英国の名優マイケル・ケインが老齢の元海兵隊を演じた「狼たちの処刑台」は、移民大国の荒廃した現状を描いており、イギリスへの旅行を考えてしまうような映画だった。冒頭で警察官ですら配属されたくないと思う労働者階級の住宅地域で、若い母親が暴走した野獣たちの銃弾で亡くなる。クスリと暴力が充満する野獣たちの街で、静かに老いを迎えるケインは若いときに一人娘を亡くし、植物人間となった妻も病院から死亡の連絡を受ける。そんな時、野獣たちに執拗な嫌がらせ受けていたただ一人の友人も彼らになぶり殺される。傷心のケインはいつもの酒場でやけ酒をあおって自宅に帰る途中、クスリ中毒の野獣にナイフで脅される。しかし、沈黙していた元海兵隊の血が反応して野獣を殺してしまう。肺気腫に冒されていたケインに、もう失うものは何もなかった。友人を殺した野獣たちを血祭りに上げるために立ち上がった…。
映画を見終わって、もし愛や情や絆を知らずに育った輩は、何処に向かおうとするのかと考えてしまった。テレビドラマも始まった『ジウ』3冊(警視庁特殊班捜査係・警視庁急襲部隊・新世界秩序)の原作を読んだが、愛や情や絆を一切知らない<ジウ>がかつてない犯罪を犯していく。動機が見えない警察組織は、狼狽えながらも<ジウ>との戦いに挑んでいった…。この原作の中で、愛や情や絆を権力者や既得権者が与えた足枷ではないかという表現があった。考えたこともない発想だが、宗教は権力者に常に追随してきた歴史がある。日本でも欧米諸国でも同じだ。宗教は構築された生活や文化、財産を守る秩序を教える役目があった。キリストや日本の法然、親鸞の新宗教は、当初はその秩序を乱すとされ迫害を受けた。旧体制側では受け入れがたいものだったからだ。
日本にはまだ、米国や英国、フランスの下層階級が住む荒廃した地域が存在しない。クスリや暴力の汚染された家族たちが住む地域だ。好景気を背景に移民政策を取ってきたことが、負の遺産として残ってしまったのではないか。また、銃器の所有が暴力を増大させている。米国では国内に3億丁近くの銃器が出回っているとされ、事件のたびに規制を求める声が上がるが、歴代大統領、誰一人として断固たる姿勢を示せないでいる。それは開拓時代からの自衛の伝統が重んじられ、銃所持の本格規制には反発が強いためだ。多民族国家での社会システムや教育のシステム作りは決して容易な作業ではない。そして、たとえ生きるためといえど、他民族にとって大国の言葉や習慣、文化を受けいるには大きな忍耐が必要になる。そして特に下層階級では公正・平等の対応は決して期待できない。その堪えきれないストレスがクスリや暴力に走り、犯罪組織に身を投じることになる。
話を戻すが、愛も情も絆もないクスリと暴力に汚染された社会で、人が育てられたらどんな人物に成長するのか、私は野獣になるしかないように思う。環境が人に与える影響は甚大だ。だからこそ、親が子供に愛を伝えることは何事にも代え難い重大事だと考えている。親でなくてもいい、親の方がいいに決まっているが、親でなくてもいい。誰かに愛を受けたことを感じる心(=情)や絆を感じられることができたら、暗い野獣の世界に落ちることはないと思う。
人は愛に気づかなければ野獣に落ちる
生きる喜びも見いだせない野獣に落ちる
食べて犯して寝るだけの野獣に落ちる
人はもともと野獣だったのだ
しかし、長い時間をかけて愛を教えられ
愛することに目覚め
愛を信じるようになったのだ
野獣は100万年の時を得て 人となったのだ
この悠久の時間を無駄にしてはいけない
油断するとまた野獣が目覚めてくることを意識しておかねばならない
ただ 感性は野獣性の中に潜んでいる
野獣性のコントロールは決して容易くない
知性、感性、野性は 人が長い時間をかけて得た大切なもの
だからこそ バランスに気を付けなければならない
そのために教養が必要となる
人は愛に気づかなければ野獣に落ちる
生きる喜びも見いだせない野獣に落ちる
食べて犯して寝るだけの野獣に落ちる
人はもともと野獣だったのだ
このことを忘れてはならない
映画を見終わって、もし愛や情や絆を知らずに育った輩は、何処に向かおうとするのかと考えてしまった。テレビドラマも始まった『ジウ』3冊(警視庁特殊班捜査係・警視庁急襲部隊・新世界秩序)の原作を読んだが、愛や情や絆を一切知らない<ジウ>がかつてない犯罪を犯していく。動機が見えない警察組織は、狼狽えながらも<ジウ>との戦いに挑んでいった…。この原作の中で、愛や情や絆を権力者や既得権者が与えた足枷ではないかという表現があった。考えたこともない発想だが、宗教は権力者に常に追随してきた歴史がある。日本でも欧米諸国でも同じだ。宗教は構築された生活や文化、財産を守る秩序を教える役目があった。キリストや日本の法然、親鸞の新宗教は、当初はその秩序を乱すとされ迫害を受けた。旧体制側では受け入れがたいものだったからだ。
日本にはまだ、米国や英国、フランスの下層階級が住む荒廃した地域が存在しない。クスリや暴力の汚染された家族たちが住む地域だ。好景気を背景に移民政策を取ってきたことが、負の遺産として残ってしまったのではないか。また、銃器の所有が暴力を増大させている。米国では国内に3億丁近くの銃器が出回っているとされ、事件のたびに規制を求める声が上がるが、歴代大統領、誰一人として断固たる姿勢を示せないでいる。それは開拓時代からの自衛の伝統が重んじられ、銃所持の本格規制には反発が強いためだ。多民族国家での社会システムや教育のシステム作りは決して容易な作業ではない。そして、たとえ生きるためといえど、他民族にとって大国の言葉や習慣、文化を受けいるには大きな忍耐が必要になる。そして特に下層階級では公正・平等の対応は決して期待できない。その堪えきれないストレスがクスリや暴力に走り、犯罪組織に身を投じることになる。
話を戻すが、愛も情も絆もないクスリと暴力に汚染された社会で、人が育てられたらどんな人物に成長するのか、私は野獣になるしかないように思う。環境が人に与える影響は甚大だ。だからこそ、親が子供に愛を伝えることは何事にも代え難い重大事だと考えている。親でなくてもいい、親の方がいいに決まっているが、親でなくてもいい。誰かに愛を受けたことを感じる心(=情)や絆を感じられることができたら、暗い野獣の世界に落ちることはないと思う。
人は愛に気づかなければ野獣に落ちる
生きる喜びも見いだせない野獣に落ちる
食べて犯して寝るだけの野獣に落ちる
人はもともと野獣だったのだ
しかし、長い時間をかけて愛を教えられ
愛することに目覚め
愛を信じるようになったのだ
野獣は100万年の時を得て 人となったのだ
この悠久の時間を無駄にしてはいけない
油断するとまた野獣が目覚めてくることを意識しておかねばならない
ただ 感性は野獣性の中に潜んでいる
野獣性のコントロールは決して容易くない
知性、感性、野性は 人が長い時間をかけて得た大切なもの
だからこそ バランスに気を付けなければならない
そのために教養が必要となる
人は愛に気づかなければ野獣に落ちる
生きる喜びも見いだせない野獣に落ちる
食べて犯して寝るだけの野獣に落ちる
人はもともと野獣だったのだ
このことを忘れてはならない