晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『日本辺境論』 その1

2009-12-24 21:10:14 | Weblog
 ようやくのあるクリスマスイブになりました。

 小学生の頃、一匹の黒い四つ目の犬が突然我が家に来ました。街で魚を売るリヤカーを牽くのを手伝っている犬の子ということでした。その犬が縁の下で産んだ何匹かの内、一番元気のいい犬だったそうです。

 私は今の今まで、その「クロ」の誕生日は、クリスマスイブだと信じていたのですが、きっとその辺りだったのではないしょうか。


 『日本辺境論』(内田樹著 新潮新書 2009年刊)

1.日本人は辺境人である
 梅棹忠夫『文明の生態史観』「はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の周辺諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうと思う。」P21

 丸山真男『日本文化のかくれた形』「きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める」態度は日本人のふるまいの基本的パターン。P24

 川島武宣『日本人の法意識』主義主張、利害の異なる他者と遭遇したとき日本人はとりあえず「渾然たる一如一体」のアモリファスな、どろどろとしたアマルガムをつくろうとします。」P27

 私たちの国は理念に基づいて作られたものではない。P32

 おのれの思想と行動の一貫性よりも、場の親密性を優先させる態度。P43

 ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを「辺境人」と呼ぶ。P44

 「辺境」は「中華」の対概念です。P57

 明治初期の征台論、征韓論は、「日本は中華であり、天皇こそが中華皇帝である」という華夷秩序の物語スキームで考えるとりかいできる。P73

 日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る。P89

 こうなったらとことん辺境でいこうではないかという提案をしたい。P100

 
 以上、第1章のポイントなる言説を引用した。著者の論理は、読んでみると「なるほど」とうなずけることが多いと感じる。確かに、「辺境と中華(中心)」で、様々な事象を捉えると、あたかもスパッと切れたように感じる。しかし、切ることの意味が見えないのである。

 鮮やかに分析をして見せてくれたが、それがどのような意味を持つのかが見えないのである。この国への警鐘であろうか、この国のあり方への提言であろうか。

 例えば、中国は、建国以来自らを第3世界にありと位置づけ、あくまでも開発途上国の代表として振舞う戦略を一貫してとり続けている。CO2削減目標での主張も同じである。言ってみれば、中国は「中国辺境論」を掲げながら国際的な戦略を練り上げているのである。

 内田「辺境論」には、意味が見えない。


 ♪アジアの片隅で、このままずっと生きてゆくのかと思うのだが・・

 

 



コメント
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