楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

25年前、ある学生の死

2006-10-12 09:41:03 | 科学
それは2月28日、春まだ遠い、北国の凍てつく冬の夜明け前のことであった。
突然の電話で起こされた。
大学院の友からの電話であった。
「○○が死んだ!」
「え!?何のこと?だって昨夜、あんなに元気で、最後の仕上げにかかっていたではないか?<もう大丈夫、出来た>といっていたではないか!?」
「心臓が止まったらしい!」
私は、大慌てで車で大学病院へ駆けつけた。しかし、そこには既に冷たくなった、彼の体が横たわっていた。
ひげと髪は伸びに伸び、合掌させるために手を結んだ白い包帯が、それでもかみ合わない手が、くやしい無念の死を物語っていた。
 この2月28日正午は、すべての論文の提出締め切り。誰しも経験する、仕上げるための不眠不休が続いていたのである。
しかし、彼の場合は特別であった。彼は私より7年も後輩で卒論の最後の場面。
私のいた大学では、1月、研究発表会を開き、その時の質疑応答を考慮して、2月末までに書き上げる制度であった。
彼は大学院への進学が決まっていた。しかし、卒業論文の発表会で教員にボロクソにたたかれた。その彼を実質的に指導していたのは、実はその分野の大学院学生群であった。
 その当時、私を含めた専門分野では、科学の革命と評価される劇的な学問パラダイムの転換が進行していた。大学院学生はその新しい学問を一刻も早く取り入れ、もっと先へ進みたい。しかし、そのためには古い教授たちの学説を崩さなければならない。学生と教授の間の溝は極限にまで広がってた。ちょっと前まで激しく荒れていた大学紛争の余波としての学生対教授の対立も背景としてあったかもしれない。彼の専門分野は私とちょっと違っていたが、その発表会のやり取りには、そのような時代の強烈な背景があった。もちろん卒論であるから当然未熟。そのような彼に、日頃の対立軸が据えられてしまった。
 教授たちの側からすると、自分の指導を無視して、大学院生が勝手に卒論を仕切ることが許せなかったのかもしれない。しかもその内容が自分たちの存在を否定する新しい学問の流れである。そのことが、励ますべき卒業研究の場を一変させ、悲惨な袋たたきの場と化させてしまった。
 彼は、その発表会後、1ヶ月、ほとんど不眠不休であった。悔しさをバネに「すべてを0からやり直す!」と先輩たちにも彼は宣言した。私は、すぐ近くにいて、<すごい奴がいるものだ!なんと頼もしいものか!>と勇気をもらったものである。彼は、偶然にも私がその春から赴任することに決まっていた大学の所在地の出身であった。<遠く離れるけれど、郷里に帰ったら会えるね。いろいろ議論しよう>と話していた矢先であった。そんな時、彼は優しい笑みを浮かべて、<がんばります!>と答えていた。彼は高校の時から山岳部であった。誰しも彼の体力は抜群であると信じていた。不眠不休でがんばる彼の姿を見て、誰しも体力も気力も尋常ではない奴である、と尊敬と応援を送っていた。
 その彼が死んだ?!私は全く信ずることが出来なかった。
病院で、その卒論の同級生が話した。彼は、夜半「できた!残りは論文添付図面の題字だけだ。締め切りまで十分な時間があるので少し休む」といって、泊まり続けていた研究室の一角のマットレスの上に横になった。そしてー。突然のうめき声!
卒論の同級生が異変に気づき駆けつけると、のけぞる彼の姿があり、そして愕然と崩れたという。
卒論の同級生は、これはまずい!と馬乗りになり、心臓マッサージを始めたが、どうしようもなく、救急車を呼んだがだめであったと。「口から舌が出て、もどそうとしても、もどそうとしても」と泣きながら話をした。私もそのショッキングな無念の姿に流れてくる涙をどうすることも出来なかった。次々と駆けつけてくる友も皆、泣きはらしている。
 
出来上がっていた彼の卒論はそのときとしてはまれに見る出来であり、並の修士論文を超えていた。
それを見て、また皆泣いた。
そして、5月私は、赴任した地で、彼の実家を訪れた。まさか、こんな形になろうとは。
かれの実家は大きな農家であった。彼はふるさとに帰って穏やかな春の中にいた。壁に彼の満面の笑みの遺影が掲げられていた。

 それからもう25年の歳月が流れた。彼の死は、いったいなんだったんだろう、と今でも考える時がある。
若い学生に対して、公衆の面前で打撃的な議論を浴びせ、感情を交えて展開する教員の姿を見るとき、私はいつも心配でならない。教育とは冷静な中で展開せねば命に関わるのものであると。自戒を込めて、いつも思う。
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大トラブル

2006-10-12 07:46:43 | 生活
 いやはや、家にある2台のコンピュータがどちらもダウン!帰国後、先週の連休期間、通信不可で、手足をもぎ取られた状態であった。数千枚に及ぶ写真が全部パー!このブログにものせてきた、すばらしい写真が半年分、全部消えてしまった。ショックでブログに書き入れる気力も失せていた。しかし、気を取り直してどの程度復活可能か?ゆっくり取り組むことにする。
ま、一部、人生のリセットをするよい機会とすることにしよう。前向き、前向き
昨日は修士2年生の緊張した中間発表会。
 皆、力を尽くしてがんばっている。しかし、問題は一部の教員の側。いつもながらであるが、どうして、質問したり、議論する側はネガから入るかね、本当に!ちょっとでも励ましてから、疑問点を質問をすると、された側はどんなに励まされて、明日からまた、「最後までがんばろう!」となるのにね。私もそのようなネガから入る議論のやり方を若い頃やり、また今も時々やりすぎたかなと心配になることがあるが、事後のケアを大切にするようにしている。きつい言い回しが打撃的にならなかったかどうか大変に気になる。それが時にその人の人生を狂わせてしまうからである。私は一生懸命がんばっている彼らの強い心を期待したい。これからの数ヶ月は博士、修士、卒業などで全力を挙げる時期だからであり、だから大きく飛躍できる人生の中できわめて限られた時でもあるのだから。
きつすぎる議論で、時に人は本当に命を落としてしまう。私には若い時のその痛恨の経験が今でも胸に突き刺さっている。
次回にそれを記すが、それを読む大学教員の側には議論をする時の自制を、そして学生の側には強いこころを持ってもらいたいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする