楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

英語と科学と人間(3)再助走

2006-07-22 09:33:20 | 科学
 さて、大学院受験。昔の大学受験の時の古びた受験参考書を取り出し、やり直すことにした。昔は如何に勉強していなかったがよくわかる。紙がただただ黄ばんでいるだけ。ほとんど勉強した跡がない。今度は真っ黒になるまでやった。少し、分かるようになってきた。大学受験のときと異なったのは単語の暗記などという馬鹿なことは止めたこと。大学受験のときは、「赤尾の豆単」を丸ごと暗記すれば良い、などというどこかの宣伝文句にだまされた。しかし、今回は読み、書きの数をこなすことに集中した。
 大学院へ進学した。そこそこ文献も読んだ。そしていよいよ学位を書く時となった。その前に英語の論文を公表しておかなければならない。私の指導教官は、すばらしい人格の人で、私のやりたいようにやらせてくれた。悪く言えばほったらかしである。しかし、その様子を横で見ていた指導教官の友である別の教授が、ある日、私に「話がある」といって呼び出された。「原稿を持って来い」という。まだ、ワープロもない時代、手打ちのタイプでA4で100枚以上の原稿を抱えて、その教授の部屋へいった。その教授はパラパラと原稿を見て、言った。
 「今日から3日間、俺のうちへ来い。泊まる容易をして」
それから3日間、夜。1枚1枚、丁寧に、この前置詞は、この動詞は自動詞、他動詞、evidencesは間違い--。原稿は真っ赤になった。それを今度は昼に、タイプで打ち直す。今はワープロで一瞬。しかし、当時の手打ちタイプでは20枚~30枚全部打ち直すのに完全に丸一日はかかる。1~2時間しか、寝る間がない。でも、出来た!
 その教授はまだご存命である。私のへたくそな英語を一度も馬鹿にすることなく、怒ることなく、淡々として見てくれた。夜連続して、7~8時間も続くのである。私の方が体力が持たない。こっくりすると、「少し休むか?」といって、教授の奥さんがコーヒーとお菓子を持ってきてくれる。今も忘れることの出来ない濃密な英語の身に付いた一瞬であった。
 研究と英語に少し自信がつきはじめた。そのまま、学位が取れると思った。しかしである。ここで大問題が起きた。私のまとめた研究はそれまでの通説と異なり、多くの教授が考えるそれまでの通説と大きく異なっていた。私の指導教官や英語を見てくれた教授は熱心に支持してくれたが、他の教授から猛反対され、つぶされる可能性がある、との助言を受けた。万全にするために1年間延長を決意することにした。
 これは結構きつかった。なぜなら親から猛反対されていた結婚は修士課程を終え、博士課程にすすんだ時についに実現し、この学位の最中は子供を抱えながらであった。おまけに延長をするということは私の奨学金が切れ、収入は妻のみということとなるからである。
 でも、一方で私をさらに成長させるよい時期ともなった。その新しい学説にもとずくシンポジウムが東京で学会で相次いで開かれた。私はまだ大学院生の分際であったが、ほとんど毎月のように東京へでる機会を得た。多くの知り合いだできた。
 そして、1年後、ほとんど慌てることなく学位を得た。そして学術振興会の研究員にもなることができた。それまでの苦しかった家計が一気に明るくなった。
 東京へ出て、東大の先生などと知り合っていたが、「アメリカの国際学会へ行きなさい。お金は頼みなさい。必ず何とかなるから」と強く推薦された。
やっと国際舞台への切符が手に入った。私はすでに30になっていた。
しかし、問題は英語である。
それから、再び三たび、英語の勉強を開始した。今度の課題は話す、聞く。

(つづく)
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英語と科学と人間(2)助走

2006-07-21 07:14:39 | 科学

 私は未だに英語はそんなに得意ではない。しかし、使うことにさほどのストレスはない。よく会議で議論したり、そこでのアメリカ人の目先だけを考えるパターンへ反論したりすることもさほどではない。英語を読むのも日本語を読むのも、スピードはあまり変わらない。小説、新聞などはどちらも斜め読み。
でも英語での食事がつづくと、たまに「横めし」ではなく「縦めし」を食べたくなる。
 (ちなみにこの「横めし」「縦めし」とはかつて私がまだ、若い時にアメリカでお世話になった国際的にも有名な教授が、つかっていた言葉。「横めし」とは、英語はすべて横書きであることをもじっていて、英語を話しながら食事をすること。「縦めし」とは、日本語は縦書きである(かつてはすべてそうであったね)をもじり、日本語を話しながら食事をしたり、飲むこと。)

さて、私の英語との人生。

 中学の時は英語は大得意であった。住んでいた田舎町がいくつも集まり中学生を集めてNHK主催英語コンクールなどが開かれていた。ある日先生から飛び出され、それに出ろという。中学から送り込まれ、読む、書く、聴く、話す、全てについてあり、読む、書く、聴くまでは1位になった。しかし、発音が良くなくそこは2位。自慢ではないが、英語は嫌いではなかった。アメリカ人の女の子と文通し、写真をもらって「わ!なんてきれいな子だ!」とわくわくしていた。歩きながら英語を口ずさみ、ほんわかとその子と話している気分になり、にやにやしていた(多分)。 
 しかしである。進学した高校は受験校であったが、突然、英語が難しくなりびっくりした。そして追い立てられるように勉強しなければならないことが追い打ちをかけた。そして、我が人生での初めての片思いの恋。寝ても覚めても、そのことばかり考えて勉強どころではなく成績はどんどん落ちた。
<むむ~、まずい。あたって砕けろだ!>
私のこころの中の優柔不断さを吹っ切るためにラブレターを書いた。そして砕けた~(とほほ)。
でも、私のこころは晴れ渡った空のようになり、その「すっきりさ」があまりにもうれしくて、その振られた相手に礼状まで書いてしまった(ちょっと寂しかったが)。

 そして、その後、遅れを取り戻すようにがむしゃらになった。しかし、英語だけは成績の向上はなく、苦手なまま大学へ入った。大学の最初の英語は膨大なものを、それも文学作品を読ませるもの。
そもそも私は人間のこころを扱う文学が分からず、小説など読んだことがなく、ますます嫌になった。おまけに大学は紛争のど真ん中。ついに授業は1年間なくなった。
<嫌なものをやらなくていい!> 英語はどんどん忘れた。

 紛争のために1年遅れて専門課程にすすんだ。それまで3年間もほとんど勉強せず、紛争に明け暮れていたので、勉強することに飢えていた。受験以来ひさびさにがむしゃらに勉強した。しかし、苦手は英語を読まされることであった。
<またしても「ねばならない」かよ!>こころがいやがっている。
でも、専門は深めたかった。すでに今の妻と「できていて」大学院へ行くべきかどうか真剣に悩んだ。
<早く就職して結婚したい。でも勉強もしたい>
悩んだ末、大学院へ進学することを決意した。しかし、結婚もしたい。「神田川の世界」はもういやだ!(そのころ爆発的にはやっていた。こころにしみた)親に大学院へも行く、結婚もしたい。
というと
「ばかもの!すねっかじりの分際で何をたわけたことをいうか!」
と両親総がかりで、「大学院へいくのは支援するが結婚は許さん!」となった。
私のこころは悔しさで一杯になり、でも親の言うのも一理、
<確かにスネッかじりだ>
神田川がつづいた。そして、大学院試験のために、苦手な英語とドイツ語の猛勉強を開始した。
でも3年間も勉強していない。ほとんど忘れている。さて、どうするか。

あ、時間がない。つづきはまた。
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英語と科学と人間(1)

2006-07-20 15:42:48 | 科学
英語と科学と人間(1)
 科学において英語は必須。アメリカ人やイギリス人は本当に得をしていると、くやしくてならなかった。世界を支配するものはことばを支配すると。それが歴史。
ギリシャローマの時代、知識人の象徴はギリシャ語をはなすこと。
ルネサンス時代から相当長く、ラテン語。
明治維新から第2次世界大戦まで、日本の知識人は英語ではなくドイツ語を身につけた。
なぜって?
当時の新政府中枢の若者達が世界を回り、2つの元気のいい国をみた。1つは南北戦争を終えたばかりのアメリカ。それはまだひよっこ。そしてもう一つはドイツ。フランスを破り、ヨーロッパで君臨をはじめていた。この国を学べ!かれらは産業革命における遅れを、科学と教育への投資と強烈な努力によって、ついに先進国に勝った!その新生国を直接かいまみたからであった。
だから、戦前の学生寮の寮歌はいつも、アイン、ツバイ、トライをかけ声に始まった。
20世紀前半、瞬く間に、先進国となった。しかし、その前進はあまりにも速く、ついに失速、そして最後はドイツも日本も枢軸国同士として、第2次世界大戦で没落した。

第2次世界大戦後、あのひよっこであったアメリカは世界帝国となり、科学も支配している。だから英語。くやしいが、英語は身につけ『ねばならない」(本当にこの押し付けられた義務感っていやだね)。

日本人にとって、意味も分からず英語を勉強させられるのは、強烈な苦痛であるね。最初は、違ったことばを知るなんてなんともわくわくするのにね。それがすぐに苦痛になる。これってやっぱりなんか変だぞ、と思う。

先に○●褒章をもらった友もその記念講演で告白していた。修士時代の指導教官に人間性を否定するまで、徹底してばかにされながら、しごかれた。そしてその後一度たりともほめられることはなく、研究すればするほど攻撃はひどくなったと。なんとも悲しい話である。それは、本人同士の問題ではなく、実はアメリカが支配しているというどうしようもない状況を共通の敵として、理解し合えばいいのにな、と思うが、しゃーない。ひとそれぞれの個性がある。

次回は私の経験談。
(昨夜も突然の会議と深夜2時までの討論で!結局帰れずじまい。大学の部屋の床でねる。寒かった!)
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やはり楽学、同名のサイトにいきあたる

2006-07-18 07:02:13 | 教育
 サーフしていたら「楽学」という同名のブログに行き当たりました。そこに「子連れ学生が普通になればいい!」という記事。
なんともうれしくなって、トラックバックをはりました。なぜなら、私のところにも子供二人の親の女子学生がいるからです。子連れで卒業論文をこなし、今は修士の学生です。男子学生を子守役にセミナーをやっています。
私にはまだ孫がいないのですが、そろそろそういう年齢にちかずいています。
それにしても、子供たちはセミナーで見るたびに大きくなり、言葉を次々と覚え、どんどん人間になっていく、というのはすばらしいですね。見ていて勇気をもらえます。
 昨年は、卒業論文の調査に、女子学生親子、男子院生と保母の免許をお持ちの彼のお母さん、などと一緒に出かけ、昼間の調査の間にその子の面倒を男子院生の母君に見ていただき実行するという、なんとも愉快な仕事をしました。その母君には私も食事や飲料(?)でいろいろご指導いただきながら、合宿作業でした。
 私自身も、大昔、学生の時に既に今の妻とは「できていた」(子供はできてませんが)ので、学生同士で結婚したり、子供がいてもなんとも思わず、むしろ微笑ましく、なんとか支援したいとう気になります。
むしろ、本人の方が気を使いすぎることが、大変。
無理をせず、自然に、子育てと、自分の健康の回復と、研究と、一歩ずつ一歩ずつかな、と思っています。

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東大の教養:東大(生)vs爆笑問題

2006-07-16 20:12:46 | 教育
 昨深夜、私が唯一欠かさず見ているドラマ「チャングムの誓い」の後にNHK特集「東大生vs爆笑問題」をみた。
タイトル「東大生」と異なり、主な討論はほとんど東大小林教授と爆笑問題太田のやりとり。私の世代は「東大全共闘vs三島由紀夫」の劇的な討論会が頭にあるので、こんな大学側に組織された討論会にのめのめと出てくるほど自立性を失っているのか!今の東大生は!と愕然とする思いがある。でもそれはそれ、この子達が団塊の世代がいなくなる10年のうちにこの社会の主役になる。その時には気がつくであろう(と期待したい)、彼らが本当のエリートならば。
 大学における教養教育をテーマとして東大の駒場で開かれた討論会である。90年代、日本の東大以外の全ての大学から教養課程あるいは一般教育が、大綱化の名のもとに消えた。その東大で改めて教養を問うている。
しかし、見ていると東大は教養を背負いすぎている。「ねばならない」が強すぎる。そのことを爆笑問題が鋭くついている。
 「東大はエリートでねばならない」という、小宮山学長のメッセージによって東大生の「勝ち組」意識をくすぐり、鼓舞する。そのことに対して爆笑問題太田が強烈に反発する、あるいは東大生をピエロ化する爆笑問題。
東大と一般人との益々の乖離を警告する爆笑問題。
 ここはテーマの教養とはちょっと異なるが面白い。なぜなら東大生は受験戦争を勝ち抜いた「勝ち組」である、と誰しも認める評価と、人生の「勝ち負け」はそんな受験だけで決まるものとは別であるという、これもまた多くが認める事実の、特に後者に関わる東大スタッフ陣の認識のずれへの強烈な反発が見事に現れたからである。ある意味、東大に入った以上は全ての成功者になりたい、あるいはそういう人材を輩出したいという、東大側の願望が見事に丸見えだからである。そう思いたいということは事実はそうなっていないという現実の反映である。だから自らを「エリート」と叫べば叫ぶほど、ピエロとなり、裸の王様となる。そのことを爆笑問題は鋭く突いたのである。
 もっと自然になったらどうか?東大のみなさん。と思った。そんなに気負うことはないでしょう。本当の「エリート」は自然体ではないの?と。
 教養とはなんぞや?これはかなりいい議論であった。ほとんど同意である。
自分で必要と思った時、はじめて身に付く。これは両者の共通した見解であった。そこに大学はどのように手を添えるか?
である。
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