有馬町
古くから「有馬温泉」の名で知られていた。
古くは「有間」と書かれ後に「有馬」と表記される。
有野町有野にある有間神社の祭礼・・・もとは山口町のにあったが有馬川氾濫で当地に移転した。
アリマは古代アルは山、マは須磨、播磨のマと同じく土地を表す。 アリマとは「山間の土地」というのが通説です。
アラマ「荒間」=荒れた土地説 アイヌ語で「燃える谷」説などある。
631年「日本書紀」に有馬(間)があらわれる。 奈良時代行基が温泉寺を立てたと伝えられるが平安時代1097年山津波が起こり100年近くさびれていたが1191年僧仁西が湯治客の為十二防を開いたという。
「坊」の名は宿坊からです。 ねぎや「陵楓閣」の由来。 「ねぎ」は漢字で「禰宜」と書き、その昔、神職の方々がお泊りになられた湯宿と伝えられています。元文2年(1737)の「摂州有馬細見図独案内」にもその名前が認められますが、宿の歴史はさらに古く、江戸初期から有馬の地で旅館業を営んできたと思われます。創業時は現在の「金の湯」のすぐ近くに位置していましたが、昭和35年(1960)に自然に囲まれた現在の地へと移り、昭和、平成を通じて多くの お客様をお迎えしてきました。(ねぎや陵楓閣のHPより)
こうした起源を最初に伝えたのは1621年有馬に入湯した林羅山の「有馬湯治記」であるが、坊名の温泉宿が出てくるのは「陰涼軒日録」1466年の御所坊が初見です。
1585年太閤豊臣秀吉が戦火で壊された温泉場の修理や1596年(慶長元年)の地震で破壊された温泉場や寺の再建をして有馬温泉は面目を一新した。 これが江戸時代の大繁栄のもとになり、湯女の色香も手伝って19世紀前半には「有馬千軒」とうたわれた。
「明月記」1205年には湯山宿とあり鎌倉時代以降「湯山」「湯山有馬」の記述があり「善福寺文書」1529年には「湯山村」と見える。 安土桃山から江戸前期は「有馬」と書かれるのが多く、元禄年間1688年から「湯山町」になった。 明治22年の市町村制で湯山町、同29年「有馬町」に改称され昭和22年神戸市に合併された。
有野町史・山口町史によれば神戸市は有馬町を神戸市に編入したいが飛び地になるので(当時東灘区は神戸市ではなかった)有野町・八多町・淡河町・山田町を神戸市に編入した。 山口町も神戸市編入を希望したがいい返事がなく当時の辰馬西宮市長からの勧誘もあり西宮市に編入した。 この経緯は山口町史に生々しく書かれている。(図書館で見て下さい)
参考資料:神戸の町名・有野町史・山口町史
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