますが、話として言っているのです。
するとみな参ってしまいアタフタしてしまうのです。それまでは原作者など見向きもされません。演出家もいるし、作家の地位は非常に低いのです。それがあるとき突然に、「これは原作者の意図に反するので、上演を禁止する!」と言うと、初めてみんなビックリして原作者の方に目がいくのです。「その時の快感といったら他にはないであろう」と三島由紀夫は言っています。
権力とはそのようなものです。普段は、権力をどこで使っているか目に見えません。本当の権力者はこのようなことをよく知っている人です。「ストップ!」が権力です。権力とは、「これをやっていいよ」という許可権を持っています。それと同時にストップをかける権限を持っています。
自分が持っている権限の範囲内でストップをかけていくのです。小池都知事の手法はまさに「ストップ!」です。「豊洲問題もストップ!」といきなりストップをかけました。その瞬間に小池都知事に注目が集まりました。今でも集まっています。
まだ「ゴー!」サインは出ません。「ストップ!」をかけられた側は、みんなイライラするのです。「建物はできているのだから移転すればいいじゃないか。早くしてくれよ」と関係者は言います。小池都知事だけが「ストップ!」をかけているのです。
その間はすべての権力が小池都知事に集まります。みんなを困らせていると思うと最高に快感だと思います。都庁の役人も豊洲移転の連中も消費者も困っているかもしれません。すると「ヒッヒッヒッヒッ・・」となるのです。
小池都知事の親分の小泉純一郎がそうだったのです。日本国民にストップをかけて迷惑をかけます。ストップとは「苛める」という意味です。うれしくて眠れないのです。「夢精するんだよ」と言っています。「日本国民が苦しんでいるんだろうな」と思うと、喜びがこみ上げてくるのです。それで夢精するのです。朝鮮人だから、犬を苛めて食べることと同じことです。
これは政治権力のやり方です。困らせた時に初めて自分が持っている権力に気が付くのです。「俺はこんな大きな権力を持っていたのか」ということです。例えば国土交通大臣になったならば、新幹線も止められるのです。国土交通大臣が「全新幹線ストップ!」と言えば、新幹線が止まってしまうのです。「全航空機ストップ!」」と言えば、全航空機が止まってしまうのです。これは快感です。一言で止める権利を自分がもっているのです。自分が一言「ストップ!」と言えば、何百万人の人間が迷惑をこうむります。最高にうれしいのです。
止めるということは非常に大事です。芸能界でもそうです。歌手の歌で、よい歌には必ず「止め」が入ります。「ストップ!」すると皆が「シ~ン」とします。それから音楽を再び流すのです。この「ストップ!」の間があることにより、音楽は光ってくるのです。
ヒトラーは演説台に登ると3分間くらい黙っています。ヒトラーが演壇に登ると「ヒトラー総統!」と拍手喝采が起きます。その間、一言もしゃべりません。3分間くらい、場合によっては5分間くらい黙って群衆を見ているのです。
すると民衆のほうが「あれ、なぜ総統は黙っているのだろうか?」と皆が不思議に思ってきます。不思議に思うと興奮がおさまってきて、「ここはよし!」というタイミングで「ハイル、ヒトラー!」と言うと、群衆の注目度がヒトラーに集まって、ヒトラーの掌に握られてしまうのです。
政治家及び権力者は「ストップ!」をかけることにより、全体をコントロールしていく有力な技法です。小池都知事は見事に「ストップ!」をかける技術を知っています。「ストップ!」をかけながらいくのです。
「ストップ!」かけて大変なことになる場合もあります。後戻りできなくなってしまうのです。人間関係においても、この「ストップ!」の技法をよく見て行かなければいけません。「ストップ!」をかけられないということは、その人は何の権力も持っていないということです。「私って、何かストップをかけるものがあるだろうか?」と探すのです。何もないとわかると女は夫に八つ当たりするのです。
悪い女は夜の生活をボイコットするのです。権力はもうそれしかありません。夫「お前、やらせてくれよ!」妻「今日はダメよ!」そのようなことをやるのです。“きみまろ”なら妻「今日は危険日よ!」です。
これも一種の「ストップ!」です。それを繰り返すと何でもお母ちゃんの尻に引かれて、言いなりになってしまうのです。悪女はみなそれでやるのです。お父さんが鼻の穴を膨らませて「今夜こそ!」と思っていると、「ストップ!」」とやるのです。このような使い方もあります。
子供に対しても「ストップ!」の方法はいろいろあります。「学費ストップする。お前は独りで生活しろ」これも「ストップ!」です。みんなが言うことを聞かない場合は、自分が家を飛び出してしまうのです。これも自分に「ストップ!」をかけたことになります。「ストップ!」はいろいろあります。
土地の場合は1メートル足らないと家は建ちません。例えば道路が4メートル接続していないと家は建ちません。後1メートルあれば家が建って財産が増えるけれど、後1メートルを隣のジジイが握っていて離しません。これも「ストップ!」ですから、隣のジジイは意地悪をします。土地問題は絶対に「うん」といいません。「1メートルですか? 貸してあげますよ」などという人はいません。それは庶民ができるささやかな「ストップ!」です。
国や都のような巨大な団体に「ストップ!」をかけられたらたまりません。「ストップ!」をかける側は快感がこみ上げてきます。政治家は多分にサド的な傾向がなければダメだとわかります。政治家は苛める職業です。人が苦しめば苦しむほど、快感がこみ上げてくるのです。
小泉純一郎さんは2人殺したという有名な話がネットで出ていますが、一人目は赤坂の芸者こはんです。小泉さんは首を絞めて相手が死にそうになると興奮して快感がこみ上げてくるのです。ところが赤坂の芸者は本当に首を絞めてあっちの世界に行ってしまったのです。慌ててイギリスに逃げて、その後片付けをやったのが内閣参与の飯島だと言われています。
政治家の考えていることは、我々の考えていることとは違います。「ああ、これで皆が豊かになるな」などとは絶対に思いません。政治家は苛める職業です。普通の人はなれません。サド的な傾向が無い人は政治家に成ってもダメなのです。
自国民も苛めて、他国民も苛めるのです。「如何に自分が力を持っているのか?」ということは、「苛める」ということです。相手に「私は力が無い」ということをわからせていくのです。これは苛めるという行動と同じです。
年金機構は「年金の積み立てがなくなってしまいました。何だかわかりません」と言い訳をしています。これも苛めの一種です。「掛けていた年金がいくら掛けていたのか名簿が消えてわかりません」など詐欺です。
しかし、上の人間が罰せられることはありません。損するのは下の人間だけです。本当に「ストップ!」をかけた人間は「今頃庶民は苦しんでいるんだろうな。生活はどうしているのかな。大根でも拾って食っているのかな。ワッハッハッ・・・。もっと苦しませてやるぞ!」という感覚です。それが庶民にはわかりません。
政治家は人々を幸せにするために動いているというのは、とんでもないことです。税金をかっぱらえばかっぱらうほど、政治家は快感が湧いてくるのです。「100億円くらいガメてやったぞ!」という感覚です。存在そのものが犯罪者です。政治家は「国民の税金」などと思っていません。「あれは俺のお金だ」と思っています。
例えば道路を見てもそうです。我々は公共の道路を走っていますが、警察から見ると「俺の道路を使わせてやっているのだ。ちょっとでも違反したら罰則金をとるぞ!」「駐車違反は罰則金を取るぞ。当たり前だ。俺の道路を貸してあげているんだぞ」という考えです。
事故がなく、罰金を払う奴が誰もいないのが一番よいのですが、そんなことは考えていません。「お前は俺の道路を使っているのだろう。金を出せよ!」という感覚です。フィリピン大統領のドゥテルテは「俺の国民」と言ったのです。「俺の」に意味があります。「国民のための大統領」ではなく、「俺の国民」です。
「俺の国民を麻薬漬けにするような奴はぶっ殺す!」ダバオの市長だった頃はハーレイに乗って毎日人殺しに行ったのです。ハーレイに乗っている写真は見たことがありますが、ハーレイに乗って人殺しに行くのです。その場で何百人という人間を機関銃でぶち殺すのです。憲法もありません。みんな「俺の国民」です。そんな者を殺そうと生かそうと俺の勝手です。
「裁判などいらないからぶち殺せ!」とドゥテルテがいっても最初は誰も殺さなかったのです。するとドゥテルテが「俺がやってやるよ」と機関銃でみんなぶち殺したのです。「俺ができるのだから、お前達もできるだろう」と言ったのです。フィリピンではもう死者が1万人超えています。裁判もありません。みんな殺してしまうのです。
今度は殺し方が足りないから「軍隊を導入する」と言っています。軍隊を導入して麻薬を撲滅するのです。「俺の国民」だから、300万人くらい殺すことになるでしょう。
「俺の国民だ」と思うのはまだ可愛いほうですが、トランプも似たようなことを言っていますが、「俺の国民」とは思っていません。ドゥテルテは可愛い方です。「俺の国民」は「俺が守る」と言っているのです。麻薬などを売りつける奴はぶっ殺すのです。それが当たり前なのだという感覚です。
では、日本の政治家はどのように思っているのでしょう。「国民のための政治家だ」などと思っているはずがありません。「俺のための国民」です。「東京都民は知事のものよ」この感覚です。
この感覚に早く国民が「政治とはそのようなものなのだ」と気が付いてくれば、だいぶよくなってくると思います。今はそう思っていません。「大衆のための政治家」「民衆を豊かにする政治家」それが政治家だと思っています。トンチンカンなことを思っているのではありません。