今年に入るまで、宗教的なこととは無縁なところで生きて来たのだが、
2月4日に近しい友人を、6月1日にmy父を亡くしたことで、
せめて月命日位は手を合わせて故人を偲んでみるか、と思うようになった。
今日は4日。
振り返ってみれば8ヶ月などあっと言う間だったのだが、
変わらないコトがある一方で大きく変わったコトも沢山あり、
あらためて後半にさしかかったmy人生のあり方について考える機会が増えた気がする。
うそ、考える〈フリ〉をする機会が増えただけだな。
奇しくも、2月4日はmy父の抗がん剤治療がスタートした日でもあった。
今日と言う日は、一人残されたmy母にとって、
生涯の伴侶が治療から他界するまでに要した時間と、「それから」の生活が同じ長さになった日だ。
相変わらず、何かをきっかけに涙が止まらなくなる暴走機関車っぷりではあるのだが、
先日は自治体主宰の『独居老人交流会』的なものに参加して来たらしい。
一日でもはやく見苦しい泣き顔を見なくてすむ日が来ることを願ってやまない。
何処のどなたの話しだったか定かでは無いのだが、以前、次のような話しを読んだ。
読んだ当時は父も健在だったのだが、妙に心に残った話しだ:
実家に帰省→滞在→自宅に戻る際、自分達の姿が見えなくなるまでずーっと母が見送っている
毎回「そんなことはしなくて良い」旨を伝えるのだが、母はそうすることをやめなかった
時は過ぎ、自分が見送る側になってはじめて、その時の母の気持ちがわかるようになった
『人生の残りが少なくなったと〈実感〉した時
あと何回見送ることが出来るだろう/もしかしたら今回が最後かもしれない』
そう思うと、毎回、姿が見えなくなるまで見送ることは、ごくごく自然なことだったのだ、と
実家に寄る度に、車が見えなくなるまで、母は見送る。
自分は「見送らなくていいよ」、とは言わずに玄関を出る。
・・・はやく息子の優しさに気が付いた方が良いぞ、my母。
結論:たまにはしんみりとした記事を書いて好感度を上げてみるぞ大作戦
いろん思いが、湧いてくるんだよね。
過去の思い出であったり、未来への思いだったり
その時々で、思いう浮かべる事は違うと思う。
でも幸せを願う気持ちがそうさせるんだ
母上様、もうちょっと時間が立てば、
更にパワーアップすると思うから、
それまで、泣きたいときは、思いっきり泣かせてあげて!!
母は強しだから・・・!!
私に子供ができて、孫を連れ帰るようになったら、見送りは母に加えて父まで。
てっきり孫がかわいいからだと思っていましたが、
私が子供を産んで一番下の世代ではなくなったように、孫が出来て、送られる世代になったからなのかもしれない、と思いました。
そういえば父は別れ際、「達者で暮らせよ。」「また来いよ。」などと、孫(二歳)に言っている。
‥来週も来るんだけど。
上がりましたか!ありがとうございます^^
幼稚園に行く娘を見送って以来、
誰も見送ったことが無いので実感はわかないのですが、
(進学した娘は小・中ともに登校時間が早く、見送ったことが無い^^;)
様々な想いが頭をよぎるんでしょうねぇ。。。
my母、あまりにも唐突に泣くので、ポカーんとしてしまいます(笑
今日は印刷した喪中ハガキが届いた筈なので、
当分は宛名書きしながら滝泣きしていることでしょう^^
迷惑なので、はやく元気になってくれないかな。
【ノザルさま】
自分も独身時代はそんな感じでした:年1回帰省。
結婚してからは2回位帰るようになりましたが(笑
「達者で暮らせよ。」
「また来いよ。」
演歌の決め台詞的な言い回しがグっと来ますね。
是非とも二歳児には
「あばよ。」
「長生きしろよジジイ。」と返すよう、教育して下さい。
とは思っております(心の隅で)
でも暴走機関車になるかもです
ありがとうございます^^
次にお会いする時は「スーパー好々爺」になっていると思います。
(最近、オモロネタの提供が滞っていてすみません)
【はるるさま】
泣かせる葬儀屋さんにあたると、
『暴走鉄道999』位泣かされますよ^^
本当は、そんな心構えが不要になれば良いんですけどね。
そう言う訳にはいかないからなぁ、、、。
もっと大事にしなきゃなぁって
頭ではわかってるけど、親孝行できてません。
まず、ふざけたブログを閉鎖した方がいいんでしょうか?
40過ぎた息子があんな文章を書いてる事を知ってしまったら…
かなり体に堪えるかもしれません…。
まだ、「何かをきっかけに涙が止まらなくなる暴走機関車」になる事あるよ。
我が、初代能天気ジジさまでも、
「1年は、たまらん寂しさと後悔でいっぱい」だったらしいよ。
その後は、自分の人生謳歌な日々やけど。。。
人はいつか死ぬっていう事実、もちろん自分も含めて、
突きつけられるようになるね年取ると余計に。
そういう事態に遭遇した時、
それでも世界は当たり前に普通に回ってて
知らない人達が道で話したり笑ったり
そんな事がなんとなく不思議で映画を見ているみたいな
非現実感があったなと思い出す。