先日、娘と林澄子さんのピアノリサイタルに行った。林澄子さんのファンというわけではなく、僕の住んでいるところは田舎なのでなかなかクラシックの生演奏を聴く機会がない。たまたま近くで(車で45分)この人のリサイタルがあったので、聴きにいったわけである。
プログラムはベートーヴェンとショパンが中心であったけど、2部のショパンはまあまあ良かった。これは娘も同意見。しかし、1部のベートーヴェンの「月光」は見事にすべりました。娘も思わず寝てしまいそうだったとのこと。実際に寝ていたおばさんがちらほらいた。
以前僕は若手のピアニストの「熱情」を聴いたことがあったが、このときも見事に上滑りの演奏だった。どうやら、ベートーヴェンのピアノソナタの名曲を弾ききるのは、至難の業のようである。
1年前くらいにシューベルトのピアノソナタ(ピアニストはマレイ・ペライアで最近のCD録音)19番20番を聞き込んだ後、バックハウスの「熱情」「月光」を聞き返し、大いに感動したことがあった。体の芯がきりきりと痛むような感覚だったが、バックハウスの異常な緊張感の持続は、どんな精神力をしているのだろうかと、ただただ感心するのみである。このような体験をすると、「月光」や「熱情」の基準がバックハウスの演奏になってしまったようなので、演奏会で感動することは難しいのだろうか?
プログラムはベートーヴェンとショパンが中心であったけど、2部のショパンはまあまあ良かった。これは娘も同意見。しかし、1部のベートーヴェンの「月光」は見事にすべりました。娘も思わず寝てしまいそうだったとのこと。実際に寝ていたおばさんがちらほらいた。
以前僕は若手のピアニストの「熱情」を聴いたことがあったが、このときも見事に上滑りの演奏だった。どうやら、ベートーヴェンのピアノソナタの名曲を弾ききるのは、至難の業のようである。
1年前くらいにシューベルトのピアノソナタ(ピアニストはマレイ・ペライアで最近のCD録音)19番20番を聞き込んだ後、バックハウスの「熱情」「月光」を聞き返し、大いに感動したことがあった。体の芯がきりきりと痛むような感覚だったが、バックハウスの異常な緊張感の持続は、どんな精神力をしているのだろうかと、ただただ感心するのみである。このような体験をすると、「月光」や「熱情」の基準がバックハウスの演奏になってしまったようなので、演奏会で感動することは難しいのだろうか?