20数年前有馬川沿いの今の阪神高速北六甲線山口インターテェンジ近くに細い一本道がありその先が川で行き止まりで橋けただけが残っていて(現在は無くその時写真を撮っていなかったのを今は悔やんでいる)近くのお婆さんに聞くとここに鉄道が通っていたが戦争で廃線になったと聞きました。
その線をたどると公智神社の前を通ってそのあとが判らず人の話では山(丘)を越えて二郎のあたりを通っていたと後ほどある人から聞いた覚えがありましたが忘れていました。
ところが先日鉄道の跡らしきものを発見しました。
神戸市北区有野町二郎で中国縦貫道から米沢自動車販売の裏まで1kmほどあります。
近くの農家の方に聞くと戦前ここを汽車(SL)が一日七往復していたそうです。
有馬軽便鉄道
左の土手が鉄道の跡
大正8年から昭和18年まで汽車が走っていたなんて信じられません。
またじっくり調査してみたいです。
その線をたどると公智神社の前を通ってそのあとが判らず人の話では山(丘)を越えて二郎のあたりを通っていたと後ほどある人から聞いた覚えがありましたが忘れていました。
ところが先日鉄道の跡らしきものを発見しました。
神戸市北区有野町二郎で中国縦貫道から米沢自動車販売の裏まで1kmほどあります。
近くの農家の方に聞くと戦前ここを汽車(SL)が一日七往復していたそうです。
有馬軽便鉄道
左の土手が鉄道の跡
大正8年から昭和18年まで汽車が走っていたなんて信じられません。
またじっくり調査してみたいです。