GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「見返りを求めるな!」(松山千春)

2014年05月04日 | Weblog

鶴瓶のAスタジオに珍しく松山千春が出演して、印象深い話をしていました。
『決して見返りを求めるな。そうしたら自分のままでいられるから。今の若い人は見返りを求めすぎる。』とAスタジオに来ていた若い連中に熱心に話しかけていました。私は彼の言葉を聞いてアクターズ・スタジオの「ナタリー・ポートマン自らを語る」を思い出しました。

『…生前に良いことをするのは天国に行くためじゃない。天国があるかどうか分からないけど、あるというのはいい考えじゃないわ。すべての行動が自分のためになってしまうから。そういう考え方は人間の心を駄目にすると思う。手段ではなく目的として良いことをしたいの』千春やポートマンの言葉には、自らの成功や慢心を押さえ、自分自身を客観視する自制心を感じます。

今朝この話を連れ添いすると、「私もさっき同じような話を読んだよ」と、糸井重里のほぼ日手帳2014(cousin)の5/31ページを見せてくれました。
『信用されることはとてもよいことだけれど、「信用されようとしちゃぁいけない。つまり自然にあなたがやっていることが、人に信用されているということなのだから。「信用されよう」としてやっていることは、ただの「中身のな
いカタチ」なっちゃうから』

  

若い頃から見返りを求め過ぎると、「自分のままでいられない」「人間の心を駄目にする」「中身のないカタチ」になってしまう。私流に解釈すると、心の畑が卑しくなってしまい、将来何かを耕してもいいものが育たない、まるでツンドラ地帯の凍土のようになってしまう。

いい土壌の心に育てるためには<素直さ>が鍵を握っているように思います。しかし、残念ですが、人間というものは、自己本位にものごとを考えがちになり、それではやはり物事を円滑に運ばないことを学びます。こうした経験を経て、自分の心をいったん外に出して、その取り出した心で自分自身を眺め返してみる、つまり客観的に自分で自分を観察すると<素直さ>を失っていた自分に気づきます。そして、自制心や自律心なくして自分を客観しするのは難しいことにも気づくはず。千春やポートマン、そして重里さんの言葉には、いずれも暖かい愛が根底に流れていると私は感じます。それは自己愛や家族愛や友情を越えたもっと大きな人類愛ではないかと思っています。