昭和56年に「浅草サンバカーニバル」が開催されてから、今年で30回目を迎えました。
平成22年8月28日(土)、この日も最高気温は33度と真夏日でしたが、馬道通り~雷門通りにかけて行われたパレードには多くの見物客が訪れ、華やかな衣装で踊る各チームに大きな歓声を送っていました。
浅草は、明治時代には日本最初の映画館・水族館・サーカスなど、他の町にはない新しい文化がどんどん取り入れられてきました。 大正時代になると「大正オペラ」や「安来節」など幅広いジャンルの音楽劇を生み出し、昭和に受け継がれました。
しかし、昭和30年代後半から40年にかけて、盛り場の中心は他の地区(新宿・渋谷・池袋等)に移っていきました。
このような状況の中で、当時の内山台東区長と浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎さんが、浅草の新しいイメージとして、ブラジルのサンバカーニバルを「浅草のお祭り」として取り入れることを提案し、浅草の商店連合会が主体となる「浅草サンバカーニバル」が誕生しました。 さらに、浅草観光連盟もカーニバル推進協議会に加わり、5月の三社祭と並び浅草の夏を代表するお祭りのひとつにまで成長しました。
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