ロイヤルモータースとその仲間たち

車と釣、ハイキング、トライアスロン、神戸、三田の歴史や情報を発信します。 

東海道五十三次と浮世絵名品展へ行ってきました

2011-01-31 20:16:03 | ハイキングおじさんの「ひとりごと」
浮世絵が好きなハイおじさんは2月6日(日)まで展示している明石市立文化博物館へ行ってきました。

明石市立文化博物館

写真のなっかた江戸時代、天下泰平の世の中になり、参勤交代で道も整備され余裕のできた町人は伊勢参り(伊勢講)や日光東照宮や金比羅さんにお参りと観光を兼ねた旅行を始めました。
行けない一般の庶民は旅行本やパンプレットを見て楽しんだのが、それが東海道中膝栗毛や浮世絵であったのでしょう。
幕府が浮世絵をうどん一杯の値段に抑えていたので、人気の浮世絵は一般庶民に行き渡ったらしく、2万枚も出ました。
当時の人口からすると大ヒットです。
2万枚も版画を刷ると傷んでくるので新しく作り直したりするので色や構図が僅かに違ったりします。


ハイおじさんは2~3時間一人でじっくり見るのが好きで、一つの絵の端から端まで見その人々の表情や動作などを通して息遣いが手に取るように伝わります。

ハイおじさんが特に好きな絵は「川崎・六郷渡舟」で、人々の自然な表情や動作が写真ではとても表現できない躍動感を覚えます。

江戸時代の日常生活が覗けるのも浮世絵の魅力です。

一度皆さんも見に行かれたら面白いですよ!

「一人で行かれる事をお勧めします。」

自由に思う存分江戸の町人の気分に浸れますよ。



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アジア杯優勝した~!!

2011-01-30 17:34:32 | ハイキングおじさんの「ひとりごと」
アンドリューさん、レオン君申し訳ありません。
日本が優勝しました。

じつは、準決勝ですでにアジア王者でしたが、オーストラリアに勝ちアジア、オセアニアの王者になりました。

名称をアジア・オセアニア杯に変更したらどうでしょうか。

オセアニアに失礼ですよ!!

FIFA26位のオーストラリアはやはり強かったです。
予選から失点1点の堅い守備はなかなかくずせそうもなく、延長の後半に韓国系の日本人(在日4世)の李忠成選手の見事なボレーシュートで決着がつきました。
オーストラリアやアメリカは世界中の人々が集まってできた国です。
カタールにもパラグアイから帰化した選手がいました。
世界はボーダレスの時代になっています。
中村君の家族をみていると、大阪では阪神タイガースを応援する人達が多く名古屋では中日、仙台では楽天・・・・のぐらいの軽い気持ちで応援する時代に近づいているようなきがします。

どちらが勝ってもおかしくない素晴らしい試合でした。

オーストラリアに遊びに行ってもいじめないでね!

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サッカーアジア杯と中村家

2011-01-27 18:07:07 | ハイキングおじさんの「ひとりごと」

レオン君とハイおじさん、ハイおじさんの奥さんと3人で門戸厄神から帰って中村家にて。
1月21日レオン君と中村夫妻はオーストラリアに帰りました。

中村君の娘さん達は全員オージーですが出身は韓国系イギリス系と日本系・・・・・エライコッチャ!!

どこの国を応援するか? あるいはこの3ケ国ならどこでもいいのか?

それともバラバラで応援するのか?

夫婦げんかが起こらねばいいが!!

今度会ったら聞いてみよう~と?

ハイおじさんは勿論ガンバレ日本です。

困難ですが4回目の優勝を
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発見!! 日本一小さな「道の駅ちはやあかさか」

2011-01-26 19:30:22 | ハイキングおじさんの「ひとりごと」

食事や休憩をする場所は店の右側にあるバルコニーのみ。
雨や風があったり、暑い時、寒い時はちょっと辛い。
店内は地元の野菜や果物にその他の商品でいっぱいで2~3人入るのがやっとです。



日本一かわいくて、「小さな道の駅ちはやあかさか」です。
その隣に楠公さん生誕地と千早赤阪村郷土資料館(有料)があります。
そこの駐車場とトイレを使用します。

話の種にちょっと寄ってみたら?

道の駅ちはやあかさか
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幻の尾根「六甲アルプス」ついに走破!!

2011-01-21 17:57:06 | ハイキングおじさんの「ひとりごと」
2011年1月20日(木)晴れ 4名 午前10時出発 撮影レオンさん


左からレオンさん、馬場さん、塩さん、ハイキングおじさん 

今回、レオンさんの山仲間で「六甲アルプス」を踏破した経験がある馬場さんに参加をお願いしました。  
馬場さんはお歳が70代だそうですがお元気で一日おきに山登りをされているそうです。

撮影は「ギガ」さんに代わりレオンさんが新しく購入したカメラでバッチリ。・・・ブログとロイヤルニュースに使用させて頂きます。 感謝・感謝(ハイおじさん) 

よく紛失するので今回はカメラに紐を通してズボンに結ぶ周到さのレオンさんでしたが・・・・・

恒例の出発前の記念撮影です。 
レオンさんは通行人が無いので自動シャッターで撮影しようと新兵器を取り出し、カメラをガードレールに据え付けてシャッターを押し自分も所定位置に戻ろうとしましたが、フト気が付くとカメラとズボンに紐が!!! 焦るとなかなか外れません..シャッターがガチャ
本人は写らず・・・・・大爆笑
影にカメラと新兵器と紐がクッキリ
二回目の撮影がこれです。

駐車場から10分ほど歩いて地獄谷入り口へ、直進すると地獄谷で以前は左方向が地獄谷東尾根コースと思い険しい崖を落石に注意しながら登りましたが、なんとその手前に楽な登り道が(本来の地獄谷東尾根コース)ありました。 最初から間違っていました。
そういえば、険しい崖を登って見たら楽そうな道が付いていたのが気になっていたのですが、やはりそれが地獄谷東尾根コースでした。


レオンさんがバナーで温かいコーヒを作ってくれたのですが、皆さんはちゃんとコップ持参ですがハイおじさんは無いのでレオンさんのコッフェルの蓋を借りて呑みました。
寒いのですぐ冷えます。 おかげで熱くてもすぐ飲めました。
ここで呑むコーヒは格別やな~
 
*小さい画面はクリックして下さい。 大きい画面になります。*


  
以前、六甲アルプスを探すのに迷った場所。 急勾配を降りたところと思っていたが、そうではなく岩を周った意外な所に出発点がありました。
いよいよ念願の「六甲アルプス」・・・雪が多くなったので塩さんとハイおじさんはアイゼンを装着する、レオンさんと馬場さんは付けずに挑戦。



                    
この尾根筋は大きな岩でも風化して大丈夫か?と手をかけるとぐらつく岩ばかり。
落石が多いので全員ヘルメットを装着する。
馬場さんの先導でロープを張ってもらったりして悪戦苦闘.


     
チョット景色を見る余裕も・・・ 


垂直岩の崩落した跡。 まだ新しい。 よく見ると風化した岩の亀裂に木の根が張って崩れたか?

   
崩落してこんな大きな岩が木にひっかかっている。 その木が支えきれなかったらと考えると恐ろしい。  
「地震が起きたら終わりやな~」と恐々通過する。

       
左の写真は「六甲アルプス」の最高峰・・・・・とは言え周りの山より低い 中の2枚は登頂記念・・・右は急な降り
膝の悪いハイおじさんは・・・・悪戦苦闘


 
ヤッター  
馬場さんには理解しがたいでしょうがこの3人は達成感でいっぱいです。
すぐ近くのグランドで昼食、その後、いつもの温泉で・・・・・・最高~

馬場さん、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

完走~~感想:短いコースですが危険です。 「六甲アルプス」のコースは案内板がないのでベテランの方(馬場さんのような)と一緒にヘルメットをかぶり万全の態勢で望んで下さい。 危険な岩場は約45分で通過しました。
ちょっと登山気分が味わえて楽しかったです。
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「宮っ子」の名づけ親

2011-01-19 17:18:21 | ハイキングおじさんの「ひとりごと」
「宮っ子」

最近「宮っ子」の名前が最近あちこちで使われて嬉しく思います。

この名前を最初に考案したのがハイおじさんだからです。

1966年7月(ハイおじさんの学生時代)西宮市役所の職員の方と甲東市場の松本さん、大学の同級生で同じクラブ(水泳部)の矢間君、そしてハイおじさんの4名で公民館活動をしていました。
市の補助を受けて甲東地区(甲東公民館)に広報誌を発行しよう決まり、その広報誌に名前をつけることになり、いろいろ議論しました。
なかなか広報誌にピッタリの名前がありません。
当時、地域情報誌として「月間 神戸っ子」が有名で私たちも読んでいました。
ハイおじさんの提案で神戸っ子に対して「西宮の子」で「宮っ子」にしたらどうか?と提案しました。
そして採用され最初は簡単なガリバン刷りで発行したと思います。
現在はモット立派な冊子として発行されています。

地域情報誌「宮っ子」

そしてこの「宮っ子」の名前が一人歩きをして現在はいろいろな事にその名前が使えわれています。
「宮っ子」や「西宮」の名前がもっともっとメジャーになればいいのにな~と思っているハイおじさんです。

創刊50周年を迎えた「神戸っ子」





こんなところにも使用されていた。
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阪神・淡路大震災・・私の体験記 15

2011-01-17 20:40:22 | 阪神・淡路大震災 私の体験記
今日で震災から16年になります。

タイガーマスクの「伊達直人」の匿名でランドセルやお金などの寄付が全国運動のように広がっています。
ハイおじさんの学生時代・・・・学生運動が盛んな頃、寄付は政府の怠慢を助長すろものでやるものではない。「やるなら政府を倒してもっと平等な幸せのある国家を目指すべきだ。」など今から考えれば子供っぽい(ある意味純粋な)事で、実際われわれが立ち上がればできる、と信じていました。
そうゆう意味では今の若い人達より政治に感心を持っていたと思います。
困っている人たちに自分でやれる範囲で援助する事は純粋に「博愛精神」から出たもので、政治とは全く関係のない事です。
勿論、党派を超えて政治(行政)として福祉・災害対策はできる限りの事はやらなければならないのは当然であるが、政治や行政ではできないことがある。

それが阪神淡路大震災でのボランティア活動になったと思う。
家の前の人達が家に埋まって助けを求めているのに自衛隊や警察が総てにまかせる事は無理で(実際多すぎてできない)、当然近くの方達が救助します。 実際そんな場面をあちこちで見かけました。 その時はボランティアなどと考えずに純粋に埋もれている人達を助けようと必死で行動する。 どこの災害でもみかけます。

緊急時の後、行政とボランティアが一緒になって被災者の援護ができるか?

たとえばその後、座礁した船のオイルの回収や新潟地震など行政では出来ない事、きめの細かな事を行政とボランティアが連携して行なわなければならない。

今、ボランティアの方々の活躍を手助け組織を模索している段階とおもいます。

それにはボランティアと行政のルール作りをしなければと、阪神大震災から16年、いろいろ学ぶが多かったし又、生かしていかなければと思います。




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金剛山で初めてのアイゼンを使う

2011-01-14 00:27:52 | ハイキングに行こう

金剛山頂上 1月12日(水)曇り時々晴れ 単独
「六甲アルプスに行く時アイゼンを持ってきて下さい。」と指示がありさっそく購入しました。
○○ベルの店長(三田店)が六甲山記念碑台を通過して通勤しているが雪が少ないと聞き、なぜか同じ標高なのに金剛山のほうが雪が多いので、そちらに行くことにしました。
歩いて登りたかったのですが、用事があり出発が遅れ麓のロープーウエイに着いたのが午後3時。 ともかくアイゼンを試したくてロープーウエイで頂上へ

***小さい写真はクリックして下さい。 大きい写真になります。***

  
駐車場で積雪10cm、そこからロープーウエイまで雪道だがアイゼンを着けず慎重に登る。 降りに6人の女性グループの一人が絵を描いたような転倒、「やった!」と立ち上がりました。 皆、大笑い、こうゆう転倒は意外と怪我をしないようです。

  
金剛山の頂上は銀世界でした。 うれし~い 


  
初めてアイゼンを着けて銀世界へ、レオンさん推奨のワンタッチ式、でも靴がトレッキング用でスノーブーツではありません。 ○○山荘で聞くと靴の上部が柔らかいので足が充血する可能性があると言われ○○ベルでは「ためしてだめなら10日以内に返品して下さい。」で、6爪のアイゼンを購入しました。


 
嬉しくて一時間雪の中を歩き回りました。

アイゼンも外れずぴったりとフィットして大満足


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西宮戎神社とお化け屋敷とレオン君?

2011-01-13 23:15:14 | ハイキングおじさんの「ひとりごと」
9日宵戎の日に西宮神社へ中村夫妻・レオン君と行きました。
不景気と土曜日のせいか?鳥居をくぐると大渋滞なので露天で焼きそばなど軽いものを食べて休憩しながらゆっくり手水に行くと大混乱のなか目の前に齋藤専務と山本店長がいてビックリ


昔、西宮神社の周辺にだけにあった「さかさ門松」風習。
昔から「戎さん」で賑わっていたんですね。


「さかさ門松」の由来(クリックして下さい)


神主さんにお払いをしてもらい、お参りをしていつもの「甘酒」を飲んでレオン君は金魚すくいを楽しみました。
始めてなのに7匹もすくいました・・・・お見事


中村君(おじいちゃん)とお化け屋敷へ入りました。(クリックして下さい)
「怖かった?」と聞くと「いいや楽しかったよ。」と言っていたけどおばあちゃんには「ちょっと怖かった。」と言っていましたが、その後全員が怖い目にあいました。

西宮神社近くに駐車場が無かったので阪神今津駅近くのパーキングに車を停めて電車で行き、その帰り阪神電車を降りて今津駅のコンコースまではレオン君はいたのですが、階段を降りて道まで出た所でレオン君がいない事に気がつきました。
ほんの一分ぐらいの出来事です。
西宮神社の時は人が多くハイおじさんの手をしっかり握っていたのですが、人が少なくなったのでレオン君も私たちも油断していました。
全員が青くなり2階のコンコースに戻り手分けして捜しました。
ハイおじさんの感で阪急電車方面に行ったのか?とおもい阪急の改札方面に走りました。 すると案の定、親切なおばさんに手を引かれてレオン君がこちらの方にやって来ます。 
どうやら泣いているところに、親切なおばさんが声をかけてくれたみたいで、おばさんもハーフの子供が日本語と英語で話すので戸惑ったと思います。
お礼を言ったのですが急いでいるみたいで改札の方へ行かれました。
「本当にありがとうございました。」

レオン君も一瞬の事で驚いたことでしょう。
実はハイおじさんも子供の頃、デパートで迷子になり大声で泣いていて親父が迎えに行った時は「顔の見えない所からすでに泣き声が聞こえていて恥ずかった。」と言ってました。
おそらく不安で大声で泣いていたのでしょう。
でもその状況を鮮明に覚えています。
いい経験になりました。

おそらくレオン君もこの体験は一生覚えていると思いますよ。
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初戎と西宮戎神社にまつわる民話

2011-01-09 17:20:43 | 旧有馬郡の民話
今日から「えべっさん」です。



有間神社の「初戎」と西宮戎神社の近くに住んでいたので必ず両方お参りに行きます。
「ささ福」をお返しして新しいのを貰って帰らなければ落ち着きません
商売をしている人たちはその気持ちわかるでしょ~

西宮戎神社にまつわる民話

犬塚(いぬづか)

 むかし、西宮のえびす神社の森の中に、猿とも狼とも正体のわからないけものが住みついていました。このけものは、夜な夜な村や町へやってきては、人々を苦しめていました。家をこわされたり、田畑をあらされたり、子どもや老人がさらわれたりしました。
 このあたりの人たちは、すっかり困り果ててしまいましたが、自分たちの力だけではどうすることもできません。何とかこの災(わざわ)いから少しでものがれることができればと、おもだった者が集まり、ひたいをよせて相談をしました。そして、毎年一人ずつ若い娘を選んで、さし出すことにしました。
 「とうとう、おらたちの家のかわいい娘を、さし出さねばならなくなった。村や町の人のためだといっても、こんなことがあってもいいものか・・・。」
 その年娘をさし出すことになった家の人たちは、なげき悲しみ、泣く泣く白木の箱に娘を入れて、えびすの森に運ばなければなりませんでした。いかに村や町のためとはいいながら、聞くもあわれなありさまでした。同じ悲しみが、毎年毎年続きました。
 ある年のことです。なんでも四国の方に、ヒョウタンという名の強い犬がいて、あたりのもうじゅうたちをふるえあがらせているという話が、どこからともなく伝えられてきました。その話を聞いた人々は、小おどりして喜びました。
 さっそく、庄屋さんの屋敷に集まり、えびすの森のけもの退治について、ひそひそと相談を進めました。
 「四国に、ヒョウタンという強い犬がいるそうな。この犬を借りてきて、けもの退治をしてはどうだろう。」
 「わしらでもかなわぬものを、たかが犬一匹にまかせてだいじょうぶだろうか。」
 「しかし、毎年娘をさし出さねばならんようなことを、いつまで続けるのか。ヒョウタンは、かいじゅうをたおした強い犬だそうだな。」
 相談がまとまり、今年は、若い娘の代わりにヒョウタンを箱に入れて、えびすの森にさし出すことにしました。
 いよいよお供え物をさし出す日がやってきました。
 若い娘の代わりにヒョウタンを入れた箱が、大ぜいの人々にかつがれてえびすの森に運ばれて行きました。お供え物をそっとおくと、人々は手に手にかまやくわや棒を持って、まわりの草むらにかくれました。息をひそめ、じっとようすをうかがいました。
 だんだんと夕やみがせまり、あたりがうす暗くなってきたころ、一匹のおそろしいけものがおどり出て、よだれをたらしながらお供え物に手をかけました。箱が開かれたとたん、ヒョウタンが「ウォッ」と一声、すさまじいさけび声をあげ、もうぜんとけものにとびかかりました。たちまち、ヒョウタンとけもののはげしい取っ組み合いが始まりました。大きなうなり声が、村や町中にひびきわたりました。
 ヒョウタンが死にものぐるいになって、そのおそろしいけものにくらいつくと、草むらにかくれてうちふるえていた人々も、どっといっせいにうちかかりました。くわや棒で打ちのめし、とうとうたおれてしまいました。
 どれほどたったでしょうか。
 ふと我にかえった人々は、けものにくらいついたまま息たえているヒョウタンを見つけました。
 人々は、涙を流してヒョウタンの手がらをたたえ、手厚くほうむり、そこに大きな塚を建てました。みんなで力を合わせて災いをたつことができた喜びと、命のかぎり人々のために戦って息たえたヒョウタンへの感謝の気持ちが、この塚にこめられたのです。
 この塚は「犬塚(いぬづか)」とよばれ、西宮の町はずれの田んぼの中にあったそうです。


*「西宮ふるさと民話」より

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