西野了ブログ テキトーでいいんじゃない?

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう 西野了」で掲載中です。

ウクライナに侵攻したロシアとは? その4.キューバ危機とベトナム戦争

2022-03-15 14:00:12 | Weblog
 1962年10月から11月、ソ連がキューバに核ミサイル基地建設が発覚して米ソ間での緊張が高まり核戦争の一歩手前までいった事件ーいわゆるキューバ危機だが、わたくは当時5歳なので全く記憶にない。しかし内田樹先生によれば「もしかすると世界は終わるかもしれない」という異常な事態に多くの大人はある種の諦念、虚無感、ニヒリズム等に苛まれたそうである。
 ベトナム戦争はかなり覚えている。ベトナム戦争は1955年から始まったらしいが、1964年ソ連が北ベトナムに軍事支援を表明してから1965年アメリカが北爆を開始した。このころから「ベトコン」という言葉がニュースでやたら聞こえ始めた。そして大学に入ってアメリカが枯葉剤を使用したことも知った。これによって二重胎児であるべトちゃんドクちゃんの存在も知った。わたくしが少年のころはどうしてアメリカがベトナムのような小さい国と戦争するのか全く分からなかったのであるが、大学に入って一応理解?する。
 大学時代には中国がベトナムに軍事進攻して学生たちは結構ビックリしていた。社会主義国同士が何やってんの?という感じである。ただわたくし達の周りでは中国はよく分からない国だと思っていた。文化大革命の実態も知らされておらず、高校時代に江青四人組が失脚して逮捕されるのだが、逮捕された後も江青女史?が凄い剣幕で怒鳴り散らしていたのを親父が見て「中国は怖い女がおるのう」とビビっていた。わたくしも全く同感であった。当時の中国の映像は西側メディアということもあるが、みんな人民服を着て笑顔がなくて怖そうなのだ。おしなべて社会主義国の人たちは生真面目そうであまりほとんど笑わなくて、そして仕事がつまらないイメージであった。ただしベトナムの人たちは明るい印象があった。
 日ソ友好協会の機関誌だったか記憶に定かではないが、それらしき本を読んだことがある。ある工場の青年が何年かのうちに生産量をここまで増やすという記事だったと思う。計画生産で「ほほう、これが計画経済というやつかぁ」と感心したが、その青年のインタビューで彼は何となくつまんないんじゃないかという印象を受けた。その根拠はよく分からなかったのだが。

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