僕の使用しているファックスはかなり古いので、感光紙を交換するとしばらくは印字されないという、優れもの? である。ファックスは会社からしか来なくて、それらは僕にとってはほとんど喜ばしいものではない。だから何となく嬉しいし、このまま直らなくてもいいや! とさえ思ってしまう。
CDラジカセはアイワ製だ。僕の古ぼけた頭の記憶によるとこの会社はすでになくなっている・・・・・・(もし違っていたらアイワさん、ごめんなさい)こやつもなかなか業師で、PCでコピーした音楽CDは読み込まないのだ。一生懸命読み込もうと努力するのだけど、キュルキュル、シュルシュルと言っては結局ギブアップする。僕の車といっしょだ。愛車はニッサンのサニールキノで、足回りはなかなかタフでお気に入り。この車に10年以上も乗っているが、こいつもコピーしたCDではダメ出しする。もっとも普通のCDでもときどきスキップしてしまうので、耐用年数が過ぎてしまったのかもしれない。
話は突然変わるが、先日、荻上直子監督の「めがね」をレンタル屋さんから借りてきて観た。(僕は最近、荻上直子監督のつくった映画を続けて観ている)舞台は与論島で海が信じられないくらい美しい。そしてそこは携帯電話の電波が届かないということになっている。実際はどうかわからないが、映画ではそういう設定になっている。
僕は最近携帯電話があまり好きではない・・・・・・でも仕事柄必要だし、家族間通話は無料なのでよく利用している。本音を言えば携帯電話が必要ない仕事あれば、それにに就きたいと思う。
そんなことを思いながら、PCのメールの受信トレイをチェックしていると、友人からメールがあった。そのメールは僕に9月11日のことを知らせてくれた。そう明日は、(正確には今日になってしまったが)9月11日だ。2001年のアメリカ同時多発テロから、すでに8年経っている。
2001年のあの朝、起きてみると奥さんが引きつった顔で「大変なことが起きた」と僕に告げた。衛星放送でテレビに映るその光景を、僕はすぐには信じられなかった。(人間の許容範囲を超える出来事は、かえって現実感がない)だがそのことを契機に僕の世界を見る目が変わっていったことは、まぎれもない事実だ。いや、もしかすると世界の方が変わってしまったのかもしれない・・・・・・
リアルタイムで膨大な情報が僕たちに飛び込んでくる現在。それは僕たちにとって、よいことなのか悪いことなのか? けれどももうパンドラの箱は開いてしまった。さまざまな通信媒体が発信する情報に溢れた世界にどう対処するかは、もちろん人それぞれだ。ただ、もう僕はそんな世界に疲れてしまっているのかもしれない? だけど僕はPCのキーボードをパタパタ打ち、インターネットで君たちに問いかけている。今を生きるということは結局そういうことなのだろう。クールで味気なくて、そして少し哀しい世界だ。
CDラジカセはアイワ製だ。僕の古ぼけた頭の記憶によるとこの会社はすでになくなっている・・・・・・(もし違っていたらアイワさん、ごめんなさい)こやつもなかなか業師で、PCでコピーした音楽CDは読み込まないのだ。一生懸命読み込もうと努力するのだけど、キュルキュル、シュルシュルと言っては結局ギブアップする。僕の車といっしょだ。愛車はニッサンのサニールキノで、足回りはなかなかタフでお気に入り。この車に10年以上も乗っているが、こいつもコピーしたCDではダメ出しする。もっとも普通のCDでもときどきスキップしてしまうので、耐用年数が過ぎてしまったのかもしれない。
話は突然変わるが、先日、荻上直子監督の「めがね」をレンタル屋さんから借りてきて観た。(僕は最近、荻上直子監督のつくった映画を続けて観ている)舞台は与論島で海が信じられないくらい美しい。そしてそこは携帯電話の電波が届かないということになっている。実際はどうかわからないが、映画ではそういう設定になっている。
僕は最近携帯電話があまり好きではない・・・・・・でも仕事柄必要だし、家族間通話は無料なのでよく利用している。本音を言えば携帯電話が必要ない仕事あれば、それにに就きたいと思う。
そんなことを思いながら、PCのメールの受信トレイをチェックしていると、友人からメールがあった。そのメールは僕に9月11日のことを知らせてくれた。そう明日は、(正確には今日になってしまったが)9月11日だ。2001年のアメリカ同時多発テロから、すでに8年経っている。
2001年のあの朝、起きてみると奥さんが引きつった顔で「大変なことが起きた」と僕に告げた。衛星放送でテレビに映るその光景を、僕はすぐには信じられなかった。(人間の許容範囲を超える出来事は、かえって現実感がない)だがそのことを契機に僕の世界を見る目が変わっていったことは、まぎれもない事実だ。いや、もしかすると世界の方が変わってしまったのかもしれない・・・・・・
リアルタイムで膨大な情報が僕たちに飛び込んでくる現在。それは僕たちにとって、よいことなのか悪いことなのか? けれどももうパンドラの箱は開いてしまった。さまざまな通信媒体が発信する情報に溢れた世界にどう対処するかは、もちろん人それぞれだ。ただ、もう僕はそんな世界に疲れてしまっているのかもしれない? だけど僕はPCのキーボードをパタパタ打ち、インターネットで君たちに問いかけている。今を生きるということは結局そういうことなのだろう。クールで味気なくて、そして少し哀しい世界だ。