楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

そして夕暮れシアトルマリナーズ

2006-07-27 14:48:23 | 
泥のように眠る。電話のベル。「アメリカもみな来ました。食事に行きましょう」
<眠い、横めし、でも、しゃーないな。日本の役人の発想が引き起こしているトラブル、どうにかせにゃならん、いくか!>
「お~~、いいね皆、自然体」
この人の輪が科学を前に進めるのだと、自分に言い聞かせる。
皆で、「明日も楽しもう、いろいろあるけどね!~ Good night, have a good dream]
日没のシアトルマリナーズ絶景。
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マリナーズの昼食

2006-07-27 14:39:45 | 
そして、日差し満杯。この地のローカルビール。ちょっと濁った琥珀ビール。<ん!ま、そこそこ>
本当に眠い。さ、ちょっと食べて。<ん、ここは確かにマリナーズだ!>
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シアトルマリナーズ初日

2006-07-27 14:35:00 | 
今は朝、だが日本は深夜。昨夕出発前の大トラブルを反芻する。それはまたこの国の中枢のトラブル。本当に開発途上国だ、日本の科学システムは。しかし我が身は日本。昨夜のうちにこちらに伝わっているに違いない。さて、彼らはどうするか。ま、眠いし疲れているし。ホテルの外は海、ここが本当のシアトルマリナーズ。穏やかな海に「かもの子」が遊んでいる。これが調和だな、と思う。昨日読み終わった高木仁三郎が頭をよぎる。
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Oh My God!

2006-07-27 03:37:45 | 
つかないビデオ。聞こえないオーディオ。これが ユナイテッドエコノミープラス(クラスじゃないよ, +だよ)!
成田で国際便初めての自動チェックイン。はやい!Businessなみ。check-in counterに並ばなくて良い。そして画面が「あなたはエコノミープラスにしますか?」ときく。
<これってなに?>
<そうか!1万円払って、座席の前の空間が5~10 cm長いやつだ!>
<よし!8時間だ。ちっと酒でも飲んだ気になって奮発!>
出発。上空へいって
『皆様、ビデオプログラムがはじまります」とアナウンス。
何も見えない。
スチュワーデスを呼んでも「manualがありません。」
「これってpay backあり?」
スチュワーデスがトラブル文句記入用紙を持ってくる。スチュワーデスも私もすべて実名で記入し、
このトラブル解決の補填方法はマイレージに足すか、あるいは航空券補填の選択肢がある。
もしこのUAがどちらかで補填してくれれば許そう。
このようなサービスをやらなかったことが、アメ車の没落であったことをそろそろ学んだ方がいいよね。そのサービスが実はJapan Techであったのだから。
そしてシアトル着。さわやか!
蒸し暑く地獄の東京と大違い。
これは夜は寒いぞ。
さ、ジャケットを買いにいかねば。
写真はしばし御待ちください。
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自然と科学と人間

2006-07-27 03:26:36 | 科学
 いままたアメリカシアトル行きの機内にいる。昨日はこのアメリカ準備のための地獄の日であった。それでもなお宿題が多く。その隙にこの本を読み切った。私は高木仁三郎なる人物は知らなかった。読んでいて、とくに後半を読んで、この人は反原発運動の理論的柱だと確信した。そしてWebを調べた。すでに2000年に亡くなっていた。そしてやはり反原発運動の中心人物であった。大腸がんでなくなったが、偲ぶ会の開催まで自分で指示していたことを見て本当に驚いた。
 
この著作の前半には限りなく同意する。

自然と人間の関係に対する人間の見方が2つに分かれたという。1つは自然を征服する人間中心主義=科学=進化の頂点たる人類との見方。一方は人間とは大いなる自然の一部でしかないという見方。この見方は還元すなわち単純化が科学の本質か、あるいは複雑なままの、そして繰り返すことの出来ない時の流れを含めた自然そのものを全体としてとらえるのか、の議論につながるものである。
 同意できないのは、高木の議論は限りなく「反科学論」に近いのである。
彼は、自然を全体としてとらえることは良してしても、それを科学の観念的世界の中でやっていたのではだめなのだという。なぜなら科学はすでに権力の側にあるからと。これはあまりにも極端すぎる。
 科学の世界において、「知りたい」という生存の本能に導かれて、膨大な自然の謎の前に「うんうん」いって悩んでいる、そして謎を解く喜びのみを求めて人生を送っている科学者に対して、あんたらは傲慢の権力の側、といってしまってはおしまいでしょう、といいたい。せっかく自然と人間のはざまの中で、いい視点ではじまった著作であったのに、最後は反原発運動をはじめとするエコロジ運動、市民運動を正当化するための論理に落とし込めてしまっていることが残念でたまらない。彼が限りなくシンパシーを感ずるという「自然主義」の方がはるかに優位である。この高木氏の中にも 反原発運動を背負う「ねばならない」が見えてしまうのである。
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