『社会適応 社会復帰』について書きます。
「社会適応」や「社会復帰」の明確な定義が、調べてみたんだけど、無いので、
俺自身が考えている「社会適応」「社会復帰」について書きます。
俺が考えている
「社会適応」とは、俺の判断で、どこにでも自由に行動出来ること。
「社会復帰」とは、金銭的な収入があるかないかに関わらず、
何かの活動(就労含む。)をして、俺自身が、
相手が、幸せだなという事を感じられること。
よく社会では、「共生」とか「ともに暮らす」とか言います。
これを
良く考えてみると、
「共生」とは、分け隔て無く、生きるということだと考えられます。
そして、
「ともに暮らす」とは、分け隔て無く、暮らす(生活)することだと考えられます。
この2つに共通するのは、
生きる=暮らす(生活)だと思います。
生きて、暮らす。
というより、
生き続けて、暮らすには、「自立」が必要であると思っています。
「自立」は、自ら金銭的収入を得て、生計を立て、自分らしく生活する事だと思います。
しかしながら、
障害を抱えた方が
○ グループホームで生活すること。
○ 病院で生活すること。
○ 独身の場合、親元で暮らすこと。
○ 生活保護を受けて暮らすこと。
これらが、「自立」と言えるだろうか。
更に言えば、「共生」や「ともに暮らす」と言えるだろうか。
この事は、俺が否定しているのでは無い事を付け加えておきます。
俺自身の答えは、NOである。
ひと言で、「社会適応」、「社会復帰」と言っても、
その前提には、「自立」も同時に必要であると考える。
要するに、俺が言いたいのは、
心地良い言葉で「共生」や「ともに暮らす」などと言っても、
「自立」まで考えると、当事者や家族にとっては、たやすい事ではないという事である。
障害を抱えた方が、
自らの力で、金銭的収入を得て、暮らし(生活)、自分らしい人生を送れるように
するため、
「自立」を含めた「社会適応」や「社会復帰」その上で、
「共生」、「ともに暮らす」ことを真剣に考える時期に来ているのではないか
と考える。
『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。
① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。