GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「幸せとは?」

2010年05月14日 | Weblog
「幸せとは?」

 こんな単純な質問を、過去何度も自問自答してきました。自分なりに<幸せ>の定義を見つけようとしていたのでしょう。実はこの作業がとても大切なような気がしてきたので、改めて日記に書いてみようと思い立ちました。

 人にはそれぞれの人生があり、価値観や目標が異なる為に<幸せ>もそれぞれでしょう。まず、過去の自分の日記を調べてみて、私自身<幸せ>をどのようにとらえているのかチェックしてみました。

・母親の胎内という至高とも思える幸せ
・幸せとは心に不安や心配がいっさいない絶対安心状態の事(播磨屋助次郎)
・人は共感することによって心が癒されます。
 恋する相手や可愛い子供の幸せそうな笑顔を見て、
 共感し自らの幸せが達成されるものだと思っています。
・私たちは自分の幸福(?)を求めるが故、
 大切だったものをあたり構わず切り捨てようとしています。
 それは穴の開いた船にいて、ドンドン海水が入ってきて
 沈みかけているので周囲のモノをドンドン海に投げ込んでいるようなものです。
・「嫌いなものが増えるたび 受け取れるはずの幸せのの量が減っていく」(勝目梓)
・『どんな職業に就いていようとも、経済活動をしている以上、人は悲哀をかこつ。 地位や他人の評価とは無関係に、地に両足をつけて自立できているという自覚さえあれば、人は幸せなのだというフラットな目線を、7年間で養ったように思う』(横山秀夫)
・『どうしたら幸せになれるのだろうか。Doingに関わる幸せとして、腹いっぱい食べることだったり、成績が一番になったり、高い車が手に入ったり、試合に勝ったりする幸せがある。購買欲や食欲、性欲や人を殴りたい攻撃欲は満たされると快感を感じてすかっとするのだ。しかし、この快感は一瞬である。どのような欲求充足も長続きしないし、またすぐに不満がつのる。こんなDoingの幸せに対して、Beingの幸せがある。「することを忘れ、何もしないで、ボーッとして、ただ「いる」だけでいい時の幸せというのがある。幼い頃はそういう幸せに溢れていたようだ』(北山修)
・あの世まで持っていけないと気づいたとき、沢山の宝物に囲まれている人も、無意味だったと知るに違いない。幸福な人だけが風呂敷に入れられるようなものが、宝物ではないことに気づく。いつまでも気づかない人は寂しいまま人生を終えるしかないのです。
・鎌倉の海辺に寝そべって
 有名な水中花火を見ましたね
 大人でもびっくりする花火の大きな響きにも
 あなたは驚きもせず 目を輝かせていましたね
 「幸せの瞬間」とはあんな時間のことをいうのでしょう
・すべての人は幸せになるために生まれてきた。

・様々な知識や経験が、人に知恵を与えその知恵は筋肉となって心の骨格を守り、教養を身につけ、人格を構築する。そして、自分の価値観を形成し、自分の道を見いだして、
最終目標の<幸せ>向かって歩み出す。こんなふうに気づくのに多くの時間を必要としました。
・かしこい子とは「幸せになる生活をする知恵のある子」(渡辺洋一)



ブロブを振り返ってみると、幸せについての記述が一番多いような気がします。この間に多くの著名人の言葉や本の文章を読んできて私の<幸せの定義>がよりはっきりしてきたように思います。
 北山氏の文章にあったDoingの幸せは、その人が達成した時のみ感じられる幸せであって、例えば勝負に負けた相手にとってはとても不幸で悲しい出来事かも知れません。夫婦であっても配偶者の幸せが相手も同様に感じているかどうかは離婚の多さが知らしめてくています。もう一つのBeingの幸せは、母親の胎内という至高とも思える幸せ、心に不安や心配がいっさいない絶対安心状態と通じるものがあります。真の幸せはこちらに存在するようです。
 人は自我に目覚める唯一の生き物です。そして、感動や笑いや涙も他の生き物にない人間ならではの特権と云えます。考えてみると地球上のすべての生き物と比較すると、至高の知性を与えられ、自然をも変えうる能力を与えられた神に近い存在とも云えます。その為に<自律>を学ぶ唯一の生き物になったように思います。しかし、この知性という特権能力の使い方を間違ったために、得られる幸せを失ってしまっているように思います。そのために人はストレスを抱え込み、特権の優劣を競い合い、競争社会で勝ち残った者しか幸せを得られないと思い込んでしまったのです。

『野球というのは勝ち負けがありますが、野球の面白いところは勝つことが最終目標ではないところです。もちろん勝つことはひとつの目標ではありますが、例えば高校野球で、甲子園優勝を目指している全国4,000校の中で、優勝できるのは、1校だけです。そう考えますと、ほとんどの人が負ける悔しさを味わいながら野球を続けていき、かつ野球と別れていきます。もし、優勝だけが目的なら、こんなに野球は広がらないでしょうし、みんなが支持をしないでしょう』
 これは巨人軍の名誉監督長島茂雄氏の言葉ですが、野球は人生と似ていると続けています。また、『キャッチボールの基本は相手の胸に投げることで、それは捕りやすいボールを投げるということです。キャッチボールは連続性が大切です。捕って終わるのではなくて、捕ってから相手に投げ返してまた受けるわけです。それからキャッチボールの非常に奇妙で面白いところは、暴投をしたほうがボールを拾いに行くのではなくて、受け手側が「いいよ、いいよ」と言って捕りに行くところです。そうしますと「ごめんナ」と言いながら、「この次はいいボールを投げてあげなくちゃ」と考えるようになる』長嶋さんはそれが「会話」だと言います。

 人は共感することによって心が癒されます。キャッチボールで暴投した方は「ごめんナ」と言いながら、「この次はいいボールを投げてあげなくちゃ」と考える、これが受け手側の心と共感しているのです。タイムリーヒットを打って2塁ベース場ガッツポーズが当たり前になってきた高校野球ですが、長嶋氏が云う大切な「会話」や「共感」とは違ってきてるように思えてなりません。千秋楽の優勝決定戦で勝った外国人横綱がガッツポーズを取って、審議委員会から品位がないと注意を受けましたが、同じ意味です。いつの間にか、勝ちさえすればいい、勝者だけを褒める風潮がまかり通る社会になってきたのです。こんなことでは共感も共生もできるはずがありません。

 恋する相手や可愛い子供の幸せそうな笑顔を見て、共感し自らの幸せも達成されるものだと思います。Doingの喜びを得ようとしても真の幸せは得られないと気づかなければなりません。真の幸せは共感と共生の中にあるのです。母親の胸に抱かれて不安や心配がいっさいない絶対安心状態こそ幸せの真髄であり、自らが求めて与えられるものではなく親が健やかに育つ我が子の笑顔見ながら感じるものだと思います。

あらゆる人の人生はオリジナルです。
つまり唯一の存在です。

 そして、生物の進化の最終型が人類であるのは事実のようです。この進化はどのような流れでどこへ向かっているのか。進化は不幸であてはいけないと私は考えています。母のお腹の中で、人は単細胞から魚類、両生類、ほ乳類と進化の過程と辿ります。それはより幸せになるための進化だと思っています。

 ごくたまに、人は大空を舞う鷹や大海原を回遊するイルカになりたいと思うことがありますが、今度生まれ変わるときもやはり人でいたいと願うはずです。そんな人生にしたいと思います。そんな人生にしていかなければならない、これが進化の流れだと私は思います。

つまり、幸せになる流れこそ、人生の本道だと思います。

そのためにオリジナルの定義を捜すことが、自分の人生を生きることになると思っています。自我に目覚める生物は人だけなのですから<自立と自律>を大切に。人と競争するのは愚かなこと。DoingとBeingの幸せをしっかりと理解し区別する。共感し共生して、幸せを感じる。

半世紀を生きてきて
ようやくこのようなことが分かりだした新参者です。