楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

終活(10) ファシスタになりたかった

2021-02-05 19:43:05 | 人文

終活(10) 西部邁の遺言=ファシスタたらんした者

 

http://www.chuko.co.jp/tanko/2017/06/004986.html

 西部邁といえば かつて朝まで生テレビに常連の右派論客の元東大教授。

脳梗塞を患い体の思うまま動かなくなったことから自殺を決意、 手伝ってもらって 2018年1月入水を遂げたことで話題になった。

 

その彼が2017年書いたのが本書。出版は2017年6月。自死の半年前。十分に世の反響を見て自死へ臨んだ。

 

 彼は1950年代高校生時代から有名人であった。 北海道では札幌厚別の神童と 呼ばれ、北海道随一の 受験校札幌南高校でから東大へ進んだ。 そして東大学生自治会教養学部委員長となった。

 

 その東大教養学部学生自治会はじめ過激派全学連(全国学生自治会総連合の略称) が先頭になって国会に突入、 学生だった女子東大生樺美智子がデモ隊に踏みつぶされて 圧死した。 日本独立時の日米安保条約が改定されることに反対した「正義のデモ隊」に対する権力の側の暴力的圧政として 大宣伝された。

 

 しかし、西部が委員長になったその自治会の選挙は後に連合赤軍事件を起こす過激派による水増しでっち上げであったことを自ら明らかにし右派へ転向した。

 

 不思議にも過激派前科の西部が 東大教授となった。政治過激人は自由人ということが通る大学の時代であり、それを英雄視するマスコミがあった。後に大学内人事騒動で、都知事となる舛添要一と共に辞職し、マスコミ右派言論人となった。

 

 その西部の最期のパフォーマンスが、遺言としての本書と、死をも演じて見せ、後世に意思を繋ぐことであった。彼が自死する前に本書は出版された。私は、出版されるとすぐに読み、彼は自死するなと読後感想を持った。

 

そして予定調和のように入水死した。

 

世には不正義が横行。

それを変えたい、しかし変わらないという現実。

「正義は我にあり」との強い思いに直面。

クーデターなど暴力による制圧衝動。

 

それも叶わないと知った時、自死を選ぶ。

太宰、三島、川端へとつながったかつての東大文学部人の自死の再現とも受け止められる一つの終末活動。

 

東大出身の文人の反対の極に、立花隆、大江健三郎、そして山田洋次がいる。

 

さらに、徹底して政治から無縁なところに身を置い人間を見つめているが倉本聰。彼らの実行中の終活も興味をそそる。

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終活(9) 5人分の人生整理

2021-02-03 15:38:09 | 人間

終活(9)  5人分の人生整理

 終末活動とは、実に大変。その時までに終えなければならない作業は、自分のためではない。

整理したもの、ことを次へ送り作業のことだ。当たり前のことではあるが。

 

 それをやり遂げて逝ける人はすごい。

多分、即身成仏に挑んだ仏教僧、あるいは姥捨山の運命を受け入れ、その年まで整理をする人、などか。

私の周りの親兄弟、友人は、癌で告知を受けた人、病床の母以外は、皆、自分ではまだ生きると思っていた。

そこで逝った人の後始末が覆い被さってくる。

 

 私を採用してくれた教授は、53歳の時、壇上で倒れそのまま逝った。その時にゴミ屋敷のような研究室を整理するのにまる一年かかった。そのようにはなりたくない。

私は、大病をして一度、死んでいたはずであり、父兄の逝った年まで残りわずかなので、終活をしっかりやりたい、と思っている。

しかし、祖父、父母、兄の4人分の終えた人生を整理し、自分の分も含めると五人分。ほとんど無限に整理すべきことがある。

それは途方にくれるような量ではあるが、ぼやいても仕方がないし、やめた瞬間、未整理で多くが打ち捨てられる運命となる。

これまで記した3分類で、何を誰に整理して送っておくか、その作業の蓄積しかない。

即身成仏や涅槃のようにはなりそうにないね(笑い)

さ、やろう! でもその前に仕事(すなわち研究と公務の残務)

 

 

 

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ミャンマー・クーデタと「ビルマの竪琴」

2021-02-02 05:32:30 | 社会

ミャンマー・クーデターに思う

ミャンマーでクーデターのニュースが飛び込んできた。悲しい。

「選挙が不正だ」と言って暴力を持って少数意見を通そうとする。一見秩序は回復し安定化するが、矛盾は力で封じ込めてもなくならない。そこで民主主義という知恵が生まれた。しかし、人は目の前の利害に動かされる「性」を持つので、忍耐のない即決民主主義は、逆の悲劇も産む。民主主義は時間がかかる。

スーチー氏が解放され民主化された時、日本で学位をとり勤めてもいるミャンマーの友人が胸を張り、どれほど喜んでいたことか。友人が民主化された政府の科学担当となり日本との交流がよりすすむと。彼も実に経験な仏教徒である。

彼は軍事政権時代に持ち込まれた中国の援助が横暴でひどかったかと囁いていた。今回のクーデター、「一帯一路」と「開かれたインド太平洋ベルト」構想の大きな世界政治に間で起きたと見ると、背景もわかる気がする。

ミャンマーはかつてのビルマ。日本は、第2次大戦の悲劇「インパール作戦」の時、インド・タイの活断層に沿っての国境を北上した。「インパール作戦」はほぼ全滅の史上最悪の作戦と言われる。その悲劇の中で生まれた小説「ビルマの竪琴」と、その映画の中で奏でられた「埴生の宿」が平和を求める人の心を打ったことを思い出す。

 

 

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映画「にあんちゃん」

2021-02-01 04:10:01 | 歴史

映画「にあんちゃん」

AmazonPrimeで映画を観た。1960年小学生の頃、親に連れられて見に行った「にあんちゃん」

観た時周りの大人たちが泣いていたが、内容は全く理解できなかった。ただ北海道の炭鉱町にいたので、毎朝窓から見えるボタ山に似たラストシーンだけはなぜか印象に残っていた。ただ、そのシーンを、ブランコで、にあんちゃんと妹の遊ぶ場面となぜか勘違いしていた。

60年後の今見直して、この映画は、まさしく戦後、次々と閉山していく中での九州佐賀県の炭鉱の島での在日も交えた鉱夫社会の苦悩、そこで逞しく生きる人間の姿を描いたものと知った。

在日の四人兄姉弟妹の未子の日記を元にした大ベストセラー映画で日本中の涙を誘ったものと知った。最近韓国で下された応募徴用労働者判決、明治産業革命遺産九州軍艦島をめぐるトラブル、で韓国側で語られていることとは全く違うことがわかる。そのことを在日の子、戦後の左派映画人、そうそうたる俳優達が自ら演じ示しているものと解釈できる。

1950年代後半の戦後復興、都会では進んでいたのだろうが、田舎ではまだまだ貧しく、そのどん底に潰れていく炭鉱があったのは間違いないということが私の人生体験でもある。

 

 

 

 

 

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