晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

民主党の無思想ぶり

2009-12-05 21:05:24 | Weblog
 そば徳(中央区北4条西5丁目 三井生命共同ビル1F)
 そば粉が多く、腰があって美味しいお蕎麦です。

かよ。

 財源をどこに求めるか その2

 政権交代になってから3ヶ月、未だ民主党の思想は見えない。もともと無いのかも知れない。

 ダム、高速道路、空港、手当、税・・・まるで、街を歩いている女の子に、「手当たり次第に声かけて・・♪」みたものの、身辺の整理が全然付かなくなってしまったみたいだ。

 なぜ思想が無いかというと、民主党の取り組みは、全て「分配論」の範疇に留まっているからだ。

 行政刷新会議の事業仕分け、政府税制調査会による税制改正、社会保障をはじめとした制度改革。不要不急の事業を廃止してその財源を他に振り向ける、様々な納税主体からの税徴収を変更する。共通しているのは、収入から支出に至る道筋を変えているだけ。全部「分配」の世界。

 この国は、1960年代から高度経済成長(資本の強蓄積)戦略をとって、先ずはパイを大きくすることを至上命題としてきた。そのパイを分配し、それなりの豊かさを享受してきた歴史を持つ。その根本は、技術開発と人材育成だった。
民主党が資本主義的生産体制を前提として、長期に渡ってこの国の舵取りをしたいなら、「生産力」戦略をきちんと示す必要がある。


 国家財政も収入と支出しかない。財政が悪化した場合は、増税により収入を増やすか、支出を削減するしかない。埋蔵金などはたとえあったとしても、へそくりみたいなもので一時的な収入にしかならない。

 2009.10.25の本ブログで、『財源をどこに求めるか』で、山家(やんべ)悠紀夫氏の、この国は資産があるのだからまだまだ国債を発行しても大丈夫という考え方を紹介した。

 これを真っ向から否定する言説が日経新聞2009.11.29エコノ探偵団「国はまだ借金を増やせる?」(山川公生)に掲載された。

 その中で、第一生命経済研究所の熊野英生氏は、この国には1.400兆円の個人金融資産があるから、まだ借金の余力がある、という意見に対して、「新たに発行した国債を買う元手としてあてにできるのは、新たに稼いで貯蓄する分のみ」だ。それは、銀行預金をおろして個人向け国債を買っても、銀行は預金が減った分だけ運用していた国債を売っていることになるからというわけだ。

 記事は続いて、しかも、家計の貯蓄力は落ちている。1990年台初めの貯蓄率は15%あったが、2007には3%に低下している。

 今後、国内で国債が売れなくなれば、海外投資家に高金利で買ってもらうしかなくなる。金利が上がれば、国債残高の利払いが雪だるま式に増加し、いずれ限界に達する。

 バラマキを続けて、国民を喜ばせて、クラッシュ、破綻、破産、上出来じゃないか!



コメント
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