晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『北朝鮮帰国事業』

2009-12-13 14:29:43 | Weblog
 昨夜は、NHKBS7で20:00~24:00まで1970,80年代のポップス&ロックの特集を観てしまった。アーティストのライブ映像が流れたが、一人一人魂を込めて唄うので中々インパクトが強く、頭の中心部にズンと残る。

 日展などのように一度に多くの絵画を観た時も、作品に込められた作者のエネルギーに圧倒され、疲労感となって残った記憶がある。

寒いけれど、今日もは未だか。 

 『北朝鮮帰国事業 「壮大な拉致」か「追放」か』(菊池嘉晃著 中公新書 2009年刊)

 来年2010年は、韓国併合100年の年である。一昨日、訪韓中の小沢民主党幹事長が韓国の大学での講演の中で、過去の植民地化の歴史に謝罪し、在日コリアンへの地方参政権に前向きなコメントをするなど、拉致問題を含めて朝鮮半島が政治の焦点のひとつになる年であろう。

 本書は、1954年12月から1984年7月まで25年間にわたって9万3,340人の在日コリアンが北朝鮮へ帰国した事業の歴史を描いている。このことは、これまで様々な本で取上げられているので、驚くような事実ではない。

 あなたは、何人?
 在日コリアンにとって、個人のアイデンティティの根拠を国家とした場合、そこには不在という不安感が存在するのであろう。

 私が、本書で改めて知った事実。在日コリアンは、なぜ故郷の朝鮮半島を離れて日本に住むようになったのか。1880年代から、留学生や官吏、政治亡命者のほか、労働者が募集により九州の炭鉱などで雇用されていた。急増したのは、1910年の植民地化以後である。

 日本に渡った理由、①生活難など経済的理由、②留学、③戦時動員(1939年~1945年)、前3者の家族として。

 1959年4月現在法務省統計では、在日コリアン60万7.533人(終戦時200万人)のうち、戦時動員期に渡日した人は全体の6.7%(4万461人)である。 また、在日コリアンの約97%が「南」出身!である。

 故郷の朝鮮半島では生活の展望が無く、自発か強制かは別として、日本に渡った。しかし、この国でも、差別に苦しむ日々から逃れるため、「地上の楽園」と宣伝される北朝鮮に帰国。そこも、貧困と差別の絶望社会であった。


 本書では、この悲劇の原因を、①金日成の対南戦略、社会主義社会の優位、朝鮮半島の北による統一戦略、②朝鮮総連の本国と連動した帰国運動、北朝鮮情報の隠蔽、③真の情報を伝えなかったこの国のマスコミにあるという。

 私の経験からも、1970年代までは、「韓国からの通信」(T.K生著、岩波新書、「世界」連載)などを読んでも、韓国社会の方が軍事独裁国家で暗黒社会に描かれていた。一方、北朝鮮については、身近なところで「主体思想」の学習会などがあったが神秘のベールに包まれていた。ソ連社会も同様であったが。自分にもう少し好奇心があったら、北を見に行っていたかも知れないが。

 蛇足であるが、本書でも登場する、寺尾五郎なる人物、「38度線の北」(1959年 新日本出版)で北朝鮮帰国運動を煽ったとされる人物であるが、かつてどこかで名前を聞いたことがある。思い出せない!
コメント
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