病気になって少しだけ分かった俺 が一番初めに書いた『俺とは』です。
#1『俺』とは
#7『俺とは』(その7) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』
#8 『俺とは』(その8) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 久々に腹抱えて笑ったw
#9『俺とは』(その9) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを応援する理由
#10『俺とは』(その10) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 ネットで他人とやりとりして る理由
#11『俺とは』(その11)俺の中の俺を乗り越える。
#12
『俺とは』(その12) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを紹介している理由。
今回13回目になります。
「俺とは」の今まで、書いてきた記事を、総括して書きます。
パニック障害が発症してから、8年、早いものですね~。
その後の、うつ病の発症
そして、
精神障害者と国から認定(お墨付き)され、
ここ1年くらいで、
発達障害と分かりました。
これが、
俺の病気の8年です。
病気というより生活、大きく言えば、人生の中の8年です。
国家公務員としての身分は、休職中なので、今でもあるが、
今回は、2度目の休職なので、職場も戻す感じじゃないので、
たぶん、戻れないでしょう。
国家公務員として、約30年、働き続け、今では、病気になって
引きこもり、キモオタオヤジである。
それが、今の俺です。
健康な時は、このような状況になるとは、全く考えていなかったし、
ずーと、このまま健康で、定年までいけると思っていた。
最初に症状(パニック発作)が出たときは、その当時、「パニック障害」
なんて病名は、あまり普及してないときで、症状が出て、倒れて、
救急車で運ばれたときは、「過換気症候群」という診断名だった。
落ち着けば、すぐ良くなります。と言われて帰りました。
その後、
症状が頻繁に起こるようになり、行動範囲も狭まってきていました。
その頃、
出された薬がアナフラニール、その後、パキシルだった。
薬の副作用がきつく、2週間ほど、頭はぼぉーとするし、身体が動けない状態でした。
でも
症状は、取れるどころか、酷くなり、自宅に救急車を呼ぶ回数も増えました。
そんな中でも、
職場には、今の生活を壊したくない。という気持ちから、行ってました。
そんな生活が、約5年位続きました。
その後は、
症状の苦しさから、自殺未遂2回(1度目は川に身投げ、2度目は首釣り)したのに、
死ねない。苦しさから、俺の母親や妻に、怒りをぶつけていました。
そんな中でも、職場には、這ってでも行ってました。
行くというのは、やはり、今の生活を壊したくない。というものでした。
この頃くらいから、今のブログを作ったときだったし、ニコ生にのめり込んで
いた時でもあります。
這ってでも行っていた俺に転機があったのは、約2年前、
病気になってたいした、仕事も出来ない俺に、職場は、半ば強制的に休職になり、
これから、完全引きこもりの生活でした。
何とか、少し回復し、休職から復職しました。
復職も付け焼き刃であったため、約1ヶ月で、ダメになり、再び休職になりました。
その後は、
再び「生きている意味」、「生き続けることの意味」が見いだせなくなってました。
やはり、
あの時、死んだ方が良かったのではないか。とさえ考えるようになってました。
この頃、聴いたのが、子供が聴いてた、ヤマイさんの歌です。
なんて、力強い歌い方なんだろう。と感じました。
しばらくしてから、
妻に福祉を学んでみないか。と言われ。初めは、行動に制限があった俺には
無理だと思い、断りました。
妻は、あたしが一緒に行くから、やってみな。と言われ、
介護福祉士の通信教育を初め、土日のスクーリングは、行動制限(広場症候群)があり、
妻一緒に、行ってくれました。
実習は2週間でしたが、妻の職場の近くで行い、たびたび、見に来てくれて、
途中、発作で倒れたこともあったけど、何とか、実習も終了しました。
国家試験は、3度、2次で不合格。
今回、4度目になりますが、受けるかどうか、現在迷って居る状態です。
日々、具合が悪くなると、
妻がいるときは、傍にいて、手を握ってくれます。
そんな時、
手って温かいなあ。と感じました。
人間の手って、こんなに温かいものなんだ。と本当に、感じました。
その温かさは、俺というより、俺の脳を落ち着かせました。
そして、
こんな俺でも、いいのか。と聞くと、
子供達から、
父さんは、父さんじゃないか。と言われ、泣きました。
このときくらいに、発達障害というのが、分かったのです。
これ以降、
犬を飼うことを勧められ、こんな俺に世話出来るかなあ。と思いつつ
やってみようと、思い、初めに飼ったのが、ミニチュアダックスフンドで、
一緒に、寝たりしてましたが、途中から、俺の母親の犬になってしまい、
俺の母親は、その犬を連れて、お前の面倒は見切れん。と言って実家に
帰りました。
次に、飼ったのが、今の師匠です。約2ヶ月で、家に来ました。
初めは、大変だったけど、
次第に、
こいつは、俺に似てる。と思い始めました。
似てるのは、右も左も何もわからないで、混乱するとこです。
俺も症状が出ると、頭が混乱するのに、似ているのです。
そんな感覚を持つと、
こいつ(ウィル)と、俺は、一心同体だと感じるようになりました。
それに、
こいつ(ウィル)に、完全引きこもりの俺は、外に出してもらい、
行動させてもらっているのです。
そんな日々が続き、
今年の3月くらいから、
徐々に、行動出来るようになると同時に、何かをしてみたいという気持ちになりました。
それから
ウィルの散歩、食事の支度などとともに、ブログを徐々に再開させました。
ブログを徐々に再開させてから、
こんな俺を、理解する努力をして頂け、前向きな考えを学ばせてもらっている人に、
出会えたのは、本当に嬉しかった。
病気になってから、
友だちだと思っていた人達が、次々に離れていき、人間不信に陥っていたし、
その出会いは、ほんのちょっとでも、また人を信じていいのかも。と思わせて
もらいました。
その時、
俺だけ、こういう風に、学ばせてもらっていいのか。と自分自身に問いました。
その問いは、
以前、ニコ生の歌い手さんから、力(パワー)をもらったことを思い出し、
こんな俺に、何か、応援出来ないか。と考え、現在、応援させてもらっています。
ここで、少し、精神障害と発達障害について書きます。
全ての人とは言わないけれど、
多くの人は、
精神障害者=キチガイ
発達障害者=知恵遅れ
などと思われているのかもしれません。
しかし、
このどちらの思いも、全く違います。
俺から言わせれば、
このような方達と、いろんな機会で、話す事がありますが、
普通の人と言われる方よりも、人間的である。と俺は感じています。
人間的とは、
どんな些細な事でも、分からないことは、分からないと素直に言えます。
普通だと言われて居る人は、些細な事でも他人に、素直に聞けるでしょうか?
自分をごまかす事なく、わかりません。教えて下さい。と素直に聞けますか?
少しでも、そのような偏見をなくす事が出来るのならという思いと、
こんな俺が、本当に、社会適応・社会復帰出来るのか。を書いている
ブログであると言えます。
大人の発達障害についてYOUTUBEからのを見て下さい。
この中で、「普通に近づきたい」と言っています。
そんな言葉が、俺には悲しく聞こえます。
普通とは、
誰が決めたのでしょうか?
ですから、
「普通に近づきたい」という言葉に、悲しさを感じるのです。
次に、ニコニコ動画からのです。
コメントがありますが、
この中に、悲しくなるようなコメントがある事に、今の社会を映している
感じがしてなりません。
最後に、ニコ生の歌い手さんです。
今まで、このような方達を、俺なりに応援してきました。
記事を書くにしても、
喋られると、上手く理解出来ないので、放送を聞きながら、
紙に書いてます。
その紙を見直して、歌い手さんの良いところを、書き出す。
この作業があり、
記事にするのが、遅いのです。
申し訳なく、思ってますが、それが事実です。
そして、
歌い手さんを紹介している事について、様々なコメントが来てます。
それを、公開は、しません。
誹謗・中傷なので、今後も、公開する気はないです。
そんなのには、俺は屈しません。
直接ニコ生の歌い手さんに、素直に、問いたいでのです。
○ こんな俺に応援されて嫌なら素直に嫌と言ってほしい。
○ 障害を持っている俺のような人間が、歌い手さん達と絡んではダメ
ですか?
○ 健康な人間しか、相手しないのですか?
○ 理解出来ないかも知れませんが、歌い手さんから癒されたいと
思ってるんでは無く、生き続けるためのパワーをもらっていると
感じています。
そのパワーを歌を聴いて貰うのは、いけないことなんですか?
○ 歌い手さんだけが楽しければ、聴いている人は、どうでもいいので
しょうか?
○ 現実の生活もネット同様、おれの様な障害者を見て見ぬ振りをして
いるのですか?
○ 俺が具合が悪くて寝ていたとき、歌い手さんに、生き続けるパワー
をもらい、その恩返しをするのは、いけない事なんですか?