
病気になって少しだけ分かった俺 が一番初めに書いた『俺とは』です。
#1『俺』とは
#7『俺とは』(その7) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』
#8 『俺とは』(その8) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 久々に腹抱えて笑ったw
#9『俺とは』(その9) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを応援する理由
#10『俺とは』(その10) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 ネットで他人とやりとりして る理由
今回で11回目です。
今回は、『俺の中の俺を乗り越える』事について書きます。
俺の中には、もう一人の俺がいます。
それは、
発達障害Acの俺。
知らない人から見れば、人格障害と思われるかもしれない。
まあ。それは、どう見られても、いいんで、
今では、そういうのは、気にならなくなりました。
そこで、
発達障害Acの俺は、今まで、書いたように、
人間関係がダメな俺
コミュニーケーションがダメな俺
etc・・・
書くと切りがないので、こんあたりで、やめときます。
無意識の衝動性とともに、いつしか義務感でやってしまう事があります。
初めは、
やってて、楽しかったのに、いつのまにか、苦痛になっていたという場合です。
それは、
いろんな場合がありますが、
俺の場合は、師匠との散歩
初めは、楽しかったんですが、毎日、やらなきゃという考えが、いつしか俺自身を
追い詰めてました。それに加え、師匠、腹減ってるだろうな。と考えると、
その追いつけるのが拍車が掛かり、苦痛にさえ、なっていた俺でした。
そんな俺に、
妻や子供から
ウィルだって、あんたの事を知って、今、物音一つなく我慢してるんだよ。と
言われ、
俺は、身体がきつくて、散歩に一緒に行けない俺がキツイだけじゃなく、
師匠もキツイんだ。
と思えたとき、
俺と師匠は、一心同体、運命共同体のように感じました。
それからは、
俺の身体が、きつくて動けないときは、無理に行こうとせず、
師匠に、すまん。といい、行けるときに、すまなかったなあ。と直接言うようにしてます。
師匠と俺の関係が、変わりました。
俺が無理してやると言う事は、師匠にとっても、楽しくないと言う事が
理解出来たのです。
俺の体調がよくないときは、師匠も理解しているらしく、
騒ぎとか、物音一つせず、体調が良くなくて横になっている俺が
かえって、生きてるよな。と心配するほどです。
散歩に一緒に行くときは、師匠は、思いっ切り、俺に甘え、
遊んでと言ってる感じです。
そんな時には、俺も、なるべく答えるようにしてます。
これが
俺と師匠との関係です。
こんな関係が、家族以外の人間でも出来たらなあと感じます。
しかし、
もう一人の俺が、それをさせないのも事実なので、
『俺の中の俺を乗り越えたい』と思って、日々、生活してます。