GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「親友に逢いに行く 2」

2011年10月02日 | Weblog
 今度の水曜日、彼に逢うために九州に向かう。昨夜S-YAIRIギターを引っ張り出してマーチンの新しい弦に張り替えた。私たちはいつもマーチン弦を使用していた。弦を張り換えたばかりのギターの音色は特別だ。バリーンという響きは、経験がある人なら<共感>できるはず。しかし、この<共感>を人生で味わうことは決して多くはないことを知っている。残念だがこれは事実だ。同じ映画を観ても<共感>を得られないことがそれを物語っている。

 大学1年生の時、彼は同じクラブに入部してきた。新入部員は歓迎会で必ず先輩達の前でギターを弾いたり歌を唄うことになっていた。私自身何をやったのか全然覚えていないが、とにかく一曲披露した。彼の出し物は「コキリコの唄」だった。ギターのアルペジオは決して滑らかではなかったが、歌声は私の心を捉えた。まさに心に<共鳴>し<共感>した。唄い終わった後、彼に近づいて「一緒にやらないか」と言葉を投げかけた。「いいよ」とニッコリ笑って即座に承諾してくれた。生涯の友を得た瞬間だった。

 私は中学2年以来、一目惚れで人を好きになったことがない。想いを寄せることに慎重になったせいだ。自分の感性が成熟していないことを学んだこともその要因だ。しかし、人は必ず初めての出会いで何らかの第一印象を持つものだ。その第一印象が長く続くとき、自分の感性の習熟度が高まってきたことを知る。直感力が磨かれてきた証と云える。

 彼の「コキリコの唄」を聞いた第一印象は彼の誠実さだった。声がいいとか巧く歌えるようなテクニックではなく誠実な人間性を感じたのだ。この印象はその後の大学生活でも変わらなかった。その証拠に3年生になったとき、彼は金庫番の経理担当として全員一致の推薦を受けた。最も信頼厚き仲間の証だった。周囲も私と同じような視線で彼を見ていたのだ。彼は自分でそれを自覚できなかった。鏡という道具を使わない限り自らの姿を捉えられないことと似ている。30年以上たった今も彼の印象は変わらない。社会に出ても彼はその誠実さを買われ、大きな会社の経理担当重役にまで登りつめる。軍隊でいえば将官だ(上級大将・大将・中将・少将・准将の総称:陸軍や空軍では将軍、海軍では提督と総称される)。彼は大学を卒業して就職したとき、まさか自分が経理分野で活躍するなど想像もしなかったはずだ。

 私の場合はコンサートマスターという役職の推薦を受けた。本当にまさかと思ったものだった。私も自分自身の姿と捉えられていなかったのだ。映画や舞台ではで云えば脚本も担当する監督だ。就職したのは外食産業で、店長を経験し、地区マネジャーまで昇格した。軍隊で云えば佐官(代将・上級大佐・大佐・中佐・少佐・准佐)の少佐くらいだろう。(陸軍では主に大隊長または中隊長等を務める。海軍では主に軍艦の副長や分隊長、艇長および潜水艦艦長等を務める。空軍では主に熟練した航空機操縦士や軍の幕僚等を務める)現場の責任者という立場だ。

 組織の中で、周囲の仲間たち、特に人事権を握る上司たちが自分をどのように捉えているかを把握するのは決して容易ではない。20代ではたぶんわかり得ないだろうと思う。30代も後半になってようやくそれらしきものを自覚でいればいい方だろう。だから会社や組織が求める自分、そして、やるべき事がまだ不明瞭な場合が多い。「どうして俺がこの仕事に選ばれたのか?」「何故、他の奴ではなくて俺なんだ?」こんな疑問が生じるのだ。姿見の鏡がまだぼやけているのだ。しかし、役職が上がるに連れて、自分の置かれている位置に気づき、やるべき事が明らかになっていく。会社の方向性もより明確になっていく。重役ともなれば自分のやるべき事がさらに明確に違いない。やるべきことに集中し、やりたいことを削ぎ落としてきたからこそ、重役になったのだ。しかし、下す判断が本音と大きく乖離してきたとき、どんな人でも質量のあるストレスを溜め始める。ここに会社や組織の難しさあり、人生の難しさがある。「やりたいこととやるべきこと」を一致させることは役職を上がれば上がるほど至難の技となる。たとえばハイジャックされたジャンボジェット機が突っ込んでくると判明したとき、即座に「打ち落とせ!」と命令できる人たち。私にはとてもそんな役職は勤まらない。親友のことを想うとき、このことが浮かんでくる。

 10年以上前、彼から一度だけ連絡があったことがある。会社を辞めて農業がしたというのだ。私はとても驚いた。彼の会社の状況や仕事での役割を正確に把握できる情報などあろうはずがない。彼もまた親友の私にそんなことを詳しく知らせてくるはずもない。彼はふと本音を誰かに云いたくなったのだと思う。独断的だが、経理の責任者としてリストラを進めなくてはならない立場だったに違いないと推測した。誰もそんな仕事を手を上げてやりたいというはずがない。立場上、彼は辞める以外にその役目から逃れる方法はなかったのではないか。そんな想いやグチを電話で私に伝えてきたのではないか、そう思っている。しかし、歩むべき道はすでに決まっていた。結婚しその地に居を構えたとき、そして、重役になったとき、彼のような誠実な男に会社を守る以外の道を選ぶことなど不可能だった。 
 
せめて歌に私の気持ちを託そうと思った。そして、彼にこんな曲を作って送付した。

「生きる」
人は泣きながら   生まれてくる
生きる苦しみを   知っているのか
人は多くのことを  学びながら
何故か人を傷つけ  涙まで失う

人の群の中で 心に羅針盤を
人の群の中で 花に心奪われ
人の群の中で 哀れを知り 我を知る


人は悲しみながら 心を深くする
生きている喜びを じっと噛みしめながら
人は笑いながら 心を育てる
過ぎゆく時の流れを そっと惜しみながら

人の群の中で 心に羅針盤を
人の群の中で 花に心奪われ
人の群の中で 哀れを知り 我を知る